2009年10月8日木曜日

京都 三条通りから寺町通りを歩く(1) 染殿地蔵 錦天満宮

京都の三条通りを烏丸通りから東へ、レトロな街並みを眺めながら歩いてきました。
弁慶石を過ぎ、旧京都大毎会館を過ぎると、寺町通りにぶつかります。
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そこで、今回からは、寺町通りを歩くことにします。
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寺町通は、五条大橋西詰から北上、四条通りを渡り、新京極通と並行してアーケード商店街となり、御池通~京都市役所の西~下御霊神社を過ぎ、京都御苑の東側を行く。更に、今出川通を北上すると、東側は寺が並び、鞍馬口通に達する約4・6キロの通りである。
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寺町通は、平安京の時代には最も東に位置する東京極大路にあたる。そののち天正18年の秀吉の京都大改造により、通りの東側に市中の寺、とくに民衆が多く信仰していた浄土宗、日蓮宗、時宗の寺院を整然と並べ、この通りの名となる。
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しかし、明治維新後は、衰退した京都を復興させるべく、四条通~三条通間の寺の境内を買収して、新京極として繁華街にされた。
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寺町三条にある説明板
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寺町三条を左折し、
左に見えるアーケードの下を北上するのもいいが、
一旦、四条通りまで下り、
そこから寺町通り(新京極通り)を北上することにする。
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四条新京極上ル西側にある説明板
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四条新京極角(南西方向を見る)
歩道の向こうにあるのは八坂神社の御旅所
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染殿地蔵(そめどのじぞう)
四条新京極西入ル北側(甘栗屋「林万昌堂」横から入る)
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染殿地蔵は染殿院といい、
かつてこの一帯に寺域を広げていた時宗の寺「金蓮寺」の一子院。
平安前期、文徳天皇(位850~58)の女御藤原明子(染殿后)が
ここの地蔵に祀り、皇子(のちの清和天皇)を無事に産んだとの言い伝えがあり、
安産の地蔵として信仰されている。
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錦天満宮
新京極四条上ル
もともとここにあった時宗の歓喜光寺の鎮守社であったが、
明治維新の神仏分離政策により寺は東山五条に移され、
神社だけが残ったもの。
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ここから西の通りが、錦小路通で、
とくに寺町通から高倉通までが、京の台所とし知られる「錦市場」
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