大杉栄とその時代年表(368) 1901(明治34)年10月13日 《藤野古白のこと》 『子規山脈 師弟交友録』(日下徳一著)「14 そこ行くは誰そ ー 古白来レト曰フ」のメモ より続く
1901(明治34)年
10月13日
オーストリア皇女エリーザベトとオットー・ヴィンディッシュグレーツの婚約式。ヘルツェンドルフ城。皇女は皇位継承権放棄
10月13日
10月13日~14日 ロンドンの漱石
「十月十三日(日)、土井晩翠と South Kensington Museum (南ケンジントン美術館)に行く。
十月十四日(月)、 West Hampstead (ウェスト・ハシブステッド)で長尾半平に逢う。」(荒正人、前掲書)
10月15日
中江兆民、『続一年有半』刊行。
以下、松永昌三『中江兆民評伝』(岩波書店)より
『続一年有半』は、『理学鉤玄』を附録として、一〇月一五日、同じく博文館から出版された。哲学書であり、兆民も売れ行きを心配していたが、『一年有半』の評判が先導役を果たしたこともあって、初版発行からわずか一ヵ月で一二版、二万七千部が印刷された。三年半後の一九〇五(明治三七)年三月には第二〇版が発行されている。『一年有半』ほどではないにしても、やはり異例の売れ行きであった。
『続一年有半』は、兆民の著作中、唯一の口語体風文章である。・・・・・幸徳秋水の筆である原稿一綴が日本近代文学館社会文庫に架蔵されているが、その原稿の数カ所に、兆民自身の手による加筆があり、それ以外に処々に訂正が入っている。おそらくうつ伏せの状態で書いた兆民の草稿を次々に秋水が清書し、それに兆民が目を通して、朱を入れたのであろう。・・・・
(略)
『続一年有半』は、別名「無神無霊魂」とあるように、その中心テーマは無神論・無霊魂論であり、「理学に於て、極めて冷々然として、極めて剝出しで、極めて殺風景に有るのが、理学者の義務否な根本的資格で有る」との立場に立ち、「無仏、無神、無精魂へ即ち単純なる物質的学説を主張」したものである。第一章総論では、神・霊魂の不存在、精神の消滅、物質としての軀殻の不滅を論じている。
・・・・・兆民は、宇宙のすべての事物が物質で成り立っていることを根拠に、人間と他の生物との間にみられる差異は構造の疎密でしかなく、生命の維持発展といった生物の本質の面では差異はないと考えた。まして同一元素から成り立ち同一構造である人間は、人間としてすべて同等であり、人間の間に貴賎上下のごとき差別は認められるはずがないということになる。にもかかわらず、明治政府が、天皇を頂点として皇族・華族というような新しい身分秩序をつくり出し、他方で人民を貶めて「臣民」とし、さらにこの天皇=国家権力の支配の正当性を主張するため、『古事記』『日本書紀』の神々を持ち出してきたことは、兆民に言わすれば、「笑止の極」であった。
兆民は、『続一年有半』の冒頭で、こうした「人と云ふ動物のみ」に「都合の能い論説を並べ立てゝ、非論理極まる、非哲学極まる囈語を発すること」を、次のように激しく批判する。
(略)
人間自身の尺度で、世界を手前勝手に解釈するのは間違いであり、そのような解釈を保持するかぎり、人間は、神とか霊魂とかの虚偽イデオロギーに支配され自由な精神を失っている現在の人間から自己解放を遂げることはできぬ、とする兆民の考え方は、人間中心=独善主義から脱却することが真の人間解放に通ずるという反「文明」主義的思想ともいえる。兆民がキリスト教を批判するのも、神を媒介とするその人間至上主義に反発したのだと考えられる。この兆民の考え方は、おそらく、西欧思想から学んだのではなく、東洋の仏教ないし老荘思想から受けたと思われる。兆民は、イエスを、「一無害の長老、一多情多血の狂信者」と評する一方で、釈迦や老子の「最後の考は、遂に万物と我れと、共に是が世界大経済中の具と為したる如くに見ゆる」と、積極的に評価しているのである。兆民からみれば、釈迦は「博学の哲学者」で、老子も同様哲学者と映っていたが、イエスはそうではなかったのである。
他方兆民は、本書で、神の存在と霊魂の不滅を否認することによって、現実の人間世界の進歩発展を重視し、人間の思想と行為の可能性を信頼している。
(略)
人類中のことは人類中で処理する、人間はただ人間のみに依拠するとの思想は、すぐれて人間主義的(ヒューマニズム)であるといえよう。しかしその人間主義は、人間を自然の一存在ととらえ、人間至上主義・人間独善主義に走らないところに特徴があった。
以上のように、第一章では、兆民は、「単純なる物質的学説」=唯物論を展開したのであるが、右にみたかぎりでは、自然科学と素朴唯物論が融合したといった性格のものであるかのようだ。
次に第二章再論をみよう。第二章で、兆民は、精神、主観客観、意思の自由、行為の理由、自省の能といった項目を立て、一種の認識論、道徳論を展開している。そこでは、まず、「虚霊派」(観念論)哲学の対立者としての「現実派哲学」(実証哲学)を批判する。この「現実派哲学」とは、サン・シモン(一七六〇-一八二五)やオーギュスト・コント(一七九八-一八五七)を指すのであるが、『理学鉤玄』では、「著実説(ポジチウイスム)」として紹介されており、「実質説(マテリアリスム)」(唯物論)と異ならぬものとして、その中に入れて論じている。そして無神、無霊魂という点では、著実説(現実派哲学)も実質説も同じであるとみている。『続一年有半』においても、「現実派哲学」が、「虚霊派」(観念論)説を反駁し物質を本とし実験を旨とするものであることを強調している。ところが兆民は、この現実派哲学が、現実に拘泥しすぎること、実験に徴しえないものは明白な道理でも抹殺することを、この学説の欠陥だとみている。現実派哲学は、「彼の理、化、数、天文、生理、社会の六科に由りて検証し得ない」ことは「確実の答を為す可きに非ずとの考で有る」とし、次のように批判する。
(略)
ここで兆民は、現実派哲学の実験第一主義を批判し、人間の認識・推理能力が、必ずしも科学検証に従属するものではないと主張している。・・・・・兆民は、科学とか実験による検証能力と哲学的思惟とは必ずしも一体のものではなく、哲学的思惟は、科学や実験による検証能力とは異なる独自の認識能力を持つと主張しているのである。
かくして兆民は、精神の作用をきわめて重視する。兆民はいう、「不滅としての精神は無いので有る、併し軀体の働らき即ち作用たる精神は、軀体の解離せざる間は立派に存在して、常に光を発して居る」と。すなわち、感覚、行動、思考、断行、想像、記憶、推理、感情などはみな精神の発揮であるとし、「精神即ち軀体の作用は、軀体より発しながら、之れが本体たる軀体の中に局しないで十八里の雰囲気を透過し、太陽系の天体を透過し、直ちに世界の全幅を迄領略するの能が有る、即ち吾人が宗旨家の卑陋の見を打破して、世界の大理を捕捉せんと擬するは、正に精神に此振抜挺騰の能力が有るから出来るので有る」と、人間の持つ精神作用の無限の発展可能性を力説している。
こうして、兆民の場合、無始無終無辺無限の真中に立つということが、一見茫洋たる「無」的立場に立つようにみえて、実際には、人間の有限性を、人間の精神作用=人間の主体性において克服するという意味で使われていることが了解できるであろう。兆民の物質的学説が、たんなる物質還元論でも、また自然科学一辺倒でもなく、人間の主体性を重視する哲学であることが理解できるのである。
右の問題は、いま一つの兆民の哲学の特徴である、意思の自由を否定し、行為の理由を重視することとも関連する。
(略)
ある行為を行うには目的があり、その目的のためにその行為がなされるというのである。・・・・・「行為の理由が実に全権を有して居て、意思の自由は名のみで有るか、又将(は)た意思の自由は真に存在して、目的は吾人の撰択に任されつゝ有るか」を問題にして、結局、「意思の自由といふものは極て薄弱なるもので有る」と主張した。そして意思の自由がもしあるとすれば、それは、「何事を為すにも自由なりと言ふのでは無く、平生習ひ来つたものに決するの自由が有ると云ふに過ぎないので有る」と述べている。
この兆民の考えは、人間の知識や観念、道徳その他一切の「意象」には、生得のものは何一つなく、すべて人間が生まれて以後獲得したものであるとの考えと連動している。
(略)
人間の知的発達は、出生後の自然的・文化的環境に左右されるとの観点から、兆民の教育重視・環境重視の考えが生じる。そしてまた右の考えは、人間は生来平等であるとの兆民の根本思想と同種である。
行為の理由を重視し、意思の自由を軽視する兆民は、したがって、教育や平生の修養を重要視する。
(略)
教育や平生の修養をとおして、人間の内心に正義を愛し善美を好む”道徳心”を培養することが肝要だというのである。これは、兆民が一貫して持ち続けた道義重視の姿勢と相通じている。そして兆民は、この”道徳心”の根底に「自省の能」を置き、これを強調する。
「自省の能」とは、「己れが今ま何を為しつゝ有る、何を言ひつゝ有る、何を考へつゝ有るかを自省するの能」である。
(略)
この「自省の能」とは、つまり普遍的道理に裏づけられた”良心”のことにほかならない。
ところで兆民は、神の存在を否定し霊魂の不滅を認めなかった。兆民は、人間の良心なり信念を支える絶対者を求めることを拒否したのである。・・・・・兆民の場合、神とか霊魂という人間の有限を超越する絶対者を認めないのであるから、人間の良心なるものも、この有限の人間の内なる心の働きにほかならない。それは、常に、この人間という存在の中で問われる。他に依頼すべきあてはない。ここに人間に対する、その主体的努力に対する深い確信と、その確信を培うべく、教育の重視が説かれることになる。そしてまた、これは人間という有限なる存在に賭けるのであるから、良心の錬磨は、この有限なる人間に対する無限なるたたかいということになろう。兆民が、生涯を通じて、自由を強調し、教育の重要さ、平素の修養の大切さを主張したのも、この努力が終わりのない永遠のたたかいとして自覚されていたからであろう。
『続一年有半』は、無神無霊魂論から始まり、「自省の能」重視に到達した。思うに、「自省の能」は、一方において、人間の本来的自由、精神の自立を強調し、他方において、物質的存在としての人間の有限性を自覚する兆民の、”自由”と”物質的学説”とを結合する核として位置づけられるものであった。
(略)
個人の良心は、前引したように、「未だ他人に知られざる前に、吾人自ら之れが判断を下」すことを可能にするが、それだけでは社会的な力とはなりえない。「世人の目にも正不正の別が有て、而して又此自省の一能が有る為に、正不正の判断が公論と成ること」が必要である。兆民は、「社会制裁力」の必要を力説した。これは道義心を持った個々人が団結し、社会的運動を起こすことによって、一定の”力”を発揮し、「社会制裁力」として機能することを期待したのである。この場合、「社会制裁力」は、主として権力の不正・腐敗に向けられるべきものとして把握されている。権力に対する審判者が、国家組織の内部に存在しない以上、国民の道義心による制裁が、この権力の抑制のため絶対必要との認識である。
兆民は、霊魂の不滅を否定した。また、未来の裁判も否定した。つまり”来世”なるものの存在を否認したのである。・・・・・そして兆民は、「人類中の事は人類中で料理」するとの根本態度を貫くのである。
この”来世”の否認は、兆民の哲学に実践的性格をもたらさざるをえない。哲学は、「人類中の事は人類中で料理」するための”真理”を発揚する学問であった。たんなる書斎の学問とは考えられていない。『一年有半』にみられる、「外物は竟に理義に勝つこと能はざる也」とか、「縦令ひ其勢今日に行ふ可らざる者、即ち純然たる理義の正の如きも、之を口にして之を筆にし、他年他日必ず之を実行に見ることを期するなる可し」との言も、哲学に実践的任務を課した表現である。・・・・・兆民の「単純なる物質的学説」が、まさに 「自由平等ノ二義ヲ貴尚スルコト極テ至レリ」であった。
つづく
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