2026年2月18日水曜日

大杉栄とその時代年表(758) 1907(明治40)年11月10日~22日 「『読売新聞』に、白雲子「漱石の人物と其作物」掲載される。・・・人物では徳義を知らず、作物では第三流に位すると批評する。自然主義者たちの反感を代表したものというよりも、『読売新聞』の漱石への反感を露骨に主張したもので、非難と罵倒の限りを尽くしている。『読売新聞』では、明治三十九年末頃から明治四十年初めまで、入社を期待し再三「社告」を出したにも拘らず、裏切られたという感じが強かったと推定される。」(荒正人)   

 

大杉栄とその時代年表(757) 1907(明治40)年11月1日~9日 大韓帝国第2代皇帝の純宗、即位に伴い、それまでの宮殿であった慶雲宮から昌徳宮へ移る。これにより、高宗は徳寿宮(旧・慶雲宮)に取り残され、実質的な影響力を削がれる。 より続く

1907(明治40)年

11月10日

日米官憲、不敬事件取締協議。領事代理松原一雄が地方検事デブリン・移民局長ノースを訪問。

11月11日

ニューヨークの「コール」紙に「暗殺主義」全文掲載。センセーションを巻き起こす。

11月12

内相原敬、西園寺首相訪問。山県有朋系の倒閣工作への抵抗決意促す

11月12

片山潜、「渡米」創刊。

11月13

秋山真之、慶應野球部に「褌論」を贈る

11月13

大杉栄(22)、午前10時、東京控訴院第3号法廷で電車賃値上反対騒擾事件控訴審の第六回公判が開かれ結審。判決言い渡しは同月25日(月)午後1時と告げられる。午後5時閉廷。

11月14

台湾、北埔事件。

11月14

韓国皇太子李根入京。

11月14

(漱石)

「十一月十四日 (木)、森田草平・川下江村・生田長江共著『草雲雀』 (服部書店)、漱石の序文掲げ刊行される。

藤岡作太郎宛手紙に『虞美人草』推質の礼をのべる。」(荒正人、前掲書)

11月14

[露暦11月1日]第3国会開会。富裕階級優遇の選挙法で反革命派が勢力を得る。

11月中旬

渡米中の東大高橋教授、在米無政府主義者の動静報告。

11月15

西川光二郎、「社会新聞」と「日本平民新聞」との関係断絶を森近運平に通告。

11月15

福田英子「羽織紐着の教訓」(「世界婦人」第19号)

11月15

大杉栄(22)、神田区三崎町の吉田屋で開かれた出獄歓迎を兼ねた金曜後援会(第11回)に参加。山川均が歓迎の辞を述べる。

16日、神田区和強学堂で開かれた日本エスペラント協会第2回大会で、引き続き評議員に選ばれる。

17日午後7時、神田区三崎町の「週刊社会新聞」編集部で開かれた大杉栄君出獄歓迎を兼ねた社会主義研究会に出席。西川光二郎が講演。田添鉄二、鈴木楯夫、岡千代彦、松崎源吉、半田一郎、斎藤兼治郎が歓迎の辞を述べ、その後に大杉が謝辞を述べる。茶華の饗応があった。10時散会。参加者70名。"

11月15

岡倉天心(44)、横浜港から出航、第3回目のボストン美術館勤務のためアメリカに向かう。

41年7月、ヨーロッパからシベリア鉄道経由で、中国の北京を回って帰国。

11月16

米、オクラホマ州、合衆国加盟(46番目)。

11月16

アメリカ合衆国が日本人労働者移民の渡航制限を要請する。

11月17

大韓協会結成。大韓自強会の後継団体。抗日路線貫徹出来ず。

11月17

西川光二郎、田添鉄二、片山潜の分裂声明。「社会新聞」第25号。

片山潜 ; 「幸徳兄今日の立場は明に無政府主義の立場なり・・・堺兄は準無政府主義なり・・・余は両兄らと一切の関係を絶つべし」と断言。

11月17

(漱石)

「十一月十七日 (日)、松根豊次郎(東洋城) (赤坂区表町一丁目一番地、現・港区元赤坂一丁日) を訪ねようと外出する。途中で高浜虚子に会い、牛肉馳走になり、松根宅を訪ねることを中止する。

『読売新聞』に、白雲子「漱石の人物と其作物」掲載される。

十一月十八日 (月)、文芸協会から演芸会の特等席の招待券(一円五十銭) を貰う。(推定) 高浜虚子宛葉書で、この招待券を貰っていたら一緒に行きたい。一人でなら、それほど行きたくないと伝える。

十一月二十二日(金)、文芸協会の演芸会から高浜虚子に招待券が来ていないとの返事で、行かぬことにする。


『読売』記事;人物では徳義を知らず、作物では第三流に位すると批評する。自然主義者たちの反感を代表したものというよりも、『読売新聞』の漱石への反感を露骨に主張したもので、非難と罵倒の限りを尽くしている。『読売新聞』では、明治三十九年末頃から明治四十年初めまで、入社を期待し再三「社告」を出したにも拘らず、裏切られたという感じが強かったと推定される。この日、漱石が『読売新聞』を読んだかどうか分らめが、読んだとすれば不愉快になり、松根東洋城を訪れることになったのであろう。高浜虚子との問でも、この文章は話題になったと想像される。もし、この日に読まなかったとしても、誰かに教えられ数日以内には読んだと思われる。」(荒正人、前掲書)

11月19

浪花千栄子、誕生。

11月21

大阪の活版技工組合加盟70工場で賃上げ要求。

23日、同じく20工場の職工700人同盟罷業。

11月22

文芸協会第2回大会開催(東京本郷座)。

シェイクスピア作、坪内逍遥訳『ハムレット』(5幕)上演。翻訳による初演。他に、杉谷代水作「大極殿」と逍遙作「新曲浦島」。4 日間、ほぼ満員であったものの、財政的には赤字で、逍遥が全額個人負担した。

上演された『ハムレット』については、漱石『三四郎』に取り入れられている。


此ハムレットは動作が全く軽快で、心持が好い。舞台の上を大に動いて、又大いに動かせる。能掛りの入鹿とは大変趣を異にしてゐる。ことに、ある時、ある場合に、舞台の真中に立って、手を拡げて見たり、空を睨んで見たりするときは、観客の眼中に外のものは一切入り込む余地のない位強烈な刺激を与へる。其代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。ある所は能弁過ぎると思はれる位流暢に出る。文章も立派である。それでゐて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみた事を言って呉れれば好いと思った。御母さん、それぢゃ御父さんに済まないぢゃありませんかと言ひさうな所で、急にアポロ抔を引合に出して、呑気に遣って仕舞ふ。

「十一月(日不詳)、本郷座に、文芸協会演芸部第二回公演を見に行く。(推定)


『大極殿』(三場)・『ハムレット』(五幕八場)・『新曲浦島』(二幕)が公演される。どれを見たか不明であるが、『ハムレット』は見たらしい。(『三四郎』からの推定)」(荒正人、前掲書)

11月22

夜、金曜講演会(第12回、神田区三崎町・吉田屋)で、大杉栄(22)、「獄中の研究」を講演。堺利彦の講演中、福田狂ニらの妨害にあう。

その後、大杉ら40名(来会者60名中)は、分派問題の現状に関する協議会を開く。大杉、安井有恒(青山学院事務員)、山川均、椎橋重吉(元平民新聞社員)の4名提出決議案(「在京同志の決議」)を採択。賛成37名で可決。のち全国の同志に配布する。


つづく

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