釜ケ崎に憲法はあるか
(『朝日新聞』憲法を考える2017-08-29)
憲法学者・弁護士 遠藤比呂道
投票できぬ労働者
個として尊重を
その関係性に本質
「個人としての尊重」。
憲法研究者として、日雇い労働者たちの弁護士として、その現実を考え続けている遠藤比呂通さん。
将来を嘱望された学者の道を捨て、大阪市西成区の釜ケ崎の現場で活動を始めて20年。
一度はキリスト教の宣教師をめざしたほどの信仰も活動に通底する。
その目に憲法はどう映っているのか。
- 釜ケ崎から憲法はどう見えますか。
「ほかに行くところのない人を受け入れる『逃れの街』が釜ケ崎です。住民票を持たない人もたくさんいます。住民票がないと、どこの住民でもありません。失業手当といった行政サービスを受けられず、投票もできません。憲法改正の国民投票もできないのです。そんな主権者がいていいのでしょうか。憲法を決めるのは国民です。改憲が議論されていますが、ちょっと待ってください。最終的に決める国民投票に参加できない人がいるんです。ここに、私のいだく憲法問題の核があります」
- 「住民票がない」?
「日雇い労働に必要な白手帳(雇用保険日雇労働被保険者手帳)の発行を受けるには住民票が必要で、多くの労働者が地区内のビルに住民登録していました。その慣行が問題になり、大阪市は2007年に2千人余りの住民票を本人たちの同意なしに削除しました。大阪市に住みながら大阪市民ではないとされたのです。白手帳があれば、仕事にあぶれたとき失業手当がもらえます。当時、白手帳を持つ人は2万人以上いましたが、1千人ほどになりました」
「市は今もドヤ(簡易宿泊所)を調査して、居住実態がない労働者の住民票を毎年何人も消しています。選挙権や国民投票権のない国民が1人いても問題なのに、恒常的、構造的に生み出されていて誰も責任を負わない。ここに釜ケ崎の憲法問題があります。まさに『日本に憲法があるんか』です」
- 初めて釜ケ崎を訪れたときに聞いた言葉ですね。
「東北大で憲法学者をしていた1995年7月のことです。たくさんの人が路上に倒れているのに、誰も声をかけたり助けたりしない。驚きました。仕事を尋ねられ、『大学で憲法を教えています』と答えたら、日雇い労働者の方がそうつぶやきました。1年後、宣教師になろうと、大学を辞めました。以前にも一度考えたことで、その思いが再燃したのです。理屈ではありません。信仰に従ったことでした」
「ただ、求められることをするのが宣教師です。釜ケ崎に来ることが決まったときに『弁護士はできないのか』と。当時は法学部で法律を5年教えると資格を得られたので、弁護士になることにしました。もう憲法に関わるつもりはありませんでした。嫌で憲法学者を辞めたわけではありませんから、好きなことをやめさせられて半ばすねてもいたんです、神に対して。実際、弁護士の修業を始めると、憲法とは無縁でした。現場で言われたのは、憲法なんて持ち出したら負けやで、と。憲法で勝てる訴訟なんてそうありません」
ー でも、憲法の研究も再開して論文や本を書いています。
「きっかけはお笑いです。息抜きで訪れた資料館に『日の丸行進曲』を替え歌にした戦時中の台本があった。検閲で伏せ字だらけ。これって憲法の問題だよな、と頭に浮かんだ。そのとき、憲法からは逃げられないと覚悟しました」
「裁判で最初に憲法を意識したのは、強制的にテント家屋を撤去された問題です。28人の訴訟代理人を引き受けました。彼らを一人ひとりの個人として扱わなかったと大阪市を批判しました。それからずっと、私はどこかで釜ケ崎での憲法の代理人であるかのように思ってきました。裁判には負けたけど、本来の憲法の精神を代弁し、行政や裁判所という権力に対峙したのだ、と」
ー 憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」ですね。
「確かにそうです。でも、その後、どうなんだろう、と思い返しました。結局は私も個人として尊重するのではなくて、個人を失わせる方に関わるんじゃないか、と。一つは釜ケ崎の労働者との距離感です。歩いて5分のところに事務所を置き、20年関わっても、近づくほどに壁を感じます。代弁していると考えていても、しょせん通りすがりなんです」
「思い直した一番のきっかけは、ある裁判で原告の労働者が途中でやめたいと言いだしたことです。生活保護の打ち切りをめぐる裁判です。『逃げるな。釜ケ崎のみんなのためにがんばれ』と恩ある支援者に言われると『続ける』と言うんです。でも、私の前では涙を流して『やめたい』と。確かに裁判で釜ケ崎の環境が改善された面はあります。でも、彼は、判決を待たずにアパートで亡くなりました。彼を犠牲にしたのではないか。個人として尊重されたと言えるでしょうか」
■ ■
行き場ない社会
逃れの街の一人
救えば他も改善
ー それが憲法問題ですか。
「法学部で教えるのは、憲法は国家権力を制限するものだ、と。近ごろ有名になった立憲主義ですね。イロハのイです。そういう教科書的な憲法観に立つ限り、裁判を続けるのは間違っていない。でも実際のところ、法を動かすのは権力ではなく人間です。最終的には、これが法だとみんなが認めるから機能する。逆に言えば、不法だという訴えもみんなが認めないと通らない。この同意は、首相や市長といった権力者より、むしろ権力を行使される一人ひとりの問題です」
ー どういうことでしょうか。
「権力を相手に憲法違反を訴える図式は教科書的な憲法問題です。それより私にとっては、個人同士の関係の方が大事です。裁判を受ける権利を途中で放棄せず、続けることを個人として同意できるかどうか。その方が重要で、苦しいことです。そういう同意を調達し、重ねることが憲法を支持し保有するには大事です。釜ケ崎にいると、そう見えます」
――イロハのイは無用だと?
「もちろん大学で教え、メディアで語ることも大事です。でも、私の仕事ではありません。権力とそれに対峙する個人という図式、これをいったん壊しましょう、というのが私の役割です。全員をいったん平等な市民に解体してものを考えよう、と。つまり、英哲学者、ジョン・ロックの社会契約説です。平等な市民が相互に信頼して作り出した権力に、自らを信託する。ただ、それも歴史のある時点でポンとできたり崩壊したりではなく、日々同意され、日々作られていくのです」
「行政に無視され、憲法が守ってくれないと明日のたれ死んじゃうかもしれないという人たち。そういう人たちと他の個人との関係が本当の憲法であり、それが重なり、できあがっていくのが権力対個人です。釜ケ崎にいると、そこまで解体して考えざるを得ない。彼らが『人間として認めなさい』と訴える闘いの中にしか憲法はありません。普通の、常識的市民の何人かの経験を抽象化するのではなく、徹底的に個人にこだわることが普遍につながると思います」
ー 「憲法を決めるのは国民なのに」という問題意識にもつながりますか。
「理屈でつなげるのは簡単でしょう。法理論はアクロバティックな手品みたいなところがあって、世の中で関係していないものなどおよそありませんから、こういう意味でつながりますと指摘するのは可能です。でも、生身の人の間でつなげるのは難しい」
「20年前の光景そのままに、釜ケ崎には連帯や助け合いが育っていかないのがつらい。ここには一番孤立化された個人の問題があります。だからこそ、憲法が一番必要だと思ってきたし、言い続けています」
ー 孤立化した個。いまの社会に広がっていませんか。
「日雇い労働者が消えつつある一方で、若い世代の雇用が不安定化しています。派遣、非正規、それに合わせて正規雇用の労働条件が厳しくなる。日本中、どんどん釜ケ崎化しています。この社会、最後の行き場が釜ケ崎です。いわば安全弁です。その労働者が生きていけるようにして下さい。個人として尊重されて。そうしたら、派遣や非正規の条件もそれよりは良くしなきゃいけなくなる」
「年下の友人の牧師に聞いて印象に残った聖書の話があります。理想論と言われるのを承知で紹介します。100匹の羊の群れから1匹がいなくなったら、99匹を残して捜しに行く、と。この1匹は釜ケ崎の日雇い労働者です。1匹くらいしょうがないと切り捨てたら、どうでしょう? 次に捨てられる2匹目はどいつだと恐怖に駆られる。その連鎖です。最初の1人でなんとかしなきゃいけない」
「労働者の問題は平和の問題でもあると私は思います。ユダヤ人の政治哲学者、ハンナ・アーレントがナチス親衛隊員の言い訳を書き残しています。『私は5年間失業していた。やつらは私をどうにでもできたさ』。一生懸命に家族を守ろうと思うほど、生活のためには何でもやるようになってしまう。労働者が安定した仕事、収入を得られない社会というのは軍事化していく社会だと思います。安全保障だけやっていてもだめですよ。一番身近な暮らしの問題が平和問題なんだと思います」
(聞き手・村上研志)
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