2014年8月22日金曜日

【長野智子レポート】波照間島の知られざる「戦争マラリア」の悲劇 — ハフィントンポスト日本版 : 中野学校卒業生が、アメリカ軍の上陸が予想される沖縄に集中的に配置されました。 ・・・ 追われるように西表島に移住した島民に、山下は恐怖の統治を始めたといいます。当時8歳だった冨底利雄さん(78)は、山下の命令をうけた教員によって兄を殴り殺されました。  



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この中野学校卒業生が、アメリカ軍の上陸が予想される沖縄に集中的に配置されました。山下虎雄もその一人であり、本名ではなく偽名でした。最初こそ物腰穏やかで、子供たちにも親切だったという山下が、その正体を現したのは沖縄戦が始まったときのことです。突如、平服から軍服姿になった山下は、島民を集めると「日本軍の命令だ!」と、島民を波照間島から西表島に強制移住するように指示を出しました。

しかし、西表は当時、マラリアの発生地域として恐れられていた島だったのです。

「(西表に行きたくないと)自分に反対する人がいれば刀を抜いた。脅かして......怖いでしょう。だから、みんなが移住に賛成した。仕方ない。行くしかないと」(西里さん)

山下は、アメリカ軍に奪われてはならないと、波照間島の牛、馬、豚、畑に至るまで、すべて処分するよう指示をしました。

追われるように西表島に移住した島民に、山下は恐怖の統治を始めたといいます。当時8歳だった冨底利雄さん(78)は、山下の命令をうけた教員によって兄を殴り殺されました。

(略)

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