2026年2月8日日曜日

大杉栄とその時代年表(748) 1907(明治40)年9月1日 朝鮮駐剳軍司令官長谷川好道、義兵討伐。徹底的焦土作戦、殺戮指示。 「討伐隊ハ以上ノ告示ニ基キ、責ヲ現犯ノ村邑ニ帰シテ殺戮ヲ加ヘ、若クハ全村ヲ焼夷スル等ノ処置ヲ実行シ、忠清北道堤川地方ノ如キ皆目殆ント焦土タルニ到レリ(「朝鮮暴徒討伐誌」)

 

長谷川好道

大杉栄とその時代年表(747) 1907(明治40)年8月22日~31日 韓国、忠清北道堤川地方で「全村焼夷」作戦実施。 駐留軍司令部発行の『朝鮮暴徒討伐誌』は、「村邑は極目殆んど焦土たるに至り」と報告。イギリスの「デイリー・メール」紙も、「堤川は地図の上から消え去った」と報道した。 「英国政府が、日本軍隊の行動、往々過酷に渉るとの風聞ありと連絡してきた」と、当時の林外相は伊藤統監に注意を喚起している。伊藤統監は、「苛酷に失する軍事命令ありたるを以て、軍司令官に其の命令を変更せしめ」ると返答している。

1907(明治40)年

9月

韓国、朝鮮駐剳軍司令官長谷川好道、義兵討伐。徹底的焦土作戦、殺戮指示。

「討伐隊ハ以上ノ告示ニ基キ、責ヲ現犯ノ村邑ニ帰シテ殺戮ヲ加ヘ、若クハ全村ヲ焼夷スル等ノ処置ヲ実行シ、忠清北道堤川地方ノ如キ皆目殆ント焦土タルニ到レリ(「朝鮮暴徒討伐誌」)。

-9月

韓国、統監府、改組。統監の下に副統監ー総務長官をおき、韓国政府に送り込んだ日本人次官を統監府参与官とする。

-9月

清国、袁世凱、外務部尚書兼会弁大臣に任じられ、軍機大臣職を授かる

義和団の乱で、山東巡撫であった袁世凱は自らの治下での反乱を逸早く鎮圧し、青木宣純ら軍事顧問のもとに創設した新建陸軍の強さを証明した。西太后の朝廷は各省の指導者に義和団と結んで欧米列国軍を攻撃する命令を下すが、袁世凱は両広総督李鴻章・両江総督劉坤一・湖広総督張之洞らと協調し、諸外国と東南互保の盟約を結び、朝廷の命令には従わず領土と軍隊を保全した。結局、義和団の乱は列国軍によって鎮圧され、西太后に動員された北京周辺の清軍はほとんど壊滅し、袁世凱の力は相対的に強まった。


1901年(光緒27年)、李鴻章は没するにあたり袁世凱に北洋通商大臣兼直隷総督を引き継ぎ、北洋軍が誕生する。袁は、新建陸軍事務、直隷総督、北洋大臣を得たことで政治的な立場が上がり、その後、栄禄ら有力者が没していく中で権勢を強めた。


日露戦争にあたっては、開戦に先立つ光緒29年(1903年)11月中旬、袁世凱は青木宣純と天津で会見して、「情報は入り次第日本側に渡す。馬賊の使用に関しては、その蜂起を直隷省以外で行うのなら支障ないので、秘密裏に援助しよう」と返答していた。これに基づき、表面上は厳正中立としたが、袁世凱は諜報や馬賊隊編成などで日本に協力し、諜報将校を日本軍の特別任務班に派遣した。


政治家としえの袁世凱の政策は、国債などによって諸外国から金を借り、その資金によって陸軍の洋式化、教育機関の拡充、鉄道、銀行などのインフラ整備を行っていくというものであった。この方式は辛亥革命後に彼が大総統になった後も変化がなく、日独露英仏の列強5ヵ国から借りた。資金を借りることで列強に侵略されるリスクについては、各国に平均して頼ることで回避が可能であると考えていた。日露戦争後に日本が東三省において独占的な権益の確保を企てるが、彼はアメリカを同地に介入させることで、日本の侵食を阻止しようとしている。


そして、この年(1907年)、袁世凱は軍機大臣・外務部尚書となった。この時期、翌年の辰丸事件を機に中国南部沿岸で日貨排斥運動を煽るなど、日本の影響力を削ぐ活動も行った。

(Whikipediaより)

9月

ウラジオストクに日本総領事館設置。これ以前は貿易事務館。

9月

坂本清馬(22)、小石川砲兵工廠を失職。大久保百人町の幸徳家の書生となる。

9月

(漱石)

「九月(推定)、戸川秋骨を訪ね、大久保に貸家を見に行く。その家を外から眺め家賃を聞くと余りに安すぎる。こんな立派な家が安く借りられる筈はないと思い初めから問題にしない。(戸川秋骨)」(荒正人、前掲書)


9月

鈴木文治「社会問題と基督教徒」(「新人」)。社会的実践と意欲。

9月

森鴎外「うた日記」(「春陽堂」)

9月

正宗白鳥「紅塵」(「彩雲閣」)

9月

片上天弦「無解決の文学」(「早稲田文学」)

9月

ガンディー、トランスバール内のインド人の間に初めて非暴力抵抗運動を組織。

9月

サロニカに本拠をおく「オスマン自由委員会」のメフメット・タラートやイスマイル・エンヴェル、パリの「統一と進歩委員会」と連絡をとり、この月、両者を合同。名称をパリ・グループの「統一と進歩委員会」(「青年トルコ党」と呼ばれる)に統一するが、組織の枢要はタラートのグループが握る。サロニカに戻ったムスタファ・ケマルもこの組織に加盟。

9月

ベトナムのタインタン帝、レユニオン島に流刑。

9月1日

中国革命派、広東州などで挙兵。~17日。

9月1日

総武・房総・七尾・徳島の4鉄道を国有。

9月1日

三越大阪店に百貨店初の美術部「新美術部」が創設される。

9月1日

東北帝国大学が発足し、札幌農学校が東北帝国大学農科大学となる


つづく

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