1904(明治37)年
6月6日
第3軍(司令官乃木中将)5万7千、遼東半島・塩大澳上陸。乃木中将、大将昇格。
7日、乃木大将、長男勝典の戦死の地、南山の戦場を視察。
この日の乃木の日記
斉藤季二〔次〕郎少佐軍政委員なり、来訪。同氏の案内、南山の戦場巡視、山上戦死者基棟に麦酒を献じて飲む。幕僚同行。
山河草木転荒涼 十里風暒新戦場
征馬不前人不語 金州城外立夕陽
この詩はのちの推敲によって、「河」が「川」に、「夕」が「斜」に改められた。
山川草木うたた荒涼 十里風なまぐさし新戦場
征馬すすまず人語らず 金州城外斜陽に立つ。
この詩は野口寧斎のもとに届けられ、詩誌「百花欄」第19集(明治37年7月25日)に掲載された。
6月6日
ロシア軍、旅順救援のため軍の一部に南下を命じる。
日本軍が「金州・南山」を占領したことにより、ロシア軍の旅順要塞は孤立することになった。ロシア極東総督アレクセーエフと満州における陸軍の司令官クロパトキンは今後の方針をめぐって激論。 アレクセーエフは旅順救援の軍を送ることを主張し、クロパトキンは全軍を遼陽付近に集中して日本軍を迎え撃つことを主張。 結局、ロシア宮廷の意を受けたアレクセーエフの圧力により、クロパトキンは旅順方面に向け軍の一部を南下させることになった。
6月6日
侍従武官長(陸軍)岡沢中将・近衛師団長長谷川好道中将・第2師団長西寛二郎中将・第3軍司令官乃木中将・参謀次長児玉中将・連合艦隊司令長官東郷中将・海相山本中将の7人、大将昇格。
6月6日
大杉栄(19)、日露戦争で、旅順へ出征する父・東を上野駅で迎え、父の宿に宿泊。
6月8日
第1軍第10師団、岫巌を占領(岫巌の戦い)
6月9日
大本営が第2軍に対し、北進を要請。
6月10日
大蔵省、第2回国庫債券1億円発行。
6月12日
第1軍、懐仁県を占領
6月12日
『平民新聞』第31号発行
「欧米の同志に告ぐ」(第30号の英文欄に発表された「欧米の親愛なる同志に」の訳載)
「親愛なる同志よ!
日露の戦争は今如何の状にあるや、露国の艦隊が旅順においていかにその勢力を失墜せるか、殊に有名なる海軍中将溺死のためにいかに大なる損害をうけたるか、これ諸君のすでに詳知せる所ならん。而して今や日本の海軍もまた、近日その一等戦闘艦初瀬、巡洋艦吉野を失ひて非常の打撃を蒙れり。陸戦においては鴨緑江畔の戦争もっとも激烈なりしと称す、而して両軍の死傷実に一千に超ゆ。
プロッホ氏がその大著述(『戦争論』)において言へるが如く、近時武器改良の結果が戦争をして益々兇悪残酷ならしめたるは、実に吾人の意表の外にあり。但だ彼等兵士は平生、祖国のために万事を犠牲とすべきを教練せられたるが故に、鮮血猛火の中に突進しつつありと雖も、しかも彼等が愛国の熱情も遂に戦争に伴なふ悲惨を無視する能はざるを如何せん。
もしそれ両国人民が、これがために受くるの苦痛は今さら喋々(ちようちよう)を須(もち)ひず。……もしこの戦争にして永続せんか、その損害や独り交戦両国民に止まらず、世界万国の人民、倶に与(とも)に惨憺たる結果に陥るを免がれざるに至らん。
親愛なる同志よ! 諸君の政府はその利害の関するところ掻めて大なるにもかかはらず、何故に日露戦争について爾(しか)く冷淡なるか。……諸君の政府は単に厳正中立を持するを以て、大なる名誉となす著に似たり。然れども……戦争が一たび露仏同盟と三国同盟との間に破裂することありと想像せよ、英米の人民は単に看客として傍観することを得べきか。
然り、諸君の人道の主義と諸君の利害とは、今や諸君に向つて速かに平和快復の方法を講ぜんことを要求す。……戦争に干渉して以て速かに平和の快復に尽力するは、これ実に諸君の政府が当然なすべきの所にあらずや。而して諸君の政府にしてその連合の力を以てよく日露両国民に慫慂(しようよう)し、紛争葛藤の問題をへーグ仲裁裁判に委托せしむることを得んか、戦争は直ちに休止することを得べきなり。
吾人今や旦夕平和の福音を説くにおいて、……これをして効果あらしむるには一に欧米同志の……諸君がおのおの諸君の政府に迫りて、日露戦争休止のために適当の手段をとらしむるにあり。」
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社説「国辱の暴白」
一国文明の高低は国民の自由発達の程度によって量られ、自由の根底は言論の自由にあるから、言論の自由が束縛せられるところには人民の自由、一国の文明は存しない。今や即ち如何、政府はさきに『平民新聞』の発売を禁止し新聞の責任者を投獄したはかりでなく、日本の警察はいたるところの演説会において中止に加うるに解散を以てし、あまつさえ妄りに個人の旧罪を発いて社会主義に対する世人の偏見を助長せんとしている。既記のごとくさきに『平民新聞』が筆禍を招くや、『神戸クロニクル』新聞は日本政府が一個の非戦論をも容るる能わないでこれを圧迫するならは、今回の戦争に際して日本をロシアに比して文明国と信ずるがゆえに寄せた欧米各国の同情を失うであろうと論じた。今や欧米国民をして日本政府が社会主義者の言論集会を蹂躙すること土芥(どかい)のごとく、数十年前の個人の旧罪を発いて公刊物に記載させるような暴状を見せたならば、はたして何というであろうか。開戦の当初、彼等が社会主義者の非戦論を寛仮したのは、ただ「外国の手前」を顧慮したに過ぎなかったことが、今やこれらの「国辱の暴白」によって明らかにされた。
また、この社説の大要は本号の英文欄に「わが政府の過当なる社会主義恐怖」と題して訳載され、欧米の同志に向って日本政府の暴状、さながら往年のビスマルクの社会党鎮圧に同じく、日本政府が半野蛮国と称するロシアと異ならざる所以を訴えた。
木下尚江「戦争の歌」
▲新大将
戦争五ケ月ならずして
大将七人早や現はれぬ
寡婦と孤児とは数知らねど
餓孚(がひよう)は地上に充満(みちみ)てり
▲青山の墓地にて
山桜
散るを誉れと歌はれし
「軍神」のあと来て見れば
五月雨暗き原頭に
標(しるし)の杭は白けれど
風に花輪の骸(から)乱れ
いともあらはの墳墓(おくつき)を
心ありてやま榊の
青葉の袖を打ち掩ひ
涙とばかり露の滴る
都人士(とじんし)の歌は花より先に枯れて
雨の青山訪ふ影もなし
▲召集兵
残る妻子や白髪の親の
明日を思へば
心が裂ける
名誉名誉と騒いでくれな
国の為との世間の義理で
何も云はずに只だ目を閉ぢて
涙かくして
死にに行く
▲良人の戦死
名誉の戦死とあきらめませう
ありたけ泣かして下しゃんせ
西川光二郎「区役所門前の掲示」(納税期日に遅れた人たちの顛末)
○牛込区役所門前の掲示板には、140余の姓名が並べられた。滞納額は最高9円、最低20銭。
そして、「督促状発布したるも所在不明にして送達不能」と附記されている。明らかに滞納者は夜逃げをした。
○本所区役所では147人、最高額2円60銭、最低はただの2銭。滞納者の内、72人は営業税で最高5円44銭、最低20銭。4人は遊芸稼ぎ人税で最高26銭、最低16銭。残りの33人は荷積小車税で最高3円83銭、最低30銭、いずれも「所在不明」。ただ2銭の滞納は府税工業税で、工業税の中の最低額は職工、職人の税金である。
○深川区役所には滞納者の連名はなし。給水料滞納者の水道用具を公売に附する公告6件、水死者と餓死者の仮埋葬公告5件とが掲示されていた。
○京橋区役所では滞納者12人のうち、滞納額36円余とある。不景気がやや資産ある者をも破産させていると推測できる。
その他、神田区役所は50~60人、角兼某の報告による品川町役場は33人、金額は最高3円、最低9銭、多くは荷積小車業者であった。
たった2銭の滞納のために夜逃げした者のある一方で、陸軍大将、満洲軍総参謀長、男爵児玉源太郎の出征送別のために一夜、築地の待合瓢屋で豪奢盛大な宴会が催された。当夜の亭主役は、郵船会社社長近藤廉平、加藤正義、大河内輝綱等の実業家!
つづく

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