1908(明治41)年
1月22日
東京実業組合連合会、臨時大会。増税反対決議。
24日、連合会と同一歩調をとる、政府に同調する代議士は次期選挙で再選せぬこと、2月5日に全国実業組合連合大会開催、決定。
1月22日
(漱石)
「一月二十二日(水)、純一(推定)も口内炎、鏡も病気なので、看護婦二人雇う。二十一日(火)菅虎雄宛手紙に「時に僕例の胃病で一寸醫者に見てもらったら小便を試験して是は糖分があるといふコイツには参ったね。」と述べる。糖、二プロツェント出る。
一月二十三日(木)、木曜会。夜、木曜会に集った人達に、糖少し出ているので検査して貰おおうと話す。小宮豊隆も来る。市川文丸、雉千一羽と十和田湖の写真を持参する。豊年祭りに誘われたが辞退する。雉子を料理して食べる。坑夫のモデル荒井某は来月から四谷の大木戸でおでん屋をやるという。(「森巻吉日記」)
一月二十四日(金)、夜、室生新来る。森巻吉は、稲を習いに来る。」(荒正人、前掲書)
1月23日
衆議院、増税案に対する内閣不信任決議案を賛成168、反対177で否決。
1月22日
外務省政務局長山座円次郎、桑港総領事小池張造(領事館が格上げされ初代総領事)に、不敬事件に関わる高橋作衛東大教授の行動について照会。高橋~山縣情報と外務省情報のソースが同一であることが判明(松原領事代理時代の領事館スパイ川崎巳三郎・巽鉄男からの情報)。
1月24日
商業会議所連合会会頭中野武営、農商務次官久米金弥に呼出され、連合会は商業会議所法に趣旨を逸脱し政治に介入している、運動は個人の資格でやれと連合会解散を仄めかす。中野はあくまで初志貫徹と回答。
1月25日
津田梅子、帰国。
1月25日
外務省、ハワイ移民の停止を移民会社に通告。
1月25日
高平小五郎駐米日本大使、前年12月31日の我覚書に対し補追提案(紳士協定第5、第6号)
1月26日
(漱石)
「一月二十六日 (日)森巻吉の父が設立した岐阜訓盲院の生徒たちが資金集めに演芸会(二月六日(木)・二月七日(金))を開催することになり、その切符四枚の売り捌きを頼んで来る。
一月二十八日(火)、渡辺和太郎に、訓育院の切符を依頼するo
一月二十九日(水)、『坑夫』脱稿する。森巻吉と青陽桜で夕食し、演芸館で落語をきく。家庭の不快をもらす。(「森巻吉日記」)
一月三十日(木)、午後、渋川柳次郎(玄耳)・寺田寅彦来る。市川文丸も文学に関する質問で来る。渋川柳次郎と市川文丸は先に帰る。夕食に雉飯を出す。夜、高浜虚子・坂本四方太・森田草平・小宮豊隆ら来る。最近の俳句について語り合う。荒井某も現れる。」(荒正人、前掲書)
1月26日
啄木、町内第一小学校で開かれた愛国婦人会釧路幹事部の新年互礼会に招待され、請われるままに、出席者40余名を前に「現代の婦人に就て」と題し、得意の婦人解放論をしゃべる。
この演説は好評を博しので、気をよくした彼は、これを「新時代の婦人」と改題し28日付の紙上に掲載。彼の名は町の婦人層にまで知られるようになる。
1月27日
京都商業会議所、帰洛した西村会頭の連合会活動報告を承認、
翌日、議員・実業組合員200を集め会頭の運動報告実施。
月末~2月初、各同業組合が商業会議所連合会支援・増税反対・政府支持代議士非再選を決議。
1月27日
一木喜徳郎ら、東京都制案を貴族院に提出。不成立。
1月27日
墺エーレンタール外相、バルカンのサンジャク・ノヴィバザールを貫く鉄道敷設(ギリシャのサロニカまで)計画発表。モンテネグロと反墺のセルビア分断狙い。
1月28日
『東瀛珠光』(6巻、~1909年12月25日、審美書院)。
1月28日
大審院第一号法廷で電車賃値上げ反対運動の上告審公判。
1月28日
仏英関税条約、ワシントンにて調印。
1月29日
閣議、内相原敬、農相松岡康毅に商業会議所連合会の活動に対して、「相当の処置をなすべき事」を促す。
1月29日
この日付「釧路新聞」紙上投書欄「はがき集」
「以前其新体詩にあこがれつつありし予此度啄木氏の入社を聞き懐しさに堪へず希くは近く結ばれむとする和歌会の為にも尽力の程を」
1月29日
ブルガリア、マリノフ内閣成立。
つづく

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