2009年9月23日水曜日

神田(1) 神田川に沿って万世橋、昌平橋、聖橋、お茶ノ水橋、水道橋を歩く。

万世橋から神田川を遡って飯田橋まで歩きましたので、その様子をご紹介。
(実際は小石川後楽園まで歩きましたが、橋の写真は水道橋までしかありません)
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神田川は人工的に開削された川です。
聖橋とお茶ノ水橋辺りはお茶ノ水台地の頂点をなし、江戸城構築前にはこの台地の西側に「平川」という川が、小石川・後楽園方面から日本橋方面に流れていた。その頃は、大手町辺りまでが日比谷入江という湾をなしており、平川はそこに注いでいた。
江戸城平川門の名はその名残でしょうか。
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平川は、大雨が降ると氾濫し、江戸城本丸前は洪水になる。
この洪水対策のため、平川の飯田橋~堀留橋間を埋め立て、飯田橋~浅草橋間を開き、平川を隅田川に注ぐようにする大工事が始まる(現在、日本橋川は、飯田橋~水道橋間、小石川橋で神田川と繋がっているが、これは明治以降の工事)。
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神田川開削工事の結果、大手町辺りは洪水から解放され、またお茶の水の台地を掘削した大量の土砂で日比谷入江を埋め立て、日本橋、大手町、日比谷辺りの土地が造成される。
工事は、元和6年(1620)頃には完成したという。
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更に、お茶ノ水台地は、江戸の北から連なる本郷台地の南端にあたり、江戸城の喉元近くにまで張り出しており、ここに深く神田川を開削する事は、江戸城の北の防備を固める外堀構築と同じ役割を果たす事にもなる。
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万世橋
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万世橋からJR鉄橋(コンクリート橋)を見る
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万世橋から昌平橋方面を見る
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明治43年5月27日除幕式の広瀬中佐像
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大正に入って、邪魔者扱いされ須田町交差点に移設
(しかし、昭和に入るとこれまで以上に「軍神」はもてはやされる)
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昌平橋から万世橋を見る
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昌平橋から聖橋を見る
(台地であることがよくわかる)
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聖橋から昌平橋方面を見る
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聖橋からお茶の水橋方面を見る
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お茶ノ水橋から聖橋を見る
(この辺りはカメラを携えた人が多い)
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お茶ノ水橋~水道橋の間。
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水道橋
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水道橋からお茶の水方面を見る
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次回以降、神田辺りのまち歩きをします。

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