小さな渦巻 茨木のり子
ひとりの籠屋が竹籠を編む
なめらかに 魔法のように美しく
ひとりの医師がこつこつと統計表を
埋めている 彪大なものにつながる
きれつばし
ひとりの若い俳優は憧憬の表情を
今日も必死に再現している
ひとりの老いた百姓の皮肉は
〈忘れられない言葉〉となって
誰かの胸にたしかに育つ
ひとりの人間の真撃な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
それは風に運ばれる種子よりも自由に
すきな進路をとり
すきなところに花を咲かせる
私がものを考える
私がなにかを選びとる
私の魂が上等のチーズのように
練られてゆこうとするのも
みんな どこからともなく飛んできたり
ふしぎな磁力でひさよせられたりした
この小さく鋭い竜巻のせいだ
むかし隣国の塩と隣国の米が
交換されたように
現在 遠方の蘭と遠方の貨幣が
飛行便で取引きされるように
それほどあからさまではないけれど
耳をひらき
目をひらいていると
そうそうと流れる力強い
ある精緻な法則が
地球をやさしくしているのが わかる
たくさんのすばらしい贈物を
いくたび貰ったことだろう
こうしてある朝 ある夕
私もまた ためらわない
文字達を間断なく さらい
一篤の詩を成す
このはかない作業をけっして。
(「詩学」1955年10月 第一詩集『対話』所収 詩人29歳)
0 件のコメント:
コメントを投稿