2015年5月9日土曜日

危うさを語らない危うさ (藻谷浩介 『朝日新聞』) : お受験の勝者である今の指導層は、現政権の諸施策のリスクを「四捨五入では0」と受け入れているのだろう。その結果としての大政翼賛的行動こそ、日本社会のリスクを高めている元凶ではないか。

『朝日新聞』2015-05-08

危うさを語らない危うさ 藻谷浩介

 現政権は、大きなリスクを伴う諸施策を迷わず進める。

 輸入品の値上がりリスクを顧みない円安誘導は、偶然にも原油価格が下がらなければ、内需型企業や家計の収支をさらに悪化させ、大きな怨嗟の声を生んでいただろう。

 金利急騰リスクを顧みない極端な金融態和や、目減りリスクを顧みない年金の株式市場への投入も、何かの理由で世界経済が変調すれば膨大なコストをもたらしかねない。

 他にも、中東の紛争に巻き込まれるリスク含みの集団的自衛権、使用済み燃料の管理・処分費用の増大リスクを計算外とした原発再稼働、言論の萎縮リスクを無視した放送局への干渉と武勇伝は続く。

 筆者は、蛮勇を振るう政権担当者よりも、これを積極・消極に支持する今の日本の指導層(政治家、財界人、マスコミ幹部など)の胸中の方に興味がある。彼らはなぜ政策のリスクに対して危惧を表明せず、牽制もしないのか。

 巨大な政府債務の存在が、リスクの大きい政策への選好を高めていると、行動経済学者は指摘するだろう。だがそれに加え、リスクを顕在化する前に把握し管理する能力、いや能力以前の習慣を、日本のエリートの多くが欠いているのではないだろうか。

 欠如の背後にある理由は、第一に古代以来の言霊信仰だろう。日本では「リスクを口にすること自体、その顕在化のきっかけになる」と感じられがちである。「リスクを口にする人間は、実はその顕在化を願っている」とも感じられやすい。「戦争に負ける」と誰も言えないまま犠牲を増やした昭和20年を、今更繰り返してはならないのだが。

 第二は、正解を丸暗記しそこからの演繹を訓練する日本型のお受験教育の勝者は、実例から帰納する能力を欠きがちだということ。リスクは顕在化するまでは「他山の石」としてしか(過去の失敗例からしか)察知し得ないので、帰納能力が低いと、実感的に把握するのが難しくなる。

 第三の理由も教育由来だ。0か1でないと受け付けない(○か×を峻別するお受験的な)思考法では、0でも1でもないリスクが認識できない。「○○ベクレルは結局危ないのか安全なのか」とデジタルな結論を求める人に、「○○ベクレルのリスクの程度は・・・」という説明は理解されない。

 お受験の勝者である今の指導層は、現政権の諸施策のリスクを「四捨五入では0」と受け入れているのだろう。その結果としての大政翼賛的行動こそ、日本社会のリスクを高めている元凶ではないか。




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