(『朝日新聞』2014/06/26)
①映画「アナと雪の女王」(監督=クリス・バックほか)
②「『中央公論』掲載拒否!中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈」(ネット掲載、サンデー毎日7月6日号にも)
数日前、大ヒット中の映画「アナと雪の女王」を見た(①)。公開されて数カ月を経てなお、空席はなかった。
若くして王である父と母を亡くした姉エルサは、その国の女王として即位する。けれど、エルサには、大切な妹アナにもいえない大きな秘密があった。すべてを凍らせる魔法の力を持っていたのだ。中森明夫は、こう書いている。
「あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か? 自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思いきり能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる」(②)
その上で、中森は、幾人かの、実在する「雪の女王」を思い浮かべる。その一人が「雅子妃殿下」だ。彼女は「外務省の有能なキャリア官僚だった」が「皇太子妃となって、職業的能力は封じられ」「男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され」「やがて心労で閉じ籠ること」になると記した上で、さらに映画のテーマ曲「ありのままで」に触れながら「皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に、未来があるとは思えない」と書いた。この原稿は、結局、依頼主である「中央公論」から掲載を拒否されたのだが、その理由は定かではない。
③上野千鶴子『上野千鶴子の選憲論』(4月刊行)
戦後社会と民主主義について深く検討する本が続けて現れた。いまの時期にこそふさわしいこれらの本の、大きな特徴は、どちらも、女性によって書かれ、天皇制について言及があることだ。
上野千鶴子は、いわゆる「改憲」でも「護憲」でもなく、憲法を一から選び直す「選憲」の立場をとり、その際には、天皇の条項を変えたい、とした(③)。象徴天皇制がある限り「日本は本当の民主主義の国家とはいえ」ないからだ。いや、理由はそれだけではない。「人の一生を『籠の鳥』にするような、人権を無視した非人間的な制度の犠牲には、誰にもなってもらいたくない」からだ。
④赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』(5月刊行)
赤坂真理は「雅子妃」の娘である「敬宮愛子様」について、深い同情をこめて、こう書いている(④)。
「生まれてこのかた、『お前ではダメだ』という視線を不特定多数から受け続けてきたのだ。それも彼女の資質や能力ではなく、女だからという理由で。(略)ゆくゆくは彼女の時代となることを視野に入れた女性天皇論争も、(略)秋篠宮家に男児が生まれた瞬間に、止んでしまったのだ! (略)彼女は生まれながらに、いてもいなくてもよくて、幼い従兄弟の男児は、生まれながらに欠くべからざる存在なのだ。なんという不条理! それを親族から無数の赤の他人に至るまでが、(略)ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ」
この二つの本からは、同じ視線が感じられる。それは、制度に内在している非人間的なものへの強い憤りと、ささやかな「声」を聞きとろうとする熱意だ。制度の是非を論じることはたやすい。けれども、彼女たちは、その中にあって呻吟している「弱い」個人の内側に耳をかたむける。それは、彼女たちが、男性優位の(女性であるという理由だけで、卑劣なヤジを浴びせかけられる)この社会で、弱者の側に立たされていたからに他ならない。彼女たちは知っているのだ。誰かの自由を犠牲にして、自分たちだけが自由になることはできないと。
⑤原武史「皇后考」(雑誌「群像」で連載中)
なぜ、天皇の後継者は「世襲で、かつ男系の男子」でなければならないのか。多くの人たちが「素朴に信じている」このあり方の奥深くまで、膨大な資料を駆使し、メスを入れたのが、2年近く連載され、来月完結を迎える原武史の「皇后考」だ(⑤)。天皇制について考えようとするなら、今後、この画期的な論考を無視することは不可能だろう。
わたしたちが知っている「天皇制」は近代に生まれたもので、たかだか百数十年の歴史しかなく、それに先立つ2千年近い「天皇制」の中に、近代のそれとはまったく異なる原理が混じっていた、と原は指摘している。
原によれば、そもそも女神であるアマテラスを始祖とする古代天皇制には、現在のそれとは正反対の「女性優位」ともいうべき思想が底流としてあった。それを象徴するのが、神であるアマテラスと人間である天皇の中間にいる「ナカツスメラミコト」とも呼ばれる存在だ。その、ある意味では天皇より上位の存在に、皇后はなることができるのであり、実際に、歴代の皇后の中に、いや近代になっても、それを強く意識し、その地位に上ろうとした者もいたのである。
「男系男子」のみを皇位灘承者とする「皇室典範」の思想は、「男性優位」社会のあり方に照応している。だが、その思想も、人工的に作られたものにすぎない。人工的に作られたものは変えることができるのだ。どのような制度も、また。
⑥堀江貴文(@takapon_jp)によるツイッターでのつぶやき(今月17日)
皇太子の移動のための交通規制で足止めを食った堀江貴文が「移動にヘリコプターを使えば」とツイートした。それに対して、皇室への敬愛が足りないと批判が殺到した。皇太子のことを何だと考えているのかという質問に、堀江は簡潔にこう答えた(⑥)。
「人間」
いいこというね、ホリエモン。
■論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・特集「ポスト・ビッグデータと統計学の時代」(現代思想6月号)
・帚木蓬生「カジノ合法化は何をもたらすか」(世界7月号)
・柿崎一郎「タイ式民主主義というこの国の論理」(中央公論7月号)
酒井啓子=外交
・マイケル・ブラウン「プーチンの戦略とヨーロッパの分裂」(フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)
・佐藤学「オバマは何を『約束』したか」(世界7月号)
・戸部良一「欧洲大戦と日本のゆらぎ」(アスティオン80号)
菅原琢=政治
・河野太郎・西沢和彦「隠蔽された年金破綻 粉飾と欺瞞を暴く」(文芸春秋7月号)
・辻琢也「全国の中枢拠点都市に集中投資せよ」(中央公論7月号)
・五十嵐智嘉子「未来日本の縮図・北海道 再生への『地域戦略』」(中央公論7月号)
濱野智史=メディア
・特集「ポスト・ビッグデータと統計学の時代」(現代思想6月号)
・デニス・ガルシア「殺人ロボットを禁止せよ」(フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)
・特集「コーヒーとチョコレート 次世代テック企業家たちのニュービジネス」(WIRED vol.12)
平川秀幸=科学
・デニス・ガルシア「殺人ロボットを禁止せよ」(フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)
・増田秀樹「『記憶の半減期』の短さにあらがい 福島の原発事故を伝え続ける」(Journalism6月号)
・「5/21関西電力大飯原発3、4号機運転差し止め訴訟 福井地裁判決謄本」(原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/5851)
森達也=社会
・「風をよむ」6月15日のW杯特集(TBS「サンデーモーニング」)
・篠田博之「『捏造』警察と二人三脚で冤罪を作ったマスコミ報道」(創7月号)
・井上寿一・中島岳志「何よりもまず正しい歴史認識を」(文芸春秋7月号)"
■担当記者が選ぶ注目の論点
テクノロジーと意思決定
進化するテクノロジーが、個人や社会の「決定」のあり方を変えている。
特集「ポスト・ビッグデータと統計学の時代」(現代思想6月号)は、近年注目されているビッグデータ解析について、似て非なる「統計学」との関係を整理しつつ、社会への影響を多角的に考察した。大黒岳彦「ビッグデータの社会哲学的位相」は、データは個人の日常的な意思決定に必須な存在になったばかりでなく、意思決定そのものが自動化にむかうと指摘。「ビッグデータは、われわれの『コミュニケーション』と『身体』とを、今以上の深度と精度とで『データ』化し、その<生成=運動>に組み込んでいく」と予想する。
デニス・ガルシア「殺人ロボットを禁止せよ」(フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)は、標的の認識や攻撃の判断を、自律的に行う殺人ロボットの開発が「受け入れ難い現実を作り出す」と警告。「複雑な判断をして自らが殺したい標的に進んでいくロボットは、一般市民と戦闘員を識別できないロボットと同様に忌まわしい」と、非人間性を批判する。「週刊ダイヤモンド」(6月14日号)も「ロボット・AI革命」を特集した。
大詰めの集団的自衛権問題。沖縄国際大の佐藤学の「オバマは何を『約束』したか」(世界7月号)は、米国の軍事介入を頼りに、日中間の緊張を高めるのは「自殺行為」と言明。中国と戦火を交える可能性について、遠い尖閣での「他人事」とみている国民が多いのではと指摘し、経済面では「日本全体も無傷ではすまない」と説く。
「全体主義化する日本」(Voice7月号)は、たばこを吸う権利をめぐる、弁護士や医師の匿名座談会。ムードに乗って喫煙規制を強めるのではなく、少数意見を尊重し、民主主義的に意思決定をするべきだと論じる。
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赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)。「憲法の「憲」の意味は?」をはじめとして意味を問われないまま重荷を負わされてる言葉を掘る構えが、ようあるサヨウヨに回収されない思考の足腰を支えている。結論はないがしみじみ「そうだよなあ」と首を垂れる指摘があちこちに。おすすめ — 増田聡
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