2022年7月29日金曜日

〈藤原定家の時代071〉治承4(1180)5月26日 物語世界の宇治川の合戦(その4) 「宮御最期」(「平家物語」巻4) 頼政の自害 高倉宮の討死 間に合わなかった南都勢 

 

平等院(2016年)

〈藤原定家の時代070〉治承4(1180)5月26日 物語世界の宇治川の合戦(その3) 「宮御最期」(「平家物語」巻4) 流される平家の兵。渡河した平家は平等院に進入 源三位頼政の最期。宮方壊滅 より続く

治承4(1180)

5月26日 物語世界の宇治川の合戦(その4) 

「宮御最期」(「平家物語」巻4)

④頼政の自害。長七唱がその首を処置する。競と円満院源覚の奮戦。

「三位入道、渡辺長七唱(ワタナベノチヤウシチトナフ)を召して、

「我が頸討て」

と宣へば、主の生頸討たんずる事の悲しさに、

「仕つとも存知候はず。御自害候はば、其の後こそ賜り候はめ」

と申しければ、実(ゲ)にもとや思はれけん、西に向ひ手を合せ、高声に十念唱へ給ひて、最後の詞ぞあはれなる。

埋木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける

これを最後の詞にて、太刀のさきを腹に突き立て、俯様(ウツブシサマ)に貫かつてぞ失せられける。

其の時に歌詠むべうはなかりしかども、若うより強(アナガチ)に好いたる道なれば、最後の時も忘れ給はず。其の頚をば長七唱が取つて、石に括り合せ、宇治川の深き所に沈めてげり。

平家の侍ども、如何にもして、競滝口をば生捕にせばやと窺ひけれども、競も先に心得て、さんざんに戦ひ、痛手数多(アマタ)負ひ、腹掻切って死ににける。

円満院大輔源覚は、今は、宮も遥に延びさせ給ひぬらんとや思ひけん、大太刀・大長刀左右に持って、敵の中を破って出で、宇治川へ飛んで入り、物の具一つも捨てず、水の底を潜つて、向の岸にぞ着きにける。高き所に走り上り、大音声を揚げて、

「如何に平家の君達、これまでは御大事か、よう」/と云ひ捨てて、三井寺へこそ帰りけれ。」

異説では、頼政の首は下河辺藤三郎がとり、これを御堂の板壁を突き破ってその中に隠したとされる。

⑤高倉宮の討死。宗信は首のない屍の腰に差された笛で高倉宮討死を知る。

「飛騨守景家は、古兵にてありければ、此の紛(マギレ)に宮は定めて南都へや、落ちさせ給ふらんとて、混甲(ヒタカブト)四五百騎、鞭鐙(ムチアブミ)を合せて追つかけ奉る。案の如く、宮は三十騎ばかりで落ちさせ給ふ所を、光明山の鳥居の前にて、追つ付き奉り、雨の降る様に射奉りければ、何れが矢とは知らねども、矢一つ来つて、宮の左の御側腹に立ちければ、御馬より落ちさせ給ひて、御頸取られさせ給ひけり。御供申したる鬼佐渡・荒土佐・荒大夫・刑部俊秀も、命をば何時の為にか惜しむべきとて、散々に戦ひ、一所に討死してけり。

その中に乳母子の六条亮大夫宗信は、新野が池へ飛んで入り、浮草顔に取覆ひ、慄(フル)ひ居たれば、敵は前をぞ打通りぬ。やゝあって敵四五百騎、ざざめいて帰りける中に、浄衣着たる死人の、頸もなきを、蔀(シトミ)のもとより舁(カ)き出でたるを見れば、宮にてぞおはしましける。我れ死なば御棺に入れよと仰せられし、小枝と聞えし御笛をも、末だ御腰に差させましましける。走り出でて取付き奉らぼやと思へども、怖しければ其れも叶はず。敵皆通って後、池より上り、濡れたる物ども絞り着て、泣く泣く都へ上つたりけるを憎まぬ者こそなかりけれ。」

この後、その首の真偽の認定を巡り平家方は苦労する。多くの人々に検分させようとして果たせず、なじみの女房を尋問してようやくこれを確認する(「若宮御出家」)。しかし、その後も高倉の宮の生存説は根強く残り、平家を脅かすことになる。

⑥間に合わなか南都勢。

「さる程に、南都の大衆七千余人、甲の緒をしめ、宮の御迎に参りけるが、先陣は木津に進み、後陣は未だ興福寺の南大門にぞゆらへたる。宮は早(ハヤク)光明山の鳥居の前にて、討たれさせ給ひぬと聞えしかば、大衆、力及ばず、涙を抑へて留りぬ。今五十町ばかり待ち付けさせ給はで、討たれさせ給ひける、宮の御運の程こそうたてけれ。」

□「若宮出家」(わかみやしゅっけ)(「平家物語」巻4):

以仁王の首は、愛人関係にあった女房が探し出しそれと判明する。以仁王には、八条院伊予守盛章の娘の三位局との間に、男女の子がいる。清盛は、若宮(7)捕縛を異腹の弟頼盛に命じる。女院は若宮を守ろうとし、自身の乳母子の夫たる頼盛をうとましく思うが、事の穏便を望む年に似合わぬ宮のことばに従い、身柄は手渡される。その幼い姿を見て哀れんだ宗盛が父に助命を嘆願し、若宮は仁和寺で出家を遂げる。

□「鵼」(ぬえ)(「平家物語」巻4):

頼政は、歌の巧みさゆえに三位にまで昇る。この人の最大の手柄は、かつて近衛天皇が得体の知れぬものに取り付かれて病に陥った時、深夜に雲中の変化のものを矢で射落としたことである。褒美に剣を与えられ、歌を詠みかけられて即答し、文武両道の達人ぶりを披靂した。また、二条帝が鵼という化鳥に悩まされた際も、暗闇のなか、鏑矢(カブラヤ)の音で鳥を驚かせて所在を確かめ、みごとに射落とした。歌のやりとりは、この時もした。そのまま平穏に生涯を終えられたはずの人が謀反を起こし、宮をも失わせ、わが身も滅びたのは、誠に嘆かわしい。

□「通乗之沙汰」(とうじょうのさた)(「平家物語」巻4):

宮には他に奈良に住まう男子がいるが、讃岐守重秀が出家させ北国に下る。後日、木曾義仲に擁立されて上洛、木曾の宮と称される。昔、通乗という人相見がいてよく物事をいい当てた。今回は相小納言伊長が、即位する人相であると言ったので高倉宮は謀反を起こす。相小納言の失敗ではないか。賢王聖主の皇子でも即位しない人も多い。恩賞として宗盛の息清宗は三位に昇進。


つづく(物語世界のオハナシは終り)


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