2026年9月11日金曜日

9月11日は、アメリカでは2001年の出来事を想起させる日付となっている。同時にアメリカの加害を想起するべき日付でもある。1973年9月11日、チリの将軍アウグスト・ピノチェトは、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデの政権をクーデターでもって転覆した。


 9月11日は、アメリカでは2001年の出来事を想起させる日付となっている。同時にアメリカの加害を想起するべき日付でもある。1973年9月11日、チリの将軍アウグスト・ピノチェトは、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデの政権をクーデターでもって転覆した。これは長年のアメリカによる裏工作が実現させたものだった。

アジェンデの政策は社会主義に基づくもので、銅鉱山の国有化などを特徴としていた。アメリカ企業による収奪を防ぐこの政策は、アメリカにとって少なからず都合の悪いものだった。加えて、ラテンアメリカで社会主義の成功例が生まれれば、冷戦の勢力図に影響が出ることも必至だった。

アジェンデ就任以前から、リチャード・ニクソンが「チリ経済に金切り声を上げさせろ」と言うなど、アメリカは様々な圧力をかけた。融資や援助の停止などでチリはインフレに見舞われ、野党の発言力向上やストライキが起きやすい状況が出来た(アメリカは野党や民間人、マスメディアにも資金を提供していた)。

このほかにも、工業に必要な部品の輸出の停止や、アメリカの銅備蓄を放出してチリの銅の価値を下げるなど、アメリカは執拗なまでにアジェンデ政権への嫌がらせを繰り返した(アメリカの制裁の凄まじさはここには書き切れない)。アジェンデは自らの政策で窮地に陥ったわけではない。アメリカによる見えない封鎖に苛まれていたのだ。

最終的にピノチェトのクーデターにより、アジェンデは自ら命を絶つまでに至る。その後の軍事政権でチリは新自由主義の実験場となった。ミルトン・フリードマンの弟子であるシカゴ・ボーイズらの教唆を受けながら、チリは国有事業の私有化や、徹底的な規制緩和などアジェンデとは真逆の政策を採用するようになる(ナオミ・クラインは、クーデターのショックに紛れて破壊的な政策を採る政治を「ショック・ドクトリン」の典型例として取り上げた)。

ピノチェトに率いられたチリの経済成長は「チリの奇跡」と評された。しかし、軍政下での平均GDP率の上昇は3%程度でしかなく、貧困率は40%以上にまで達し、格差も広がった。改革の恩恵を受けたのは上流層だけでしかないし、軍政に抵抗する人々はことごとく弾圧された。アメリカにとってお望み通りの政策を採った結果、チリの社会は破壊された。

自国が被害者となった歴史を誇張し、加害者となった歴史を忘却する有り様を、韓国の歴史家イム・ジヒョンは「犠牲者意識ナショナリズム」と呼んだ。9月11日になるたび、2001年の出来事を誇張し、1973年の出来事を不可視化するアメリカのあり方は、その典型例と言っていい。

いうまでもなく、アメリカが加害者になった事例は枚挙にいとまがない。今日においてもベネズエラのニコラス・マドゥロを誘拐し、イランに戦争を仕掛け、キューバに禁輸を課すなどして、諸国の政権を転覆しようと試み続けている。2001年の出来事をもって、それらの加害の事実が消せるわけはない。



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