東京 北の丸公園
*長徳2年(996)
3月4日
・夜、妊娠中の中宮定子は宮中から退出して二条邸に入った。
中宮のお産退出には多くの公卿がお供するのが常例であるが、この日の退出に従ったのは、縁の深い3人だけ、他の公卿は差し支えがあるといって姿を見せなかった。
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3月27日
・東三条院詮子は病気の気味であったが、この日になって、俄かに重くなった。
そして、これは呪詛によるものだ、女院の寝殿の床下から、厭物(ようもつ、人形のようなもの、まじないの物)が掘り出されたなどという噂が立った。
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4月1日
・伏見の法琳寺から、伊周が私(わたくし)に大元帥法(だいげんのほう)を行なわせているとの密告があった。
大元帥法とは密教の修法で、最も重大な秘法であり、臣下がこれを行なうことは絶対に許されないものである。伊周の逃れる術はなくなった。
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4月24日
・暁、宮中の諸門は閉じられ、召集を受けた公卿が参内。
その間、道長は天皇の前で除目を行ない、伊周を大宰権帥に、隆家を出雲権守に左遷すると発表。
直ちに流罪の宣命(詔勅)が作られる。
高階信順(さねのぶ)・道順(みちのぶ)も伊豆と淡路の権守に流された。
罪状は、
一、花山法皇を射たこと、
二、東三条院を呪詛したこと、
三、大元帥法をおこなったこと、
の三箇条である。
固関使派遣の手続きがとられ、検非違使に犯人の逮捕・護送の役が割り当てられた。
宮中には朝から馬寮の馬が用意をととのえ、平維叙(これのぶ)・源頼光(よりみつ)などの高名な武者たちも召されて詰めている。東三条院にも近衛府の兵が警備に派遣された。
検非違使は直ちに二条邸を包囲。
二条邸には、伊周の妹の中宮定子、伊周、隆家、母の高階貴子、伯父の高階信順(さねのぶ)、道順(みちのぶ)が寝殿に篭っている。信順、道順も、それぞれ伊豆、淡路へ流されることに決している。
二条邸包囲の指揮官、当時第一の法律家、検非違使惟宗允亮は、邸内入って宣命を読み上げ、伊周に出て来るように促す。
中からは病気で動けないとの返事があり誰も出て来ない。
家の戸は全て厳重に閉ざされている。
相手は身分の高い貴人であり、ことに中宮がいるというので、検非違使も踏みこんで行けない。
允亮は使いを走らせて内裏にこの由を報告すると、折り返し、早く捕えよとの命令が来る。
その間、変を聞き、伊周護送の光景を見ようとするやじうまで、二条大路は黒山の人だかり。
処分決定から4日を経ても検非違使は動けなかった。
中宮が伊周の手を取って離れないので、手がつけられない。
邸内には検非違使の手下はもとより、やじうままで入りこんで待ち構えていたが、屋内から泣き声が絶えず聞こえ、人々は涙を催した。
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伊周と隆家の配流の罪名は、「花山院を射た事、女院(詮子)を呪詛した事、私に太元帥法を行なった事」であった(『小右記』)。有力な説は、詮子が安倍晴明と組んで行った狂言と言われている。しかし、倫子の動きは見事だった。狂言故に、内々で纏めようとしたのであろう。#光る君へ #大河ドラマ pic.twitter.com/yTRbzI5xPn
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検非違使の別当である実資の『小右記』には「伊周と隆家は、共に中宮の御所に籠って出すことができなかった。そこで宣旨を下し、夜大殿の戸を破り壊した。そこでその責に堪えず、隆家は出て来た」と記されてある。
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(吉川弘文館「現代語訳 小右記 3 -長徳の変-」より)#光る君へ #大河ドラマ pic.twitter.com/qMwuV6lqdD
長徳2年(996年)4月24日、伊周連行の際に母・貴子が傍から離れようとしなかった。元関白の嫡妻、つまり「北政所」である貴子を乱暴に扱う事もできず困り果てた実資らは一条帝に奏上し、「不都合であるので引き離すように」との宣旨をわざわざ出してもらい、やっと引き離したという(『栄花物語』巻第5… pic.twitter.com/dx2K9KtMlb
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◆◇ #君かたり ◇◆
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) May 26, 2024
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⋰#高階貴子 役#板谷由夏 さん
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