2022年1月26日水曜日

魂  (茨木のり子) 「まれに… 私は手鏡を取り あなたのみじめな奴隷をとらえる いまなお〈私〉を生きることのない この国の若者のひとつの顔が そこに 火をはらんだまま凍っている」(『対話』(1955年11月) 初出「詩学」1952年3月号 詩人26歳)       

 


魂     茨木のり子


あなたはエジプトの王妃のように

たくましく

洞窟の奥に坐っている


あなたへの奉仕のために

私の足は休むことをしらない


あなたへの媚のために

くさぐさの虚飾に満ちた供物を盗んだ


けれど私は一度も見ない

暗く蒼いあなたの瞳が

湖のように ほほえむのを

水蓮のように花ひらくのを


獅子の頭のきざんである

巨大な椅子に坐をしめて

黒檀色に匂う肌よ

とさおり私は燭をあげ

あなたの膝下にひざまづく


胸飾りシリウスの光を放ち

   シリウスの光を放ち

あなたはいつも瞳をあげぬ


くるいたつような空しい問答と

メタフイジツクな放浪がふたたびはじまる


まれに…

私は手鏡を取り

あなたのみじめな奴隷をとらえる


いまなお〈私〉を生きることのない

この国の若者のひとつの顔が

そこに

火をはらんだまま凍っている


(『対話』(1955年11月) 初出「詩学」1952年3月号 詩人26歳)


詩人の第一詩集『対話』(一九五五年)には、「魂」という題の詩が冒頭に置かれている。そのことは、詩語〈魂〉が優れて〈詩人の語彙〉であることを物語っている。


(略)


詩篇「魂」は、「私」と、「あなた」と呼ぶ「魂」との〈無言の対話〉(大岡信)として書かれている。「私」は、自己の内なる「魂」と対話をしながら自分自身を厳しい目で視つめて内省する。この詩の声の覚えさせる峻厳さは、詩語〈魂〉に出るのではないか。この詩に用いられている〈魂〉は、詩人の詩集に用いられている〈魂〉のなかでもとりわけ詩人の厳しい精神性を思わせる。・・・・・


蘇芳のり子『蜜柑の家の詩人 茨木のり子 - 詩と人と』(せりか書房)




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