毎日新聞
Listening:<記者の目>8月9日、長崎平和宣言=小畑英介(長崎支局)
2014年08月08日
◇「被爆地の声」今こそ
長崎は9日、69回目の「原爆の日」を迎える。平和祈念式典で田上富久(たうえとみひさ)・長崎市長が読み上げる平和宣言は今年、安倍晋三政権が7月に閣議決定した「集団的自衛権の行使容認」に言及するかが起草過程で議論となった。田上市長は「集団的自衛権」に触れ、国民が抱く平和への不安や懸念に耳を傾けることを政府に求める方針だが、私は、現状説明にとどめず、十分な議論を経ないまま憲法9条の解釈を変更したことへの強い警鐘を鳴らすべきだと考える。
長崎市の平和宣言の起草には、市長を含む起草委員会の15人が関わる。盛り込むべき要素や文章表現について委員から出た意見を参考に、市長が最終決定する。起草委の構成メンバーは被爆者や大学の研究者らで、今年は5〜7月に3回の会合が開かれた。集団的自衛権を巡る議論が大詰めとなる時期に重なったが、市側から2度示された宣言文案に「集団的自衛権」の言葉はなく、委員から盛り込むよう求める声が相次いだ。
◇憲法解釈問題に踏み込み警鐘を
各委員の意見は危機感に満ちていた。原爆投下後に市域に入った入市被爆者で元長崎大学長の土山秀夫さん(89)は「(閣議決定は)国民の意向が反映される機会もなく納得できない。現行憲法の理念に沿い、戦争ではない平和外交に徹底して取り組んでほしい」などと政府に求める私案を携え、踏み込んだ表現を迫った。被爆者医療に携わる医師の朝長(ともなが)万左男(まさお)さん(71)は「第三者のような書きぶりではなく明確な表現の方がいい」と、被爆地としての立場を示すよう求めた。「盛り込まなくてもいい」との意見は出なかった。
しかし、田上市長が1日発表した宣言骨子では、集団的自衛権には触れるものの、行使容認に対する評価はしないという。市長は「現在の状況を明確にするために入れた方がいいと考えた」と言及の理由を説明する一方で「一日も早く核兵器をなくすという思いは一致しているが、安全保障にはさまざまな意見がある」と苦慮をにじませた。多くの人の共感を優先させる姿勢は理解できても、市長自身の平和問題に対する理念や信念を感じ取ることは難しい。
集団的自衛権に言及しなかったもう一つの被爆地・広島の平和宣言に比べ、長崎は一歩踏み込んだとは言える。しかし起草委の議論を踏まえれば、あまりに抑制的な印象だ。市議会などにみられる保守層には「世論が二分されるテーマは平和宣言になじまない」との声も根強い。加えて、今年の田上市長の平和宣言は2期目の最後で、来春に市長選を控える。「岸田文雄外相のお膝元」という広島と別の事情による自民党への思惑をくみ取る向きも地元にはある。長崎原爆被災者協議会の山田拓民(ひろたみ)・事務局長(83)は「選挙を控えた今の田上市長に政治問題への先鋭的な発言は、期待しづらいかもしれない」と話す。
◇戦争体験者の思い受け止め
確かに安全保障への意見はさまざまだ。毎日新聞が6月に行った全国世論調査では、集団的自衛権行使について「反対」58%に対し、「賛成」が32%だったが、メディアや質問の仕方によっては、賛否が逆転する調査結果もある。被爆者の中にも「平和国家を守れ」とする一方、「今の国際情勢で戦争を繰り返さないために、集団的自衛権は必要だ」と主張する人もいる。
「被爆地の声」とは何だろう。自問する中で今夏、長崎市の飛永アヤ子さん(92)に出会った。飛永さんは爆心地から約1キロの自宅で被爆。顔や足に大やけどを負い、気付いた時には、熱風で服が焦げ、肩や足に生地が残るだけだった。「母ちゃん、痛かねえ」といたわってくれた2歳の息子は、急性放射線障害で2カ月後に亡くなった。「言葉が達者な子でね」。涙ぐみながら回想する飛永さんは「戦争はもう嫌だと思うが、体験したことのない今の人に言っても、分からんのじゃないか」と嘆いた。
私は昨年4月に長崎支局に赴任し、本格的に被爆者の取材を始めた。いや応なく戦争や原爆に巻き込まれた飛永さんたちの言葉は、核兵器廃絶だけでなく「戦争のない世界」への思いに満ちていた。戦争体験者の高齢化が進み、戦争の記憶は「記録」や「知識」になりつつある。戦争を知る人々の思いを置き去りにした安全保障の議論にはうつろで危ういものを感じる。
安全保障を巡る国の岐路で迎える8月9日、戦争のできる国づくりに突き進む政府を戒める言葉を、「被爆地の声」として田上市長には発してほしい。それが被爆都市の首長としての務めではないだろうか。
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