『アルパ公爵夫人像』(黒衣のアルバ公爵夫人像)1797
*彼としての代表作の一つである
「一七九七年に描かれた黒衣のアルバ公爵夫人像は、・・・彼としての代表作の一つである。それは王妃マリア・ルイーサなど問題にもならぬ、威風堂々たる貴族の夫人像である。
・・・これは喪服ではない。」
髪と蝶結びとマンティーリアの、この三重の細部の扱い、・・・胸部の、白の下着、金の胴衣、それにマンティーリアの、この三重層も技術的に実に完璧の出来
「彼女は茶色、あるいは金色の胴衣を白絹の下着の上にまとい、頭から黒い紗のマンティーリアをかぶっていて、その下の黒い髪には白と金の蝶結びの髪飾りをつけている。
髪と蝶結びとマンティーリアの、この三重の細部の扱い、描き方などももはや完璧である。また胸部の、白の下着、金の胴衣、それにマンティーリアの、この三重層も技術的に実に完璧の出来である。」
腰は、・・・組み格子と黒い花による細部の仕上げには余程の時間がかかったであろう
「腰は、金の飾り紐つきの赤いサッシュで締め上げ、琥珀織り、あるいは節織りの黒絹のスカートには組み格子の黒い花飾りがついている。スカートが黒で、そこに同色の花飾りを描き込むのであるから、並大抵の技倆ではない。組み格子と黒い花による細部の仕上げには余程の時間がかかったであろう。彼がこの一枚に注ぎ込んだ情熱のほどが知られるというものである。」
金の腕蔽い・・・。おそろしく手の込んだことをしたものであり、見事なものだと言う以外にことばがない
「・・・腕には、おそらくは金製の網編みの腕蔽いをつけ、左手は背後の腰にあてがわれて胸部を前方に張り出させている。この金の腕蔽いは燦々たるアンダルシーアの陽光を浴びて白金のように輝光を発している。おそろしく手の込んだことをしたものであり、見事なものだと言う以外にことばがない。」
右腕は人指し指で下の砂に書かれた Goya という文字を指差している
その指と中指には二つの指輪が・・・、これ見よがしに Alba Goya という文字が象嵌されている
「右腕は人指し指で下の砂に書かれた Goya という文字を指差している。その指と中指には二つの指輪がはめてあって、そこに、これ見よがしに Alba Goya という文字が象嵌されている。
これ見よがしに、と言ったのは、その二つの名前がこの絵を見る人にはっきりと読みとれるように描かれてあるからである。これでは、もし夫人が手をあげて指輪を自分の目の前にもって来た場合、この二つの名はさかしまに逆立ちをしてしまうことになる。」
眼は、右の人指し指が差している、アンダルシーアの赤い砂地を人々が見ることを命令しているかのようである
「・・・顔そのものについて言えば、夫人の顔の特徴の一つである濃い半月形の眉は力強く描かれ、当時の流行に従って頬には紅が薄く刷かれている。そうしてこれも流行に従って右眼の切れるところに、スペイン語で lunar postizo (つけ黒子)と称される黒い小さな絹布がはりつけてある。
眼は、これを描いているゴヤを、あるいはこの絵を見る人の眼を強く直視していて、その上で二つの指輪をはめた右の人指し指が差している、アンダルシーアの赤い砂地を人々が見ることを求めている。
それは、求めている、などというよりも、むしろ公爵夫人はそうすることを命令しているかのようである。」
Solo Goya とは、「ゴヤのみ」、あるいは「ゴヤだけ」という意である
「・・・砂地に眼を落して行くと、そこにあたかも公爵夫人自身が指で書いたかのように描かれた、逆立ちをした Goya という文字が見えて乗る。それはこの絵のサインというものではない。・・・1797 という制作年の表示は、指輪の場合同様に、見る人の側に立ってしるしてあるのである。
しかも、一九六四年に、現在の所有者であるニューヨークのザ・ヒスパニック・ソサイエティ・オブ・アメリカ(米西協会とでも訳すべきか)がこの絵を洗ったとき、 Goya という砂上の文字に先立って、 Solo いう言葉が注意深く隠されていたことが発見された。・・・
Solo とは、英語で言う only であり、従わって Solo Goya とは、「ゴヤのみ」、あるいは「ゴヤだけ」という意である。」
この Solo は、後日にいたってゴヤ自身の手でひそかに、他人にはわからぬように、塗りつぶされていた
「この絵はおそらくアルバ公爵夫人の注文によって描かれたものであったろうが、アルバ家に収められたことはなかったものと思われる。生前のゴヤ自身がマドリードの自家に架蔵していたことが一八一二年作製になるゴヤ家の財産目録に明らかであり、ゴヤの死後息子のハピエールが秘蔵をしていて、その後に売りに出て、パリ、ロンドン、マドリード、パリ、セピーリァ、パリと転々として現在ニューヨークに辿りついたことも記録に明らかである。たとえ夫人が注文主であったとしても、この絵に関する限り、アルバ家は関係がなかった。一九六四年以前のリプロダクシオンには、この Solo は写っていない。
従って、この Solo は、後日にいたってゴヤ自身の手でひそかに、他人にはわからぬように、その程度に薄く、赤い砂地の色と同じ絵具で塗りつぶされていたものである。」
なぜか、なぜ塗りつぶしたか?
「その理由は、すぐ後に触れる筈のマドリード画帳と呼ばれる、大型のデッサン帳、あるいは版画集の『気まぐれ』などによって次第に明らかになって来るのであるが、今の今としては、夫人が長く一つのものやことに執着出来る性質の人でなかったことだけをしるしておこう。」
背景は、サンルーカルのものではない。狩猟用の森の家のあったサンタ・オラーリアか、エル・ロシーオの宮殿付近である
「そうして背景は、赤褐色の砂地に、たっぷり水をたたえた小川が流れ、墨絵風にぼかした森が最後景となっていて、右に見える笠松は、これもアンダルシーアの名物であり、マドリード画帳と称されるデッサン中に、夫人と別の男の会話の背景をなしているものと同じである。
この背景は、先にも言ったようにサンルーカルのものではない。明らかにそれは狩猟用の森の家のあったサンタ・オラーリアか、エル・ロシーオの宮殿付近である。
従ってこの絵は、夫人がマドリードでの夫の本葬を終えて、再びサンルーカルヘ戻って来たとき、一七九六年の冬から翌年春へかけての二度目のアンダルシーア滞在時に、ゴヤとともにサンルーカルからグアダルキビール河を越えて大湿地帯を北上し、別の別荘に移ったことを物語っている。」
Solo Goya - それはもう愛の終りの始めということになるであろう
「私はこの代表的大肖像画(二・一〇メートル×一・四八メートル)を一九七四年の早春、ニューヨークで三日がかりで眺めていて、しまいにはある重苦しい悲哀の感をもたされてしまった。
堂々たる体躯のアルバ公爵夫人の眼と口許は、いまにも何かを言い出しそうにしているのだ。
しかし、何を言ってもゴヤには聞えない。
その、何を言っても聞えないことのもどかしさが、夫人の、眼にものを言わせたいかにぐっと見開いた眼にあらわに浮かんでいるかに思われ、そのもどかしさこそが夫人をして砂上に Solo Goya と描かせ、これを、これ見よがしに指差して見せるというポーズをとらせたものであろうと、結論的に思われたからである。
おそらく実際に、夫人が Solo Goya と指で地面に書いてみせたというほどのことがあったのであろう。
とすれば、それはもう愛の終りの始めということになるであろう。」
「ゴヤには手真似と、バランスを失した一方交通の声と、筆談とデッサンしかコミュニケーションの方法がない。
夫人の方が、次第に負担に思うようになったとしても、自然である。仕方がない。」
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿