(実際は小石川後楽園まで歩きましたが、橋の写真は水道橋までしかありません)
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神田川は人工的に開削された川です。
聖橋とお茶ノ水橋辺りはお茶ノ水台地の頂点をなし、江戸城構築前にはこの台地の西側に「平川」という川が、小石川・後楽園方面から日本橋方面に流れていた。その頃は、大手町辺りまでが日比谷入江という湾をなしており、平川はそこに注いでいた。
江戸城平川門の名はその名残でしょうか。
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平川は、大雨が降ると氾濫し、江戸城本丸前は洪水になる。
この洪水対策のため、平川の飯田橋~堀留橋間を埋め立て、飯田橋~浅草橋間を開き、平川を隅田川に注ぐようにする大工事が始まる(現在、日本橋川は、飯田橋~水道橋間、小石川橋で神田川と繋がっているが、これは明治以降の工事)。
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神田川開削工事の結果、大手町辺りは洪水から解放され、またお茶の水の台地を掘削した大量の土砂で日比谷入江を埋め立て、日本橋、大手町、日比谷辺りの土地が造成される。
工事は、元和6年(1620)頃には完成したという。
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更に、お茶ノ水台地は、江戸の北から連なる本郷台地の南端にあたり、江戸城の喉元近くにまで張り出しており、ここに深く神田川を開削する事は、江戸城の北の防備を固める外堀構築と同じ役割を果たす事にもなる。
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万世橋
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万世橋
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次回以降、神田辺りのまち歩きをします。
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