《茨木のり子の詩》
「自分の感受性くらい」 (茨木のり子 詩集『自分の感受性くらい』) ; 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
「倚(よ)りかからず」 (茨木のり子 詩集『倚りかからず』より) : もはや できあいの思想には倚りかかりたくない ・・・ じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために - (茨木のり子)
別れる練習をしながら (趙炳華) 茨木のり子『韓国現代詩選』より
なかった (茨木のり子) ; 武士道は なかった 上層部の逃げ足の迅さ 残留孤児は老い去りて 武士道は なかった 神州清潔の民は もっとも不潔なことをした近隣諸国に
さくら (茨木のり子) ; さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と
突然 間違って生きているという思いが (呉圭原 / 茨木のり子『韓国現代詩選』)
行方不明の時間 (茨木のり子 『茨木のり子集 言の葉3』 2002年10月)
この失敗にもかかわらず (茨木のり子 第六詩集『寸志』 1982年12月) そう この失敗にもかかわらず 私もまた生きてゆかねばならない なぜかは知らず 生きている以上 生きものの味方をして
球を蹴る人 - N・Hに - (茨木のり子 『茨木のり子集 言の葉3 』 2002年10月)
灯 (茨木のり子 「アムネスティ人権報告」 1993年12月)
くりかえしのうた (茨木のり子 『人名詩集』 1971年5月)
五月の風は (茨木のり子 「北海道新聞」1962年5月10日)
あいなめ (茨木のり子 『茨木のり子詩集(現代詩文庫20)』 (1969年3月)
六月 (茨木のり子 『見えない配達夫』) / 芳賀徹「六月のユートピア ー 茨木のり子の詩一篇」(『みだれ髪の系譜』)
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子(『見えない配達夫』より) ; 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった
総督府へ行ってくる 茨木のり子(『食卓に珈琲の匂い流れ』より)
十二月のうた (茨木のり子 花神ブックスⅠ『茨木のり子』(花神社 1985年5月)59歳)
灯 茨木のり子(「アムネスティ人権報告」1993年12月 67歳)
根府川の海 茨木のり子 (『対話』1955年11月不知火社刊 初出「詩論」1953年2月 詩人27歳)
「小さな渦巻」(茨木のり子) (「詩学」1955年10月 第一詩集『対話』所収 詩人29歳) 「ひとりの人間の真撃な仕事は おもいもかけない遠いところで 小さな小さな渦巻をつくる」
「武者修行」(茨木のり子) 「この島にはじめて孵る深海魚の子ら! 五官にみづからの灯を入れて 野火の夢を拒絶せよ!」(『対話』 初出「櫂」3号1953年9月 詩人27歳)
いさましい歌 (茨木のり子) 「お待ち いまに息の根をとめてあげる がりがりとたうきびでもかじりたい日だ」(「詩学1950年9月 詩人24歳 はじめて活字になった茨木のり子の詩)
焦燥 (茨木のり子) 「稚(ワカ)い母よ ともに走らう 虚像をにくみ はげしく憎み 母系時代のどんらんさで まことの美果を もぎに行かう」(「詩学」1951年8月 詩人25歳)
民衆 (茨木のり子) 「ああ こののびやかな四肢に、 似合はぬ ふてた姿勢をすてて ひまはりのように立つ日は 何時だらう!……」(「詩学」1952年7月 詩人26歳)
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文藝別冊「茨木のり子」発売 没後10年、ますます輝きをます「現代詩の長女」の新しい魅力にせまる。谷川俊太郎、井坂洋子×小池昌代、工藤直子、紺野美沙子ほか — 河出書房新社
『別冊太陽 茨木のり子』が出たので速攻で買って来た 2019-11-28
茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で河上肇「味噌」を読む 2021-01-31
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