2015年8月29日土曜日

「戦後」とは何なのか (小熊英二 『朝日新聞』2015-08-27あすを探る)

「戦後」とは何なのか 小熊英二 (『朝日新聞』2015-08-27あすを探る)

 「戦後」とは何なのか。それはいったい、いつ終わるのか。

 諸外国では、「戦後」とは、おおむね終戦から10年前後を指す。そもそも、多くの戦争を戦った国の場合、「戦後」はいくつも存在する。

 しかし日本では、「戦後」は70年も続いている。それでは、日本にとっての「戦後」とは何なのか。
 私の意見では、日本の「戦後」とは、単なる時期区分ではない。それは、「建国」を指す言葉である。

 日本国は、大日本帝国が滅亡したあと、「戦後」に建国された国である。もちろん、日本国の構成員が、一夜にして変わったわけではない。しかしそれは、1789年にフランス共和国が建国され、1776年にアメリカ合衆国が建国されたのと同様に、「戦後」に建国された国である。

 では日本国は、どんな骨格をもって建国されたのか。いうまでもなく、日本国憲法がその骨格である。

 憲法を指す英語constitutionとは、「骨格」ないし「構成」という意味である。まず前文に、こういうコンセプトで国を造る、という宣言が書かれる。そして、コンセプトを具体化するための国の設計図が、各条項として書かれている。

 日本国憲法の前文は、二つのコンセプトを掲げている。国民主権と平和主義である。その前提にあるのは、戦争の惨禍の後にこの国は建国された、という共有認識である。

 その意味で、日本国憲法の最重要条項は、第1条と第9条だ。すなわち、天皇を「主権の存する国民」の統合の象徴と位置付けた第1条と、「戦力」放棄をうたった第9条が、前文に掲げられた国民主権と平和主義の国を具体化する条項である。

 従ってこの2条項の改正は、基本コンセプトの変更を意味する。他の条項については、国民主権と平和主義をよりよく実現するための改正、ということもありうるだろう。しかし前文・第1条・第9条の改正は、国の骨格そのものの変更である。

 フランスやアメリカでも、憲法の各条項の改正は行われる。しかし、人権宣言と独立宣言は変えない。それは、建国の基本的精神を変更することであり、つまりは「『フランス共和国』や『アメリカ合衆国』をやめる」ことを意味するからだ。

 逆にいえば、「日本国」を否定したい人々は、前文と第1条と第9条の改正を目標にしてきた。これらの改正をめぐる対立は、「日本国」の存廃をめぐる争いなのである。

 だが日本国は、国内条件だけで成立してきたのではない。戦争の惨禍を経て、平和主義を掲げた国の成立は、国際的には以下の二つなしにはありえなかった。すなわち、東京裁判と日米安保条約である。

 まず東京裁判なしには、日本国の国際社会復帰はありえなかった。また当時の国際情勢では、東京裁判と第9条なしに、第1条の前提である天皇の存続もありえなかった。

 そして第9条は、米軍の駐留抜きに実在したことはない。すなわち1952年までは占領が、1952年以降は日米安保条約が、米軍の駐留を正当化してきたのである。

 つまり「日本国」とは、第1条、第9条、東京裁判、日米安保の四つに立脚した体制である。これら四つは、相互に矛盾しながらも、冷戦期の国際条件では共存してきた。

 そして「戦後70年」とは、「建国70年」のことだ。もし、日本国の存立を支えている4要素が変更されれば、ないしバランスが変われば、「戦後」は終わる。それがない限り、たとえ何らかの紛争に日本が関わっても、「戦後」は続くだろう。

 いま「戦後」は不安定になっている。冷戦終結と国際社会の変動、戦争の記憶の風化、経済条件の変化などが、4要素のバランスと共存を脅かしているからだ。建国70年を迎えた日本国は、今後どんな国であるべきか。いま問われているのは、それである。その議論なしに、この国の未来は探れない。

(おぐま・えいじ 62年生まれ。慶応大数援・歴史社会学。『生きて帰ってきた男』『平成史』など)。





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