先日、
桜を歌った歌としては、
「福山雅治とか(コチラ)、森山直太朗がいるけど、
少し前だったら坂本冬美「夜桜お七」しかなかった。
・・・と、実は、ずっと思っていたけど、」
と前置きして、
「花びらが散ったあとの 桜がとても冷たくされるように」(伊勢正三「ささやかなこの人生」)
を挙げたけれど、
また一つ思い出した。
「赤色エレジー」(作詞:あがた森魚、作曲:八洲秀章)(1971年)
愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて
昭和余年は 春も宵
桜吹雪けば 情も舞う
さみしかったわ どうしたの
お母さまの 夢みたね
おふとんもひとつ ほしいよね
いえいえこうして いられたら
あなたの口から さよならは
言えないことと 思ってた
裸電球 舞踏会
踊りし日々は 走馬灯
幸子の幸は どこにある
愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて
幸子と一郎の 物語
お涙ちょうだい ありがとう
誠にインインメツメツ、「昭和余年」とはいうものの調子は大正琴のごとく。
「赤色」がまた、なにやらアナーキーな雰囲気を醸して。
作者や作曲の背景などはWikiをご参照下さい。
赤色エレジーWiki
あがた森魚Wiki
作曲は実際はあがた森魚だったんだけど、曲があまりに「あざみのうた」に似ているので、レコーディングの際に無用な摩擦を怖れて、会社が「あざみのうた」の作曲家の作曲ということにしたらしい。
当時、八洲秀章はビクター・レコードの重鎮で専属作曲家・指揮者でもあったので、色々慮ったビクター・レコードが間に立って<作詞:あがた森魚、作曲:八洲秀章>とすることにした、という説もあるとか。
あがた森魚が作曲のインスピレーションを得たのは林静一『赤色エレジー』というもの。
Goo映画からその背景などをコピペ。
あらすじ・解説 - 赤色エレジー
月刊漫画ガロに1970年1月号から1971年1月号まで連載された林静一の代表作『赤色エレジー』。これに感銘を受けたあがた森魚によって主題歌が生まれた。そして言葉と画、音楽がひとつの“現象”となり、空前のブームを巻き起こした。団塊の世代にとっては、懐かしいに違いない。40年近い時を経てもなお色あせない珠玉の恋愛物語は、「画ニメ」という新たな試みによって映像作品として生まれ変わった。原画描き下ろしを含む、脚本・演出を林静一自らが手掛け、またあがた森魚が、鈴木慶一(ムーンライダーズ)とともに音楽を担当しているが、当時を知るファンには嬉しい。
解説 - 赤色エレジー
昭和40年代後半の東京を舞台に一郎と幸子の出口の見えない同棲生活を描いた恋愛アニメ。原作は、月刊漫画ガロに連載された、林静一の同名作。本作では、画家・林静一が、原作者として新たに画を描き下ろしながら監督も務め、同漫画を題材とした楽曲によって当時大ヒットを飛ばしたフォークシンガー・あがた森魚は、ムーンライダーズの鈴木慶一の協力を得て音楽監督を担当した。ナレーションは石橋蓮司。
あらすじ - 赤色エレジー
漫画家を目指す駆け出しのアニメーター・一郎と、トレーサーの幸子。先の見えない貧しい暮らしの中、二人は愛だけを頼りに同棲を始める。若い二人のつつましくも幸せな生活。しかし、冷酷な現実によっていつしか無力な愛は崩れ去る。昭和40年代後半の東京を舞台に一郎と幸子の出口の見えない同棲生活を描いた、つつましくもせつなさに満ちた恋愛物語。
実は、携帯プレーヤで聞いているのは、この歌のちあきなおみバージョン。
のどをキュッと絞って、いい味がでている。
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