2013年2月17日日曜日

昭和17年(1942)11月15日~20日 第8方面軍(司令官今村均中将)の戦闘序列下命 「・・・ガダル方面は維持程度に止めざるべからず、即ち作戦方針の大転換なり・・・」(宇垣参謀著)

江戸城(皇居)梅林坂 2013-02-13
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昭和17年(1942)
11月15日
・関門トンネルが開通
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11月15日
・少国民壁新聞創刊
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11月15日
・アルゼンチン、ピアニスト・指揮者バレンボイム、誕生。
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11月15日
・この日~18日、「ストーンエイジ」護送船団、無抵抗でマルタに到着。
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11月16日
・ガダルカナル、第38師団伊東支隊、敵の後退に対応して逐次前進、16日朝までに支隊主力を沖川右岸まで推進。
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11月16日
・ガダルカナル増援予定(後にニューギニア・ブナ増援に変更)の独立混成第21旅団の輸送船「ぼすとん」丸、パラオ附近で雷撃され沈没、救助499・行方不明228。
独立混成第21旅団(10月28日第17軍戦闘序列編入)は、輸送船4隻で10月21日サイゴン発、11月5日大宮島人泊、8日ラバウルに向かう、その途中。
残り輸送船は22日ラバウル着。
この頃、ガダルカナルへの船団輸送は惨憺たる結果となっており、加えて、ブナ方面の戦況も急を告げており、結局、ブナ増援充当となる。
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11月16日
・連合軍、ニューギニア、ブナ付近上陸
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11月16日
・第8方面軍(司令官今村均中将)の戦闘序列下命。
方面軍には、第17軍(ガダルカナル、百武中将)、第18軍(東部ニューギニア、安達中将)、予備兵力として第6師団、陸軍航空隊130機が編入。

従来は第17軍がガダルカナル・東部ニューギニア双方を作戦指揮。第8方面軍・第18軍を新設し、この日の戦闘序列となる。
第8方面軍の総兵力は11万。第18軍(安達二十三中将)の所属部隊は、東部ニューギニアで作戦中の南海支隊、歩兵第41連隊その他。

16日、今村は天皇から、「南東太平洋方面よりする敵の反攻は、国家の興廃に甚大の関係を有する。すみやかに苦戦中の軍を救援し、戦勢を挽回せよ」と言われる(今村回想録)。
18日、今村は、杉山参謀総長・田中作戦部長に会うが、2人とも14日に輸送船団11隻が全滅し、第28師団主力は戦わずして潰滅的被害を蒙ったことは言わず。
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11月16日
・陸軍統帥部、当面の作戦遂行の為、船舶37万トン増徴を陸軍省に申入れ。
陸軍省軍務局は反対するが、企画院の検討に廻す。
18日、海軍も25万トン増徴を申入れ。
海軍側の要求は、昭和18年3月(4ヶ月後)には重油が皆無となるという問題も内在する。

省部の見解の対立。
統帥部はガ島は米濠遮断、戦略拠点ラバウル確保の為には必要で、またガ島の第17軍撤退は攻撃よりも困難という理由がある。
陸軍省側は、対極的な国力戦力の維持造成の観点から、国力低下を齎す船舶増徴には応じられないという理由がある。
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11月16日
・大蔵省、アルミ貨以外の補助貨の回収を決定
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11月16日
・イギリス、「フランス国民委員会」、北アフリカでのアメリカとヴィシー政府代表ダルランとの交渉批判。フランス国内レジスタンスも同様声明、ド・ドールの支配に委ねることを要求。
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11月16日
・アルジェリアを拠点としたアメリカ第12空軍が活動開始(目標:航空基地と補給拠点、港湾)
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11月17日
・ガダルカナル、米軍の砲爆撃再開。
第17軍は、第1線戦闘員・患者を合せても6個大隊に満たない兵力で、敵の制空権下、後方を遮断され、圧倒的に優位の敵と対峙。
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11月17日
・報道・啓発・宣伝・対敵宣伝機能の刷新を閣議決定。
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11月17日
・フランス、ペタン、憲法制定権を除く全権をラヴァルに委譲
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1月17日
・チュニジアで連合軍とドイツ軍の交戦開始。
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11月18日
・大本営、第8方面軍作戦要領示す。
20日、今村第8方面軍司令官、参謀長加藤鍮平中将以下幕僚とラバウルに向かう。
21日、トラック島着、「大和」艦上で山本連合艦隊司令長官と会見。
22日、ラバウル到着。
26日~、統帥発動。

18日に示された第8方面軍の作戦要領にある「作戦方針」。
「陸海軍協同して先ず速やかにソロモン方面の敵航空勢力を制圧すると共に、ガダルカナル方面の作戦準備を促進拡充し、その完成を待って同島飛行場を奪回し、敵を殲滅す。この間ニューギニアの要地を確保して、同方面における爾後の作戦を準備す」。

杉山参謀総長や参謀本部責任者は、14~15日にガダルカナル島上陸をはかった第38師団が米空海軍の爆撃により全滅に近い大損書を受け、佐野師団長以下約2千と少量の弾薬糧秣が揚陸したにすぎない事実を、20日まで東京いる今村に知らせず。
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11月18日
・ガダルカナル、第38師団(佐野忠義中将)、マタニカウ川右岸攻撃、失敗。
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11月18日
・長距離研究機キ-77・1号機初飛行
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11月19日
・~12月29日、第3次魯東作戦開始。
第12軍、山東省一帯最大の作戦、総兵力1万数千、「ウサギ狩り作戦」「労工狩り作戦」。
11月19日~29日、第1期。
11月30日~12月12日、第2期。
12月13日~29日、第3期。
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11月19日
・ニューギニア、南海支隊長堀井富太郎少将、海路ギルワ目指す途中カヌー転覆、溺死。後任小田健作少将。
独立混成第22旅団(山県粟花生少将)が増派されるが、戦況は完全に末期的症状を呈す。
南海支隊は、北ギルワ(サナナソダ)を中心にその東のブナ、西のパサプアを底辺とし、南ギルワを頂点とする三角形地区を守備。
独立工兵第15連隊長横山与助大佐は、「糧食欠乏・・・このままにて推移せんか戦わずして死滅するのみ」と、ラバウルに打電。
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11月19日
・大本営参謀岩越少佐のラバウル出張報告、作戦課内で行なわれ、現地の辻・杉田両参謀の「勝算きわめて少い」との意見が伝えられる。

海軍でも、ほぼその頃、11月17日トラック島を出発した連合艦隊の三和・渡辺両参謀が、軍令部首脳に戦略転換の意見具申を行う。
しかし、戦略転換がどの程度までを言うのかは判然としない。
宇垣参謀長の日誌(20日)に、「・・・ガダル方面は維持程度に止めざるべからず、即ち作戦方針の大転換なり・・・」とあり、撤収の必要までが進言された様子はない。
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11月19日
・スターリングラード大反攻開始。
ソ連『ウラノス』作戦(航空優勢を握ったソ連軍、スターリングラードで反撃)23日 ドイツ第6軍を包囲。24日 ヒトラー、第36軍に脱出を禁止。
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11月19日
・ホートン提督、イギリス西方航路司令官に就任。
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11月19日
・ポーランドの作家シュルツ、ウクライナの路上でナチスに射殺。
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11月20日
・第8連合特別陸戦隊(大田實少将)編成。横須賀。第8艦隊編入。
呉鎮守府第6特別陸戦隊(呉六特、竹田静七中佐、1,955)、横須賀鎮守府第7特別陸戦隊(横七特、武田恒心中佐、1,945)、他設営隊など計6,100人。
30日、出征。ガダルカナル目標が戦況不利のため中部ソロモン、ニュージョージア島ムンダに変更。
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11月20日
・大本営、在マレー第5師団復員予定変更、豪北(アラフラ海諸島)転用決定
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11月20日
・インド国民軍モハンシン将軍、解任、続いてマレー支部長ラガワン追放、連盟の自主活動を日本側(岩畔機関)抑える
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11月20日
・日本文学報国会、「愛国百人一首」を選定発表
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11月20日
・英サー・ウィリアム・ベヴァリジ、「社会保険及び関連諸事業に関する報告」を発表。
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11月20日
・マルタ島に「ストーンエイジ船団」入港、封鎖解除される
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11月20日
・連合軍、ベンガジ占領
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