「長くアンダルシーアに滞在していて、そこからマドリードに帰って来てのゴヤは・・・留守にしていたあいだに、マドリードの政治的雰囲気そのものが変った、と同じく感じてもいたであろう。
・・・
祖国の歴史についての再検討が開始され、一方ではフランス革命の影響はますます深まって行って、小規模の革命蜂起の企図があったり、ホベリァーノスは新しい立憲君主制の憲法制定を考慮したりしていた。
独裁者ゴドイでさえが、ホベリァーノスやサーベドラなどの開明派を入閣させざるをえないところまで来ていた。」
「そういうときに、一つの爆弾的な無署名の文書が、その多数の写本がマドリードのみならず、全スペインの各所から沸いて出て来た。
それは、・・・『カルロス四世治下のスペインの光輝ある状態についての擁詩論・ガスパール・メルチョール・デ・ホベリァーノスによってマドリードの闘牛広場においてなされたる演説』という長い題名をもち、別には『パンと闘牛』と呼ばれていた。
・・・歴史学者のホセ・バルガス・ボンセというホベリァーノスやゴヤなどの友人が書いたもののようである。・・・
この「擁護論」は、・・・実はスペインのありとあらゆる事象事態に対する、徹底的な弾劾文であった。当時としてのもっとも革命的なパンフレットであり、一八〇八年のフランス軍の侵入の時まで、各地で写本をされて広く知識階級の間に読まれていた。」
「・・・スペインには、民衆もいなければ、工業もなく、愛国心もなく、認承ずみの政府さえもない。田野は荒蕪し耕作もされていない。村々は荒廃し切っている。
・・・人民は教育もなく知識もない、けだもののような烏合の衆である。貴族たちは無智蒙昧さ加減を誇りとし、学校には教育原理がなく、大学は野蛮時代の偏見の忠実な倉庫である。
・・・軍隊は将軍だらけで全世界をも征服しかねまじい勢いであるが、その実、軍人どもは髪のカールと、白い軍服の漂白と、歩調をセギディーリァ・ダンスにあわせることと、同胞弾圧の専門家であるにすぎない。
・・・マドリードは人家よりも教会が多く、俗人よりも坊主の方が多く、台所よりも祭壇の方が多い。・・・
・・・芸術と科学について言えば、哲学はアリストテレスのただの抽象化にすぎず、自然の辛抱づよい観察を放り出してしまい、詭弁論の奴隷にしてしまった。道徳は誰も気にとめぬ冗談であり、法律の水のなかでバチャバチャやってる奴が立法家だと幻想をする始末。詩は気狂いの徴候とバカにされ、雄弁術は怠け者の道楽視されている。あらゆる職業人は、物理学を愚昧の学でありナンセンスだと言う。
"
"・・・スペインの行政は、これは一大蒙昧の時代、戦国時代の、坊主が軍隊を指揮していた時の産物である。司法は、法律の数よりも多い判事どものなぐさみであり、・・・
・・・経済の、何とも定義の仕様のないシステムは、誰にもわからない代物であるが、人民から搾り上げて王室の収入を増やすことだけは出来る聡明なものである。
そうして最後に教会は、と言えば、これはゴマンといる司教どもは、市民的権利や法廷関係のことに口出しをするばかりで、その使命を遂行したりしたことがない。彼らの使命は福音を世界に講ずることであるのに、聖書をさえ死に至る毒だとして民衆から取り上げてしまい、その代りに子供だましのバカげたお話をしている。神の、そして主の一目瞭然たるお言葉を、誰にもわかるまいとして、ねじ曲げて何のことやらわからぬものにしてしまった。
宗教はただの見せかけになってしまった。毎月懺悔はしているものの、悪徳のなかにひたりっきりだ。われわれはただ名目だけのキリスト教徒である、その証拠にわれわれはイエス・キリストの広大な正義の法廷よりも、異端審問所の地下牢の方を恐れているではないか。」
「・・・(教会ではなくて、闘牛場は)、われわれの社会の結び目であり、愛国心のための養いであり、かつわれわれの政治的振舞い方の温床である。そこへ、酒場の親爺と大貴族、床屋と公爵、高級淫売と貴婦人、俗人と聖職者、さらに・みだらなことばと身振りで軽はずみな娘をその気にさせる銀ながしども、自分の妻に恋人をあてがって悦に入っている愚劣な夫、無礼さと横柄さ加減だけしか持ち物のない臆病なマホ、自分の破廉恥さを売り物にする生意気なしゃれ女、罪人どものなかにあってその罪の値段を支払わせて喜んでいる聖職者ども - これらすべての群衆が赤裸々の姿でこの野外大劇場につめかけるのである。そこで、華美、虚飾、無恥、放蕩、愚鈍等々、一語にして言えば人間性をけがす一切の悪徳が謁見式を行っているのだ。」
「・・・もはやマハもマホも外国かぶれの風俗との対比においてナショナルなものとしての評価をもたなくなったことである。
マホも、もとの悪漢(ピカロ)の位置へ戻されてしまっている。そうしてゴヤもまた、タピスリーのカルトン時代のようにマハやマホを英雄視したりはしなくなる。」
次に結論が来る。
「生真面目な英国人や変り身の早いフランス人たちは、日も夜も彼らの不逞な研究や危険な政治的競り合いに費している。彼らは何カ月も議論をしてからはじめて一つの法を立法する。無頓着なスペイン人たちは、お気に入りの呑気さ加減と気晴しの見世物を見ているようなつもりで日を過す。しかもいささかの反論もなしで千もの法律が制定されていることに突如として気付く。前者(英仏人)は、彼らの宮殿を一個のオムレツでさえが堅いものと思われるほどにまで洗練をした。しかるに後者(スペイン人)は、薊(あざみ)をさえ痛いとも何とも思わずに呑み下すほどのところまで来ている。前者は、蜜を盗まれるときの怒れる蜜蜂のようなものである。後者は打ち倒され食い潰されるのを辛抱強く待っている羊だ。前者は、豊さと繁栄を飽くまでも求めている、商売稼業の奴隷だ。後者は、貧しさと誅求にどっぷりつかって何の懸念もなしにつまらぬたのしみ事と暇さ加減に身を任せている。前者は、自由に酔い、抑圧の鎖のどんな小さな一環でも耐えがたく思う。後者は、自由とは何かを知りもせずに奴隷の鎖をひきずっている。前者では貴族とは稀にしかいない人のことを言うのだが、われわれのところでは、貴族どもは玉ネギかニラネギのように列をつくって押しくら饅頭だ。
おお、幸福なるスペインよ、幸福の国よ!世界の他のあらゆる国々からかくもかけ離れたる国よ!
この栄光と成功の道を辿りつづけよ、汝があるがままのもの、すなわち永遠の盲信の最前線でありつづけよ。心やましい外国人の言葉などに意を留むるなかれ。革命的諸理念には軽蔑をもってせよ、思考の自由を禁止せよ、”聖なる机”(教会)によって承認されざる書物を禁止せよ。かくて平安の裡に眠れ、君を嘲笑う者の囁きを快き子守唄として。」
ゴヤ『気まぐれ』(59番)「それでもどきはしない」1797-99
ゴヤ『気まぐれ』(42番)「お前にはかつげまい」1797-99
ゴヤ『気まぐれ』(77番)「お互いさまだ」1797-99
「・・・ここに、すでにゴヤの版画集『気まぐれ(Los Caprichos)』が出来上がってしまっているかにさえ感じるのである。
・・・たとえば第一八番の「家が燃えているのに」という一枚をも、ただの酔っ払いが燭台を椅子の背にひっかけ、その椅子が燃え上っている、というにとどまらぬものを見なければならなくなる。
五九番の、倒れかかって来る巨大な石板を痩せさらばえた男がささえ、その下蔭で安眠をむさぼっている男の例は先に述べたことがあるので触れないが、アト・ランダムにページをめくって行くとしても、たとえば「見ろ、奴らは大真面目だ!」と詞書された六三番、豚と驢馬の化け物に、鳥の面とイノシシらしいものの面をつけた獣人が肩車をしているの図なども、おかしいどころか悲劇的なものをたたえている。自嘲の苦さがつたわって来る。」
「・・・七三番、「遊んでいた方がいい」と題されたものは、さらに詳しく「働いても銭にならぬとしたら、たしかに、遊んでいた方がいい」と詞書されている。また一一番の「働け、若者たちよ」と題されたものは、無駄話をしている三人のマホの図である。・・・これらは、じかにかのパンフレットに示唆をえたものではなかったかと思われる。
さらに、四二番の「お前にはかつげまい」と題されたものは、二人の百姓がただ飽食をし惰眠を食るばかりの驢馬をかついでよ
貴族や聖職者ばかりではない。ゴヤ自身もがその一人であるアカデミイ会員を含む知識階級や医者たちも容赦はされない。五三番「なんと金のクチバシだ」は、彼の詞書によれば、「アカデミイの会合とでもいうことにしておこう。オウムが虚栄について語れないかどうか誰が知ろう。云々」ということになっていて、台上のオウムの医学論議をめぐって日がな一日、とりとめのない議論をくりかえしていて、医学論議は出来ても現実の、肉体的、社会的、政治的その他一切の疾患に関しては手も出せぬ知識階級の姿である。・・・」
「・・・「お互いさまだ」と題された七七番は、蒙昧な庶民の肩車にのった(・・・)貴族と聖職者が籐で編んだ闘牛の模型に挑んでいる。画中の貴族はフロリダプランカ伯爵に酷似している。詞書は、「この世はすべてかくの如し。或(ある)は他を嗤う。されどともどもに闘牛技をするが如きものなり、昨日、牛の役をなせし者、今日は闘牛士となる。運命は祝祭を司り、気まぐれに役を分ち与えるなり。」
いつの日かこの「闘牛場」にあって、「役」は変るであろう。その役変りのことを、もしその時が来たならば、政治の方のことばで革命と呼ぶ。」
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