2014年9月13日土曜日

始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半 (ハフィントンポスト日本版) : 「30年後には福島・浜通りからは誰もいなくなるよ。住民は老人ばかりだから。今をだまし通せばいいのだ。知事なんて誰でもいいってことよ」



始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半
投稿日: 2014年09月12日 16時26分 JST

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 瓦礫の代わりに除染作業で出た泥や草木が、ビニール袋のような巨大な特殊容器に詰め込まれて、無人の街の道路脇に延々と並んでいる。「福島の復興なくして日本の復興なし」と叫んだ安倍晋三首相の言葉がいかに空しいか、現地を見れば説明の必要はない。

被災者の不満が噴出

 静まりかえった町や村。表向きは何も変わらないように見える福島の風景の裏で、しかし、徐々に、そして大規模な、かつてなかった変化が起きようとしている。原発に隣接した浪江町が代理人となり、住民が全町避難に伴う精神的苦痛への慰謝料増額を東電に求めて、国の原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)に集団で和解申し立てを行ったのである。続いて浪江と同様に全住民が避難生活を強いられている飯舘村の住民も同様の集団申し立ての準備を進めている。

 驚くべきは申立人である住民の数だ。浪江の場合は全町民の73%にのぼる1万5313人(申し立て後 、避難生活の中で死亡した住民も170人以上いる)。飯舘村は9月6日に申し立ての受付を始めたばかりだが、週末6、7の両日だけで既に約6000人の住民の半数を超える3100人に達するという。

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「一揆」主導者の深い悩み

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絵空事になった「美しい村」

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 福島被災地の住民が、心の中で切実に望んできたのは、ふるさとの町や村への帰還である。明日のふるさとを約束するには、子どもたちが安心して住める環境がなければならない。それにはなおのこと徹底した除染が必須である。放射能汚染をそのままにしていては、田や畑はもとより、学校も保育所も使えない。山深い飯舘村の環境は、それを分かりやすく教えたのである。

本音は「財政支出の抑制」

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 菅野村長は事故当時、「2年で除染を終え、全員の帰村を実現する」と宣言した。「そんなにうまくいくのかな、という気もしたけれど、そうなってほしいという期待もあって、村民は村長についていったのです。でも既に3年半が過ぎたのに、事態は全く変わらない。もう村長の言葉にまじめに耳を貸す村民はいなくなり始めている」と村の長老たちは口をそろえる。

 浪江町と違って飯舘村当局はADRに消極的だ。代わりに村長の口からは「公民館の建て替え」「村営住宅の建設」など、今も次々と村の「復興計画」が語られる。しかし、こうした話も、今では多くの村民が単なる箱物行政ではないか、今はそんなことをしている場合か、と醒めた目で見るようになった。

はるかに重い政府の罪

 村の復興を阻む元凶は、夢物語を語り続ける菅野村長ではない。村長の苦闘は、創業時代とは激変した経営環境についていけずに凋落するベンチャー企業経営者の姿に重なる。

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 無責任な夢物語を語って目の前に進行する問題を放置してきたのは、菅野村長だけではない。その点で政府自身の罪ははるかに重い。

 今や国の財政は破綻寸前。福島への財政支出をためらってまで必死になった景気対策もほとんど効果はない。その間、原発関連の支出に歯止めがかからず、東電自体が経営破綻寸前に追い込まれた。すべてが無策のまま、原発再稼働の日程だけが粛々と語られる。右も左も無責任。それが日本の現実である。

愚かな汗水

 1年前の9月、筆者は「福島原発はアンダー・コントロールの状態にある」と世界中に向けて叫んだ安倍首相の噓をこのコラムで指摘した。オリンピックの招致を焦るあまり、福島の現実など首相の頭からはすっかり消えていたのだろう。

 しかし当時、汚染水対策の切り札とはやされた原発建屋周囲の凍土壁建設は、大金を使ったあげく大失敗に終わろうとしている。今、凍らない壁を冷やすために四苦八苦して試みているのが、壁の中に氷を詰め込む作業だという。無意味に詰め込まれた氷は、新たな汚染水の源となる。

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「知事なんて誰でもいい」

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 9月11日で震災と原発事故から3年半。来月末には福島県知事選挙が予定され、早くも自公民相乗りの「争点隠し」が噂されている。親しい官僚から恐ろしい話を聞いた。「30年後には福島・浜通りからは誰もいなくなるよ。住民は老人ばかりだから。今をだまし通せばいいのだ。知事なんて誰でもいいってことよ」。こうして日本は亡びていくのかもしれない。

吉野源太郎
ジャーナリスト、日本経済研究センター客員研究員。1943年生れ。東京大学文学部卒。67年日本経済新聞社入社。日経ビジネス副編集長、日経流通新聞編集長、編集局次長などを経て95年より論説委員。2006年3月より現職。デフレ経済の到来や道路公団改革の不充分さなどを的確に予言・指摘してきた。『西武事件』(日本経済新聞社)など著書多数。





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