2015年8月28日金曜日

「外注」した政治 戦後70年いま取り戻す (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-08-27論壇時評) : 「政治」や「社会」について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま起こりつつある。

「外注」した政治 戦後70年いま取り戻す 高橋源一郎(『朝日新聞』2015-08-27論壇時評)

 10年ぶりで高橋家の菩提寺を訪ねたとき、異様な光景に出会った。墓の3分の1ほどに白い紙が貼られていたのである。そこには「墓の所有者」に宛てて、これ以上連絡がつかないと墓を撤去することになる、と記してあった。
 「弔う」子孫がいなくなると、墓はなくなる。わたしは「墓仕舞(じま)い」ということばを、そのとき初めて知った。

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 では、墓をなくしたとき、そこにいた霊はどこにいくのだろう。それとも、もう人々は、そんなものを信じることを止めたのだろうか。

①加藤典洋「死が死として集まる。そういう場所」(すばる9月号)

 加藤典洋が雑誌「すばる」の「戦争を、読む」という特集に寄せた短いエッセー(①)に、強い衝撃を受けた。そこで加藤は、70年前、偉大な民俗学者・柳田国男が考えたことを紹介している。

 柳田は、烈(はげ)しい空襲が続く東京で、夥しい死者を目の当たりにしながら、死者を弔うとは何か、と考えつづけた。とりわけ「南の海などで非業の死をとげている若者の魂はどうなるだろう」と。

 日本人は、ずっと、死んだ人間は、故郷の地に集まり、そこから生きている者を見守り、やがて、子孫から敬われ、弔われることで、すべての祖先の霊と合体してゆく、と考えてきた。だが、戦争による夥しい死の中で、子孫を作ることなく、異国で亡くなった魂はどうなるのか。そして、柳田は、日本人固有の死生観に基づき、「国に残った縁あるモット若い人たちが、海の藻屑となったり、ジャングルの奥で野ざらしになった死者の養子となることで、彼らを先租にし、その子孫となり、彼らを敬い、弔うようにしてはどうか、という」破天荒な政策を提案した、と加藤は指摘している。

②柳田国男『先祖の話』(角川ソフィア文庫)

 わたしは、加藤のエッセーに導かれて、問題の書「先祖の話」(②)を読んだ。そして、その静かな文章の底に、戦争の災禍を前にした、柳田の怒りと慟哭が流れているのを感じた。

 柳田は、戦争の死者を、ひとりひとりの個人が作る「家」が弔う、という形を提唱することで、「国家」が弔う、という靖国神社のあり方を、もっとも深いところで批判している。「戦争の死者」が戻りたかったのは、靖国ではなく、彼らの故郷や家族のもとのはずだったから。

同時に、いま柳田を読めば、もっとべつの視点を得ることもできる、とも思った。柳田が憂えたのは、人びとが、かつては我が手で行ってきた「慰霊」を、国家という「外部」に任せてしまったこと、すなわち、慰霊の「外注」だったのかもしれない。

 だが、わたしたちはみんな、少しずつ、「家事」も「教育」も、「外注」するようになったのだ。そのことによって、確かに、わたしたちは自由になった。その結果、得たものは何だったのだろう。

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③特集「17s(セブンティーンズ)で考えよう”戦後70年”」(助言役=木村草太、セブンティーン9月号)

 「戦後70年」の特集が、あらゆるメディァで行われた。中でも、わたしが強い印象を受けたのは、そのような政治的特集とは無関係と思われてきたメディアの、それだった。

 「夏休みに、誰よりもかわいくなるための16ページ」が別冊の、若い女の子向けの雑誌を代表する「セブンティーン」9月号に「17sで考えよう”戦後70年”」(③)という特集が載った。10人ほどの女子高校生を相手に、八つのテーマについて、憲法学者の木村草太が話をする。いや「一緒に考える」のである。およそ、若い世代とは関係なく思える「戦後70年」を近くに引き寄せるため、木村は、「教える」のではなく「ヒントを与える」ことに徹する。

 「政治って私たちが参加できるものなの?」という問いに、木村は「まず考えることが、政治にかかわるということ」と答え、「18歳からの選挙権、何をすればいいの?」という問いには、「自分をしっかり確立し、意見の異なる他者と共存する準備」をするよう呼びかける。その木村の誘(いざな)いへの、女の子たちの応答の柔らかさが素敵だった。

④特集「強行採決『安保法案』日本が壊れていく!」(女性自身8月4日号)
⑤特集「私たちは安保法案強行採決を託さない!」(週刊女性8月11日号など)

 やはり政治とは縁遠いと思われた「女性週刊誌」も、毎週のように「安保法制」をめぐる動きを特集している。「強行採決『安保法案』日本が壊れていく!」(女性自身④)、「私たちは安保法案強行採決を許さない!」(週刊女性⑤)といった特集タイトルを見れば、そのスタンスがわかるだろう。なぜ、政治から「遠い」と思われてきたメディアで、政治への関心が高まってきたのだろうか。

 それは、平穏に見えた彼女たちの周りにも、危機が忍び寄っていることを敏感に感じとるようになったからなのかもしれない。いや、そのことによって、政治家や専門家に「外注」していた「政治」や「社会」を、自らの手に取り戻すことが必要だ、と思えるようになってきたからなのだろうか。

⑥堀靖樹「編集後記」(ビッグコミックオリジナル・戦後70周年増刊号)

 新旧のマンガ家が描いた、もしくはかって描いた「戦争マンガ」を集めた「ビッグコミックオリジナル・戦後70周年増刊号」の「編集後記」(⑥)に編集長の掘靖樹はこう書いている。

 「漫画家の想像力はもう何年も前から、日本の行く末に警鐘を鳴らしていたのです。漫画は別にお国のためにはなりません。そして、その作品で仕事をしている我々、編集者もしかりです。だからこそ、この時代の『嫌な感じ』に声をあげましょう。そんな増刊号です」

 「政治」や「社会」について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま起こりつつある。





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