2025年3月29日土曜日

大杉栄とその時代年表(449) 1903(明治36)年6月28日~7月 「日本では君主政体を国体と称するようである。(中略)社会主義なるものは、(中略) いわゆる国体、すなわち、二千五百年一系の皇統が存在するということと、矛盾・衝突するのであろうか。この間題に対して、わたくしは、断じて否と答えねばならぬ。(中略)社会主義は、かならずしも君主を排斥しないのである。」(幸徳秋水『社会主義神髄』付録「社会主義と国家」)

 

幸徳秋水『社会主義神髄』(朝報社)

大杉栄とその時代年表(448) 1903(明治36)年6月16日~24日 「桂の奇襲」により桂内閣で日露戦争を乗切る合意成立。伊藤の棚上げ工作。伊藤元老の「二役」(元老で政友会総裁)解消についての「一案」(枢密院議長に就任させ、政党から「足を洗わせる」)決定 より続く

1903(明治36)年

6月28日

閣議、潮汕(広東省汕頭から潮州)鉄道に、個人名義で70万円の出費を決定。

6月29

『蘇報』事件。章炳麟、鄒容ら『蘇報』で排満革命を主張したため上海で捕らえられる。愛国学社閉鎖。清朝は引渡しを要求するが、租界当局は拒否、会審公堂で裁判。

6月29

池辺三山、密かに元老山県に手紙、開戦策を訴える。御前会議で決定した日露協商談判の方針はかえって日本を危地に陥れることになりかねない、ロシアが旅順に軍備整備を行っている今日、閣下の猛断勇快によって元老や政府を動かしてほしい、という。

6月29

滝廉太郎(25)、没。

6月30

内村鑑三「戦争廃止論」(「万朝報」)

7月

北洋常備軍左鎮、整う。                     

7月

この頃、渡良瀬川沿岸全域の鉱毒被害民の運動停滞

既に前年35年後半には「雲竜寺は廃寺同様」となり、この頃には「地方数回の集会不活発、不寄ゝゝにて延会し、終に結局は出来ぬゝゝで畢る」有様。翌8月には東京芝口越中屋の東京鉱毒事務所も閉鎖。

①権力・古河らの「離間」工作。

②生活困窮化。

③前年の大洪水により被害地が渡良瀬川下流の谷中・利島・川辺に移動。

④前年9月の大洪水に伴う10里にわあたる山崩れが、新土を沿岸にもたらしこの年秋の収穫期には豊作となり、政府・古河の予防工事の宣伝を信じさせ、かつ、治水により鉱毒被害を防げるという幻想を与える。

⑤日露対立が切迫し、ジャーナリズムによる鉱毒世論も沈静化。

7月

片山潜『我社会主義』幸徳秋水『社会主義神髄』。2書刊行

幸徳秋水『社会主義神髄』(11月までに6版)

自序


「『社会主義とは何ぞ』是れ我国人の競ふて知らんと欲する所なるに似たり、而して又実に知らざる可らざる所に属す。予は我国に於ける社会主義者の一人として、之を知らしむるの責任あるを感ずるが故に、此書を作れり。

近時社会主義に関する著訳の公行する者、大抵非社会主義者の手に成り往々独断に流れ正鵠を失す、其然らざるも或は僅に其一部を論じ、或は単に一方面を描くに過ぎず。而して浩瀚(こうかん)の者は却って煩冗に過ぎ、短簡なる者、亦要領を得難きの憾(うら)み有り。是を以て予は本書に於て、勉めて枝葉を去り、細節に拘せず、一見明白に其大綱を了会し要義に透徹せしめんことを期せり、世間未だ社会主義の何たるを知らざるの士之に依て、所謂『鳥眼観(バーヅアイ・ヴユー)』を做すことを得ば、幸ひ甚し。・・・」


付録「社会主義と国家」では、


「日本では君主政体を国体と称するようである。(中略)社会主義なるものは、(中略) いわゆる国体、すなわち、二千五百年一系の皇統が存在するということと、矛盾・衝突するのであろうか。この間題に対して、わたくしは、断じて否と答えねばならぬ。(中略)社会主義は、かならずしも君主を排斥しないのである。」


と、社会主義が国体と矛盾・衝突しないことを述べ、さらに、


「わが日本の祖宗・列聖のような君主、ことに「民の富は、朕の富なり」とのたもうた仁徳天皇の大御心のようなのは、まったく社会主義と一致・契合するもので、けっして矛盾するところではないのである。日本の皇統が一系で連綿とつづいているのは、じつに祖宗列聖が、つねに社会人民全体の平和と進歩と幸福とを目的とせられたがために、かかる繁栄をきたしたのである。これは、じつに東洋の社会主義が誇りとするところであらぬばならぬ。」


と、日本の天皇制を賛美している。

このころの秋水は、社会主義の主張は、経済組織の改革であって、国体にも政体にも関係ない、と考えていたようだ

〈社会主義に関する著作〉

明治34年:

安部磯雄著『社会問題解釈法』、久松義典著『最近国家社会主義』『社会研究新論』『社会小説東洋社会党』、片山潜著『普通選挙』、片山潜・西川光二郎共著『日本の労働運動』、幸徳伝次郎述『廿世紀の怪物帝国主義』、西川光二郎『社会党』、島田三郎『世界の大問題社会主義概評』など。

明治35年:

赤羽一著『鳴呼祖国』、煙山専太郎『近世無政府主義』、幸徳秋水著『長広舌』『兆民先生』、西川光二郎著『英国労働界之偉人ジョン・バアンズ』『人道之戦士社会主義の父カールマルクス』、大原祥一著『社会問題』、矢野文雄著『新社会』

明治36年:

安部磯雄著『社会主義諭』、ベラミー著・平井広五郎訳『百年後の新社会」、久松義典著『社会学と哲学』『社会学と事業』、磯野徳三郎著『社会主義新小説文明の大破壊』、ゾンバルト著・神戸正雄訳『一九世紀に於ける社会主義及社会的運動』、片山潜著『都市社会主義』『我社会主義』、木下尚江著『社会主義と婦人』、児玉花外著『社会主義詩集』、幸徳秋水著『サン・シモンの伝』『社会主義の根底』『社会主義神髄』、守屋源次郎著『独逸社会史附社会改良の方策』、中山伝之丞著『社会主義提要』、西川光二郎著『富の圧制』、高橋五郎著『社会主義活弁』、山口義三著『破帝国主義論』など

7月

日本基督教青年会同盟(YMCA)、結成

7月

日本郵船(株)、青森~室蘭間に定期航路開設。

7月

琵琶湖第1疎水に初の鉄筋コンクリート橋架設。

7月

尾上菊五郎没(1月)により、出演作「紅葉狩」が初公開される。

7月

柴田環ら最初のオペラ上演。

7月

山川登美子、「去年よりひとり地に生きながらへて」のことばを添えて、「夢うつつ」と題するうた10首を「明星」7月号に寄せてくる。

7月

大杉栄(18)、福島連隊区司令部副官を命じられた父東と共に弟妹も引っ越していた福島を訪ね1ヶ月ほど過ごす。

7月

この月(日不詳) 安倍能成、第一高等学校学年試験に落第し、宮本和吉と同級になり、親しく交わる。(宮本和吉は、安倍能成の妹せつと結婚する)

7月

この月(日不詳)、森田草平、東京帝国大学文科大学英文学科へ入学決る。

11月、本郷区丸山福山町四番地(現・文京区西片一丁目十七番七号)伊藤ハル方に入居する。暫くして、樋口一葉旧居と知り感激する。

7月初め

7月初め頃、漱石、大学を辞める旨、学長に申し出たが説得されて撤回。


「六月末(不確実な推定)から七月二日(木)の間、東京帝国大学文科大学長井上哲次郎に大学を退職したいと述べ、止められて引き返がる。」(荒正人、前掲書)


「六月十五日午後におこなわれた『英文学概説』(『英文学形式論』)の試験も不成雛だったので、金之助は辞職を決慧した。彼は井上哲次郎にかわって文科大学長になっていた坪井九馬三に面会を求めて学生の学力の実情を報告し、改革に関する意見を述べ、自分には到底つとまらないから辞めさせてほしいと頼みこんだ。しかし坪井は、「まああまり固苦しくお考えなさるな」といってとりあおうとせず、金之助は結局慰留された。」(江藤淳『夏目漱石とその時代2』)

7月

漱石の妻、鏡子


「七月、鏡、悪阻と肋膜後遺症で、尼子四郎の診察を受ける。」(荒正人、前掲書)

7月

二葉亭四迷(39、長谷川辰之助)、北京より帰国(11日、北京発)。大陸滞在1年3ヶ月。明治35年6月よりウラジオストク~ハルビンを経て、北京で川島浪速差配の京師警務学校で提調(事務長)を務める。暫く田端で閑居静養し、翌年明治37年3月より大阪朝日新聞東京出張員となる。

前年5月、外国語学校教授を辞任してウラジオストックに渡る(貿易商徳永茂太郎商店の顧問)。

6月、ハルビンに移る。

10月16日、徳永商店と縁を切り、外国語学校時代の友人川島浪速が清国政府に依嘱されて経営していた京師警務学堂の提調代理(教務主任)に就任。

二葉亭の言う川島の「漢学で固まった貴族主義」と二葉亭の「洋学まじりの平民主義」との食いちがい、川島浪速の言う「彼の人情哲学と、吾輩の治国統民の経綸観」との相違が次第にはっきりしてくる。

7月

この頃、正宗白鳥(24)、「読売新聞」入社。月給15円。帝大出身者は20円、早稲田は15円と決まった初任給。

入社早々ストライキがあり、殆どの記者はこれに加わる。正宗は、入社早々だから仲間に入らなくてもいいと言われ除外された。他に、明治31年に入社し、文芸部主任兼社会部主任となっている上司小剣がこれに加わっていない。ストライキに参加した者はみな辞めて、入社早々の正宗と、上司小剣とが古参社員となった

7月

永井荷風、7月1日、「夜の心」を「新小説」に、「燈火の巷」を「文芸倶楽部」に掲載。

「小説 恋と刃」(ゾラ「獣人」の翻案)を「大阪毎日新聞」(9日から8月23日まで46回)に連載。

7月

ロシア、自由主義者、インテリゲンチャ、ゼムストボ(地方自治会)の労働者で構成される解放同盟結成。ロシアに自由主義憲法要求。

7月

セルビア、社会民主党結成。

7月

ベルリンで国際通貨会議。金本位国・銀本位国間の固定平価決定。

7月

東京高等師範学校教授平田禿木、オックスフォード大学に留学。先に行っていた島村抱月と共に学ぶ。


つづく

0 件のコメント: