「南京戦」シリーズは終わります、と前に書いたのにまた「南京」?。
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先週と先々週、偶然にも続けて知人から「南京」についての感想をメールで貰った。会社の同期入社の人と高校生時代からの友人からであった。
こんな暗いテーマでも読んでくれていたんだ。
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このシリーズの初め、「真理は死んだ」とか「来るべきものへの悲しい予感」という副題を付けていました。その後、キザで恥かしくなり止めましたが。
実は、この副題は、ゴヤの「戦争の惨禍」という版画作品の「題」から貰ったものです。
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「南京」は色んなことを問いかけますが、
その一つは、・・・
「人間とはかくも残虐になれるのか」
ということだと思う。
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この事だけに問題を限定すると大きな過ちを犯すことになる危険を認識しながらも、やはりこの事を考えざるを得ない。
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つまり、誰が、何が、人をかかる環境、境遇に追いやるのかの観点を見失うのはマズイ、ということなんですが、それが重要とは認識しつつ、
やはり・・・
「人間とはかくも残虐になれるのか」
という「怖さ」は残る。
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ゴヤ「戦争の惨禍」
中身はこのサイトが参考になります。
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以下、堀田善衛「ゴヤ」より
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「 版画集『戦争の惨禍』(・・・)は、大体のところ戦争の最中である一八一〇年から、フェルナンド七世が復位してマドリードに帰り、最悪の反動政治を開始する一八一四年頃までの間に刻まれたものであった。そうして公式の出版は、ゴヤの死後三五年も経た一八六三年のことである。
・・・
歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤとともに人間に絶望をしなければならなくなる。
この絶望を越えて、なおも生きて行くことが出来るためには、人間がかかるものであることを身に徹して認識し、表現してかからねばならぬ。
それでもなお絶望は克服されつくしはしないであろう。人間はこのあとあとも戦争の惨禍をくりかえし、南京大虐殺からアウシュヴィッツ、原子爆弾までも投げつけるのである。ベトナムのミイ・ライ事件のこともある。墓のなかまでもって行くよりほかに道はない。
・・・ 」
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時代はナポレオン戦争の頃です。ナポレオンのロシア侵攻が1812年。この時期のことです。
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ゴヤ〈4〉運命・黒い絵 (朝日文芸文庫)
(上記の引用は(3)からのものです)
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「★南京戦インデックス」をご参照下さい。
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