2025年3月24日月曜日

大杉栄とその時代年表(444) 1903(明治36)年5月9日~21日 漱石、「第一高等学校に初めて出講する。藤村操に指名すると昂然として、「やって来ません」と答える。〝何故やって来ない〞と聞き返すと、「やりたくないからやって来ないです」とか何とか答えるので、”此次やって来い”と言い渡す。」 / 「第一高等学校で、前回にも指名した藤村操に訳読を指名すると、また予習して来ない。”勉強する気がないなら、もう此教室へ出て来なくてよい”といい渡す。」(荒正人) 

 

藤村操

大杉栄とその時代年表(443) 1903(明治36)年5月1日~8日 「夏目先生のあの批評的なそして又叡智的な目とあのカイザー型の気取つたお髭とはなんとなく私達書生にとりて、接し難いやうな畏ろしいやうな印象を與へたのである。」(金子健二『人間漱石』) より続く

1903(明治36)年

5月9日

米、ヘイ国務長官、高平小五郎駐米公使に対露交渉に関して日英米連合運動の必要を認めずと言明。

5月10日

参謀本部各部長(主務者第1部長松川敏胤大佐)、軍備整頓の意見書を総長大山元帥へ提出。

12日、大山元帥、上奏。後、写しを首相桂太郎大将・陸相寺内正毅中将・軍令部長伊東祐亨大将に送る。

参謀本部では、これまでにも総務部長井口省吾少将、第一部長松川敏胤大佐、第二部長福島安正少将らが、次長田村怡与造少将に戦備促進の意見を具申。

海軍も「事態ノ急迫」を感得し、5月9日、軍令部参謀小田喜代蔵中佐が参謀本部総務部長井口少将を訪ねる。井口少将は、参謀本部の意見は未確定だが「余一個ノ意見」として、「露国ノ横暴ハ、口舌ヲ以テシテ之ヲ抑止スべキニアラズ。帝国タルモノ断然タル決心ヲ採ルハ巳ムヲ得ザル所ニシテ、又最モ時宜ニ適スルモノナリ」と延べ、小田中佐も、海軍側の観察として「我ガ帝国ノ決心一日遅ルルハ一日ノ不利ナリ」と述べる。

参謀総長大山巌元帥の上奏:

「……今後ニ於ケル露国ノ行動ハ、其慣用手段タル脅喝ヲ以テ帝国ヲ威喝シ其態度ノ硬軟ヲ見テ多少ノ利ヲ占メソトスルカ、若クハ飽ク迄モ兵力ニ訴へ勝敗ヲ決セントスルカニアルベク、目下ノ戦略関係ハ我ニ有利ナルモ、年月ヲ累ヌルニ従ヒ彼是其情勢ヲ転ズルニ至ルベク、且韓国ニシテ彼ノ勢力下ニ置カルルニ至ラバ、帝国ノ国防亦安全ナラザルベシ。

宜シク速ニ帝国軍備ノ充実整頓ヲ図ルベシ」


この日は、第18特別議会開会日。意見書は、前議会から難航している軍備拡充予算通過に対する、政府の一層の奮発を促す狙いもある。

5月11日

留日学生黄興ら、軍国民教育会設立。

5月11日

全国慈善大会、大阪で開催。日本慈善同盟会(のち中央慈善協会を経て中央社会事業協会)の設立可決。

5月12日

草野心平、誕生。

5月13日

ロシア兵、義州付近に侵入。

5月13日

漱石、第一高等学校に初めて出講

第一高等学校に前年9月に入学し、このとき1年級にいた生徒には、野上豊一郎(20)、茅野儀太郎、安倍能成(20)、青木得三、中勘助、有田八郎、前田多門、堀切善次郎、藤村操(17、東京高等師範学校の歴史学の教授那珂通世の甥)などがいた。

臼杵中学から来た野上豊一郎は、五高の雑誌に夏目が俳句を書いていたことを知っており、松山中学から来た安倍能成は、小学生のとき松山中学の先生だった夏目の後をつけて歩いたこともあり、夏目が子規の友人であり、俳句を作っていることを知っていた。

「五月十三日(水)、曇。東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Silas Marner (『サイラス・マーナー』)を講義する。第一高等学校に初めて出講する。藤村操に指名すると昂然として、「やって来ません」と答える。〝何故やって来ない〞と聞き返すと、「やりたくないからやって来ないです」とか何とか答えるので、”此次やって来い”と言い渡す。(野上豊一郎)

五月十四日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Silas Marner (『サイラス・マーナー』)を講義する。

五月十八日(月)、雨。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

五月十九日(火)、曇。東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Silas Marner (『サイラス・マーナー』)を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

夜、寺田寛彦・高浜虚子・坂本四方太・帝国大学文科大学学生某(氏名不詳)など来る。みやげに団子持参する。能・文章・故正岡子規・中村不折などについて話す。 Water Color (水彩画)をみる。苺を出す。(「寺田寅彦日記」)」(荒正人、前掲書)

5月14日

長崎三菱造船所鉄工部900名賃上要求スト。~19日。

5月15日

英、ランズダウン外相、露の鉄道敷設計画に警告し、ペルシア湾の英権益擁護を声明。

5月15日

英、関税改革運動開始。ジョゼフ・チェンバレン植民相、保護関税を提唱。反対論多数。

5月16日

朝鮮、駐清公使内田康哉が派遣した「東文学社」教習横川省三・義州の材木商宮崎某、ロシアが進出した龍岩里部落入り。怪しまれ退去し、別に清国人張発を派遣。全てが参謀マトリトフ中佐が管轄し、「東亜木材会社」も政府事業と見る。

5月17日

幸徳秋水「日本の東洋政策」(「万朝報」)。この時点では、秋水はまだ朝鮮領有化を主張している。


「日本今日の急は朝鮮の経営に在り、……、人口過剰に苦しめる日本は、彼の茫漠たる朝鮮の沃野を以て、何ぞ直に日本農民の鋤犁(すき)の下に置かざるや、若し多数の人口にして朝鮮の地に住し、其富源は、其農工は、全く日本人の手に落つるに至らば、是れ朝鮮を以て事実上、日本のプロテクトレート(保護領)と為す者に非ずや」


5月19日

衆議院委員会、地租増徴案否決。

20日、桂首相、政友会総務と正式の妥協交渉開始。

21日から3日間停会。

24日、政友会議員総会で妥協案承認。尾崎行雄・片岡健吉・林有造らは反発して脱党。政友会からの除名・脱党者、政友倶楽部結成。)

25日 政府、地租増徴継続案撤回。

5月20

漱石、一高の講義で予習をしてこない藤村操を叱る


「五月二十日(水)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Silas Maner (『サイラス・マーナー』)を講義する。第一高等学校で、前回にも指名した藤村操に訳読を指名すると、また予習して来ない。”勉強する気がないなら、もう此教室へ出て来なくてよい”といい渡す。(野上豊一郎)

五月二十日(木)、雨。東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Silas Marner (『サイラス・マーナー』)を講義する。訳読の指名を避けるために、入口近くに坐っていた学生に指名してみると、出来がよくないので、絞る。(最近は、前の席はがら空きである。指名を避けるためである)

菅虎雄宛手紙に、東京帝国大学文科大学の講義の評判が悪いこと、大塚保治の三女が死去したので、漱石が借用していた金を返却して欲しいといわれ、山川信次郎から融通して貰い、返却に応じたこと、その時自転車の稽古をしてみたことなど伝える。」(荒正人、前掲書)

5月21

清国の皇族貝子載振参内謁見。

5月21

英、帝国関税組合設立を求めるジョゼフ・チェンバレンのキャンペーンにより関税同盟が創設。大英帝国内の特恵貿易を促進。

5月21

大審院、盗電有罪判決。電気は有体物ではないが、可動性・管理可能性を有するため窃盗罪の対象となりうるとする。

5月21

清国の皇族貝子載振参内謁見。



つづく


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