大正4年(1915)
この年
・大戦景気。
大戦下で、造船業、機械工業などの重化学工業が進展。
1915年頃から大戦景気が見られる。
船舶による物資輸送も盛んとなる。水力発電による電力が供給され、京浜工業地帯など、いわゆる四大工業地帯が形成。
東京・大阪がますます巨大になり、地方都市も発展。佐世保、川崎、宇部などの産業都市が急成長、横浜と神戸が栄え、呉や横須賀などの軍事都市が台頭。さらに、別府など観光都市も出現。地域の産業化も進行し、例えば「開発」がさかんにいわれた樺太では、パルプ工業が発達。
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・アルゼンチン地域労働連合(FORA)結成。イタリア移民を中心とするサンジカリストが指導権。急進党の支持の下で急成長。
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・アメリカ、「KKK」復活。
牧師ウィリアム・ジョセフ・シモンズ(35)、同志34人とアトランタ市近くの丘に象徴「火の十字架」を建立、団の復活宣言。
新生K・K・Kは伝統的プロテスタンティズムを背景とし、黒人・ユダヤ人・カトリック教徒・共産主義者までを排撃、10年後には会員400万人となる。
1920年代初頭の南部はK・K・Kによる暴力の巷と化す。
22年テキサス州だけで500件、翌年オクラホマ州だけで2300件の暴行事件。
1930年代、連邦政府の取り締まりと内部腐敗により再び消滅。
第2次世界大戦後、黒人公民権運動に反発する形で又も復活。
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1月
・週刊「婦女新聞」、「島村抱月氏と夫人と須磨子」連載。~5月末まで17週。須磨子攻撃。
「妻子の恩愛と愛人に対する恋心との間に板挟みになったとき抱月氏には止めあえぬ熱い涙のあったことは想級するに難くない。」
「抱月氏は須磨子に恋せんがため恋をしたのであるが須磨子に至っては己れの名声を博する上に都合のよい利器に向かって恋したのである。・・・有力なる劇団の大家と結ぶことはすこぶる策を得たるものとの打算のもとに出来た恋である。」
「世の中には人に知られず暗黒のうちに潜在している秘密が幾らもある。けれどもそれがあるからと言って公然、自日下に暴露された罪悪までも見逃すと言うことは、社会の秩序を保つ上において許せないことである。出ている杭から打ってゆかねはならぬ。」。
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・生田花世「周囲を愛することと童貞の価値と-青鞜十二月号安田皐月様の非難について」(「反響」)
「あなたを好みません、・・・何故と云うにあなたは何も知らないから、人間を知らないから、世の中を知らないから、そして高慢だから」と。自分の生家が破産してからの窮状を説明し、「「貞操の所有権」を夫に与え」、「夫の貞操の「私の所有権」を持って居」る現在なら、食べられない場合、「多分餓死するに任すでしょう」.
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・伊藤野枝(20)、「青鞜」編集兼発行人となり、平塚らいてうから引き継ぐ。
平塚らいてう「「青鞜」と私」、伊藤野枝「「青鞜」を引き継ぐについて」(「青鞜」)。
野枝の運営方針。
「先ず私は今迄の青鞜社のすべての規則を取り去ります。青鞜は今後無規則、無方針、無主張無主義です。主義のほしい方規則がなくてはならない方は、各自でおつくりなさるがいい。私はただ何の主義も方針も規則もない雑誌をすべての婦人達に提供いたします。・・・ただ原稿選択はすべて私に一任さして頂きます」。
らいてうは、全面的ルール放棄について、彼女には「情熱に加うべき知識の光がない」、「破壊は情熱のよくするところ」だが、建設に必要な「客観的な科学的な」知識は、「動揺のはげしい」性格と相容れない、野枝は「社会改造家となる素質に・・・欠けている」と、らいてうは後に「伊藤野枝さんの歩かれた道」(「新日本」1917年7、8月)で難詰。
「青鞜社概則」は、この新年号を最後に消える。
無目的となり、賛助員は残るものの、社員のない青鞜が、果して「青鞜」と呼べるのか。
青鞜社は東京市小石川区竹早町82番地の野枝の家に置かれる(第3号からは彼女の転居により、小石川区指ヶ谷町92番地に移り、そこが最後の事務所となる)。
こうして「青鞜」は、野枝の個人誌に近い性格となる。
野枝の谷中村への関心:
「転機」(「文明批評」1918年1、2月)で語る追想によれば、「一月の寒い日」、「M夫婦」が訪れて、野枝には未知の谷中村の状況を語る。渡良瀬川の鉱毒を沈澱させるため遊水池とされた同村の沼の中に、まだ14、5軒の村民が残り、処置に困った県庁は堤防を切ると脅すが、村民は溺れ死んでも立ちのかないと頑張っている、この村民の窮状を打開するすべもなく、かつて支援した人々も傍観するのみだ、と。
「M夫婦」は渡辺政太郎・若林八代夫妻とする説、宮嶋質夫・麗子夫妻とする説がある。
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・年明け、らいてうと博史は、御宿から引きあげ小石川西原町1の4(現文京区千石町)に貸家を見つける。
実家の曙町と白山通りを隔ててそれほど遠くない場所で、建前は縁を切った両親だが、引越には女中を手伝いに送っている。
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・与謝野鉄幹(42)・晶子(37)共著「和泉式部歌集」(名著評論社)。
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・京都宿屋業組合連合会、市の営業税雑種税改正案に反対運動をおこす。
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・本土・朝鮮・満州で八幡製鉄所第5高炉(270トン)を初めとして高炉の火入れあいつぐ(計16基)。~'19年10月。
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・大阪天王寺動物園開館。
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・京都宿屋業組合連合会市の営業税・雑種税改正案に反対表明。
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・サンディカリズム研究会、平民講演会と改称。
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・徳田秋声「あらくれ」
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・連合国、ギリシャにスミルナ(イズミル)領有を約束しセルビア支援を要請。首相、賛成。国王、反対。4月12日、ギリシャ、同提案拒否
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・世界初の航空機による撃墜。連合軍の偵察機乗員、機内に持ち込んだライフルでドイツの偵察機を撃墜。
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・ムッソリーニ、革命行動同盟を結成。
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・ウィンブルドン・テニス大会、戦争のため中止。
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・メキシコ、タンピコ油田の支援を受けたオブレゴン、ベラクルスより反撃開始。サパタ派は戦わずして敗走。28日にはメキシコ市占拠。
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・ロシア、第4回国会が再開、再び停会。8月、再開。9月、無期延期。
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・ロシア語日刊紙「ゴーロス」、「ナーシェ・スローヴォ(われわれの言葉)」に改題。
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・イタリア、オーストリアとの参戦協議失敗(~3月3日)。
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・クルド人、ペルシャのタブリーズを占領。
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1月1日
・袁世凱、帝位につく。
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1月1日
・長崎~上海間に電信海底線開通。日華間和文電報の取扱開始。5月、佐世保~青島間開通。
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1月4日
・ロンドン株式取引所再開。
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1月5日
・元新撰組斉藤一・杉村義衛、北海道小樽にて病没。
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1月6日
・メキシコ、ベラクルスのカランサ派、アヤラ計画を織り込んだ農地改革令、最賃法、石油資源保護法などの制定で巻き返し(1月6日法)。COMにたいし闘争参加呼び掛け。シケイロス、カランサ軍参加、大佐昇進。
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1月7日
・中国、日置益駐華公使に戦争区域廃止を通告。山東省より日本軍撤退要求。
16日、中国、再要求。日本、いずれも拒絶。
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1月7日
・大隈内閣一部改造。大浦兼武内相(選挙対策)・河野広中農商務相。
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1月7日
・ポーランド人とコッサクによるユダヤ人大虐殺が報じられる。
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1月9日
・メキシコ革命軍のパンチョ・ビリャ、米との国境紛争を終結させる条約に署名。
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1月10日
・南潯鉄道完成。
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1月11日
・政府、中華民国の撤兵要求は国際慣例に違反すると解答。
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1月11日
・大正天皇の即位祝の財宝を積んだイギリスの船ナイル号、瀬戸内海伊予宇和島沖で座礁して沈没
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1月13日
・夏目漱石「硝子戸の中」(「朝日新聞」連載~2月23日)。
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1月13日
・森永製菓、外国輸出用ビスケットを製造開始。
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1月13日
・イギリス、閣議、チャーチル海相、艦砲射撃を中心とする攻撃でガリポリ半島を占領しコンスタンチノープル攻略作戦計画を説明。作戦は満場一致で承認。2月19日、作戦開始。
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1月14日
・畜産組合法公布。
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1月15日
・「平民新聞」4号発行。発禁処分なし。大杉栄「新事実の獲得」(「新潮」1月号より転載)。
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1月15日
・「第三帝国」への投稿。
福岡県の炭坑労働者を名のる上川利平は、「日本にも労働同盟を組織せねばならぬ。金力を資本とする者が対抗し、時には示威運動をする位の時を出現させねばならぬ」といい、その最良の手段として普選を要求。
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1月15日
・マハートマ・ガンディー、ボンベイに帰着。
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1月15日
・メキシコ、グティエレス、革命後の混乱の中で「革命の破産」宣告。職務放棄し逃亡。ビリャ派のロケ・ゴンサレスが執行責任者となる。既存国家制度の徹底的破壊を求めるサパタ派の非妥協的態度により作業は停滞。
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1月17日
・アメリカ、合衆国両院協議会、移民法案可決。28日、大統領、署名を拒否。
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1月18日
・対華21ヶ条要求
日置益駐華公使、袁世凱大総統に手交。
山東省のドイツの権益の継承、南満州の租借期間の延長、政治財政軍事顧問傭聘、日中合同警察、兵器供給、その他の経済的権益の譲渡など。
第1号:
膠州湾・青島攻略に関し、その還付に際して山東省が再び「外国勢力下」に置かれぬ保障を求める。具体的には、山東省にドイツが得ていた全権益の肩代り、膠州-済南鉄道の敷設権、同省の土地・島の不譲渡と省内都市の開放の約束。
第2号:満蒙条項。
第1条は、三権益(日露戦争の結果、得た権益、①関東州(遼東半島)租借権、②南清洲鉄道、③および安奉鉄道経営権)の期限を「更二九十九箇年ヅツ延長」するよう要求、他の6ヶ条の内5ヶ条は新たに東部内蒙古に関するもの。同地方における日本人の「借地権」「居住権」「自由往来権」「就業権」「鉱山採掘権」を認めるほか、他国の鉄道敷設、借款、顧問採用について日本側の「先議権」を承認するよう要求。第7条として、これも日露戦争の成果であり、安奉鉄道と同じ有効期限の「吉長鉄道」(吉林~長春)の経営権を「九十九箇年間」とするよう、つけ加える。
第3号:
漢陽製鉄所、大冶鉄山、萍郷炭鉱を合わせた漢冶萍公司に対する要求。日本は鉄鉱石確保の為に同公司に投資を重ねている。同公司の将来の「両国ノ合併」、日本の同意なしの処分の禁止、他国資本の参加禁止などを要求。
第4号:
中国沿岸の港湾・島の他国への「譲渡若クハ貸与」禁止の約束を要求。
第5号:雑条項。
①中国政府に日本人の「政治、財政及ビ軍事顧問」の採用。②日本人経営の病院、学校に対する土地所有権の供与。③「必要ノ地方」における警察の「日支合同」または日本人警官の傭聘。◎日本製兵器の受給または「日支合弁ノ兵器廠」の設立。⑤南昌、九江を中心とする中南支鉄道の敷設権。⑥福建省における鉄道、港湾、鉱山についての外国資本参加にかんする先議権。⑦日本人の布教権。
要求には、満州~福建省の権益要求が盛り込まれている。要求の眼目は、旅順・大連租借期限と満鉄安奉線の期限の延長を中心とする第2号であるが、要求を提出するとなると軍部・実業界などから要求が殺到。はじめ訓令をうけた北京公使館でも小幡酉吉一等書記官・出渕勝次書記官らは、当面緊急な重大事項だけを重点的に要求し、他の事項は別に好機をとらえて交渉するほうが得策という意見であったが、外務省首脳部には容れられず。
山東省と南満州・東部内蒙古に関する部分(第2号)の要約:
①ドイツが山東省で持っていた権利・利益などの処分につき、将来、日独両国が協定するであろう一切の事項を承諾すること。
②芝罘または竜口と膠済鉄造とを連絡する鉄道の敷設権を日本に与えること。
③旅順・大連租借期限ならびに南満州と安奉鉄道に関する各期限を、いずれもさらに99ヶ年延長すること。
④日本人は南満州と東部内蒙古で、各種商工業上の建物建設または耕作のため土地賃租権・所有権(これらを「商私権」と呼ぶ)を取得できるようにすること(今まで開市場だけに限られていた外国人の居住営業を、日本人にだけは一般内地においてもこれを認めろ、という要求)。
⑤日本人は南満州と東部内蒙古で居住往来と商工業その他の業務に自由に従事できるようにすること。
⑥南満州と東部内蒙古で鉱山採掘権を日本入に与えること。
⑦南満州と東部内蒙古で外国人に鉄道敷設権を与えたり、鉄道敷設の為に外国資本を必要としたり、又は税金を担保に借款を起したりする時は、予め日本政府の同意を必要とすること。
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1月18日
・大隈伯後援会、大隈邸で全国大会を開催。大隈の巧みな選挙運動。
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1月19日
・ドイツ軍ツェッペリン飛行船、ロンドン初空襲
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1月20日
・永井荷風、「夏姿」。発禁。
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1月22日
・政府(井上駐英大使)、対華要求を中国全土にかかわる第5号を除いて英(英外相)に通告。2月5日、仏露に通告。8日、米に通告。
中国政府はこのことを知ると第5号を強調して各国に宣伝。
英米両国政府は、第5号の存在を日本政府に問い合せ、加藤外相は、これれは希望条項で他の要求とは性質を異にする弁明するが、各国の不信と非難を集めるだけ。
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1月23日
・東西「朝日」、号外で21ヶ条を速報。
北京特派員神田正雄が中国側外交次長曹汝霖から内容を聞き出し、「新聞には掲載すべからず」と注意書きを付け、極秘情報として本社に打電。宿直者の手落ちから号外になる。
外務省は取り消しを求め、「大阪朝日」は「今朝号外を以て報じたる日支交渉の内容は事実相異の点あり、一応之を取り消す」との号外を出し、24日、東西「朝日」とも紙面でも取り消し記事を出す。
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1月23日
・安部磯雄(49)、横浜・松ケ枝町の角力常設館での議会報告会をかねた政談演説会で島田三郎と共に演説。
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1月23日
・イギリス保護領ニヤサランド、ジョン・チレンブウェの反乱発生。~26日。
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1月24日
・ドッガー・バンク沖海戦。
イギリス巡洋艦隊、ドイツ巡洋艦「ブリュッヘル号」撃沈。イギリス・ドイツ両艦隊の最初の大きな衝突。
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1月25日
・「第三帝国」、「如何にして農業農民を保護すべき乎」の寄書を求める。大きな反響があり、既に「農村革命論」(1914年)著者として知られる横田英夫(24)が、4月より13回に亘り農民救済策を論じる。
地主救済を主眼とする産業としての農業保護よりも耕作農民救済が農村問題の基本であるという見地に立ち、その方法として生活難救済と自治の訓練をあげる(自治の訓練は、全農民に村政参加権を与えることだが、特に力説したのは生活難救済の手段としての耕地均分である)。
彼は一町歩所有を農家経営維持の適正規模とみとめ、国が有償で耕地を均分すべと説き、地主所有地の貫収価格引き下げのた為、最高小作料を制定し、小作料減免の訴願権を小作人に与えること、及び土地兼併欲を失わせる為の地租累進制採用を提唱。彼は農民組合には言及しないが、以上の要求の上に耕作農民に「農業生産を全得させる策」(即ち寄生地主制廃絶)をめざす限り、彼の所論は後の日本農民組合による土地を農民への要求に繋がるものである。
1917年2月、彼は「政府のカに頼る農村の救済に絶望せざるを得ない」と告白して筆を折り、第一次大戦後、須貝快天を助け農村革新会をおこし、全国的農民運動の大拠点となった新潟地方の農民組織の草分となり、ついで中部日本農民組合初代組合長に推されるなど、1926(大正15)年の病死まで農民解放に献身。
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1月25日
・米価調節に関する勅令公布。
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1月25日
・アメリカ、ニューヨーク~サンフランシスコ間、北米大陸横断電話開通
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1月25日
・ミラノ、参戦主義者、「革命行動ファッショ」創設。党員は間もなく5千人に。
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1月26日
・大審院、内縁の妻に婚姻不履行に基づく賠償要求を認める判決を初めて下す
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1月28日
・ポルトガル、アリアーガ大統領、民主党内閣を総辞職させ、ピメンタ・デ・カストロ将軍の組閣命令(9人中7人が陸海軍将校)。参戦論を抑えて、王党派・教会寛容政策をとる。
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1月28日
・アメリカ、沿岸警備隊創設。
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1月29日
・江蘇将軍馮国璋・湖北将軍段芝貴ら各省将軍、日本の対華21ヶ条要求に反対を表明。
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1月29日
・ロシア作家アナトール・ルナチャルスキー、ジュネーブにロマン・ロラン訪問。
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1月30日
・中国、幣制委員会設立。
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1月30日
・南洋協会創立。この月、臨時南洋群島防備司令官、南洋占領諸島施政方針を出す。
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1月30日
・ロシア、タブリーズを奪還。
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1月31日
・ドイツ、食糧配給制開始。食糧配給機関を設立。戦時穀物組合、トウモロコシ・小麦粉の貯蔵品をすべて公定価格で強制的買上げ。イギリスによる封鎖開始に伴い民間穀物取引を停止。
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