江戸城(皇居)東御苑 2015-06-10
*明治38年(1905)
6月
・岩野泡鳴『悲恋悲歌』(「有倫堂」)
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・片倉組、200釜の仙台製糸所設置。
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・末、若山牧水(20)、高等予科の課程を修了して坪谷に帰省。8月末に上京。
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・漱石「吾輩は猫である」(四)
「理は此方にあるが権力は向ふにあると云ふ場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、又は権力の目を掠(かす)めて我理(わがり)を貫くかと云へば、吾輩は無論後者を択(えら)ぶのである」と「吾輩」が語る。検閲を意識した漱石がの創作方法。
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・漱石「琴のそら音」
久し振りに友人の津田君の家を訪問した「余」は、「幽霊」の研究をしている彼から「不思議な話」を聞く。
彼の親戚の女性が肺炎で死んだ。彼女の夫は黒木将軍の第一軍に属して出征していたが、ある朝、鏡を何気なく見ると、病気にやつれた妻の青白い姿がスーと現れた。
出征前の妻の誓いのことばの通り、死んでも「魂魄(こんぱく)」だけはもう一度夫のもとへ会いに行ったのだ。あとで調べると、妻が息をひきとった時と夫が鏡を眺めた時とは同日同刻だった。・・・
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・ロシア各地でストライキ、武装蜂起起。(露第1革命)
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・マックス・ウェーバー、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」第2章を『アルヒーフ』第21巻に発表。
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6月1日
・日比谷公園、日露日本海海戦の大勝を祝う東京市祝勝会。
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6月1日
・高平小五郎駐米公使、セオドア・ルーズベルト米大統領に日本政府の意思を伝え日露講和の友誼的斡旋を希望。
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6月2日
・セオドア・ルーズベルト米大統領、カシニー・ロシア大使に日露講和を勧告。
また、ルーズベルトは駐ドイツ大使スペックから、ドイツ皇帝がロシア皇帝に講和勧告をしたと連絡受ける。
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6月3日
・モロッコのスルタン、改革の協議のため列強を会議に招く。
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6月4日
・『直言』第18号発行。
堺利彦「マルクスの学説」(週刊「直言」第18~24号(7月26日))。イリー「近世社会主義史」・ハイドマン「社会主義経済学」により概説。
荒畑寒村の斡旋で竹久夢二のコマ絵掲載(この頃平民社の同志岡・荒畑と雑司ヶ谷で同居自炊)。
竹久夢二の最初の絵『勝利の悲哀』を掲載
『寒村自伝』によれば、夢二が荒畑に厚い自筆の習作画帳をみせて、この中から適当なものを『直言』の誌上に発表してもらえまいかと相談し、荒畑が堺利彦に話して快諾を得たので、赤十字のマークのついた白衣の骸骨と並んで丸まげの若い女が泣いているのを抜いて掲載すると、諷刺が利いているので好評で、それからつづいて掲載することになった、という。
夢二は荒畑といつ知り合ったのか、確証はないが、音江舜二郎氏は、1903年末、幸徳秋水、堺利彦などによって結成された社会主義協会の最初の演説会がYMCAホールで開かれた頃、と推察されている。
夢二からは、荒畑は約3歳年下であり、純朴な青年に気を許したのかも知れない。
夢二(竹久茂次郎)が上京したのは17歳の1901(明治34)年夏、早稲田実業本科に補充入学したのは翌年9月、本科3年卒業が1905年3月、同校専攻科に進学したのが4月で、その年の7月に退学。
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6月4日
・石川啄木、失踪騒ぎの後、節子のもとに現れる。盛岡市帷子小路に新居。啄木の両親・妹光子との同居。
9日、随筆「閑天地」(「岩手日報」~7月18日、21回)。
25日、盛岡市加賀野磧町に移る。
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6月6日
・ロシア・カシニー駐米大使、ロシア政府に講和意志ない事を米ルーズベルト大統領に伝える。
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6月6日
・米駐露大使メーヤーより、日本からの講和提案ならば、ロシアは同意の旨、ルーズベルトに入電。ルーズベルト、日・露両国に講和全権選出要請。
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6月7日
・岸田吟香(73)、没。
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6月7日
・ロシア皇帝ニコライ2世、セオドア・ルーズベルト米大統領に講和談判に全権委員を任命するべく回答。
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6月7日
・ドレスデン、芸術家集団「ブリュッケ」結成。
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6月7日
・ノルウェー議会、スウェーデンとの同君連合解消、独立を宣言。
8月13日、国民投票により批准。10月26日、調印。
デンマークのカール王子がホーコン7世としてノルウェー王に即位(1957年まで在位)。
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6月9日
・閣僚会議、米提案の対露講和受諾決議。
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6月9日
・セオドア・ルーズベルト米大統領、日露講和を勧告。
米公使、正式に米の講和勧告書を日本に手交。露にも同日交付。
10日に日本、12日露が承諾。
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6月10日
・伊藤証信、『無我の愛』創刊。東京巣鴨に無我苑をひらく。
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6月10日
・日本、9日のセオドア・ルーズベルト米大統領の日露講和勧告受諾。全権委員を任命すべきことをアメリカ公使に回答。12日、ロシアが承諾。
以降、東京帝大七博士グループや対露同志会などは、賠償金30億円、樺太・沿海州・カムチャツカなどの割譲、東清鉄道譲渡、遼東半島の租借権など満州に於けるロシアの権利の譲渡などを要求。
しかし、東西「朝日」・「時事新報」「日本」「毎日新聞」などは、6月段階での講和に賛成せず、講和調印までは戦闘を継続せよと主張続ける。
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6月10日
・参謀次長長岡少将、樺太占領について元老伊藤博文の了解をとりつける。小村外相も賛成。
翌日、桂首相・寺内陸相の賛成もとりつけ、翌日の御前会議後に首脳会談を開き一挙に決定するよう調整。海軍軍令部次長伊集院五郎中将は明言を避けるが、連合艦隊司令長官東郷大将の賛意を確認し、東郷の出した条件である連合艦隊編制改正に着手。
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6月10日
・長野の岡谷~上諏訪で初の生繭汽車輸送開始。中央東線富士見~岡谷間の未開業線を利用。
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6月10日
・ベルツ(56)、横浜港から出航、帰国のためドイツに向かう。
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6月10日
・英外相、日英同盟協約対案を提示。以後交渉継続。
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