2025年1月30日木曜日

大杉栄とその時代年表(391) 1902(明治35)年2月1日~27日 「近頃は文学書抔は読まない。心理学の本やら進化論の本やらやたらに読む。何か著書をやらうと思ふ」(漱石の手紙)

 

治安警察法第5条改正を求める演説会が行われた際に撮影された写真。前列左から、市川房枝、氏名不詳、奥むめお、西川(志知)文子、平塚らいてう(1920年7月18日)

大杉栄とその時代年表(390) 1902(明治35)年1月20日~30日 日英同盟締結 「とにかく提灯に吊鐘、お月さまとすっぽんの縁組ができたようなもので、すっぽんにとってはうれしいことに違いなかった。誰もみな涙をこぼすほどよろこんだ。昨日の仇敵は今日の友、日の丸とユニオンジャックのふらっぐとをぶったがいに、どこの家でも門口に立てて祝った。何だか二十世紀になるそうそう、夜が明けたような気がした」(生方敏郎『明治大正見聞史』) より続く

1902(明治35)年

2月

上海商業会議公所設立(1903年に上海商務総会、1912年に上海総商会と改称。

2月

若山牧水(17)、同級の大見達也、大内財蔵(後の平賀春郊)、直井敬三らと回覧雑誌「曙」を出す。

2月

一高記念祭で東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」発表。

2月

英、ナイジェリアのボウチを占領。ボルヌは英に降伏。

2月

露、学生組織への政府規制強化により約3万人学生ストライキ。

2月

ロンドンの漱石


「二月または三月上旬(推定)(日不詳)、林董公使の日英同盟の労を謝するために、在留日本人たちで記念品を贈ることになり、少ない留学費から、五円寄付する。」(荒正人、前掲書)


2月1日

清朝政府、経済・教育・軍事の各分野で改革開始。法令の改定など。纏足や漢民族と満州族間の結婚禁止令が廃止。

2月1日

アメリカ、ロシアの満州の利権独占に抗議して、満州の門戸解放に関する覚書を11ヵ国に送付。

2月1日

清国の皇太后と皇帝が北京に復帰

2月1日

五所平之助、誕生。

2月1日

川上一座、ウィーン劇場公演。

2月1日

英から約2,000人の増援軍、南アフリカに出発。

2月2日

日英同盟締結公表。

2月2日

2月2日~3日 ロンドンの漱石


「二月二日(日)、一月六日(月)の押絵とハンケチの礼状と二十日(月)に受け取った鏡の手紙に返却を書く。音信が絶えることを叱る。

二月三日(月)、雪。田中孝太郎に手紙を出す。「小生如例クラバムに蟄居罷仕候」「渡避〔和太郎〕君クリスタルパラスの方へ移轉被致候」と書く。」(荒正人、前掲書)


2月3日

内田康哉駐清公使、慶親王に露清銀行約案の撤回要求。

2月4日

木村栄、緯度変化に関するZ項発見。

2月4日

飛行家リンドバーグ、誕生。ミシガン州。

2月5日

仏、鉱山労働者の労働時間が1日8時間と定められる。

4月1日には、女性と子供の労働時間が11時間から10時間半に短縮。しかし賃金もこれに応じて減額。

2月6日

文部省、中学校教授要目を編纂。

2月6日

子規、モルヒネ服用が1日4回となる。


「二月に入ると、強い麻痺剤の効力が薄れた。二月六日には、前年までなら一日一回、多くて二回であった麻痺剤服用が一日四回にもおよんだ。

この頃、子規は痛みもさることながら、精神の圧迫にいらだつようになっていた。

横たわっていると天井が迫ってくる。襖が倒れかかってくる。そんな思いに襲われて狂気するようだというのである。そのうえ、人が二人以上側にいると頭に障る。ことに体の大きな者にいられるとつらい。体が大きいのは左千夫であった。左千夫は身長百七十センチ、当時としてはかなりの大男で、闘士型の立派な体格をしていた。逆に圧迫感を与えないのは小柄な虚子であった。子規は結局、虚子を頼りにしているのである。」(関川夏央、前掲書)


2月6日

仏政府、エチオピアのジブチ~アジスアベバ間の鉄道敷設(1897~1918)助成合意。英伊、鉄道は国際的事業にすべきと抗議。

2月7日

足尾鉱毒講演会。京都洛陽教会。弁士木下尚江・田村直臣・潮田千勢子・松岡悟(同志社学生、後、荒村と名乗る)。京都府立女学校志知文子は感動し、校長を説得、潮田千勢子のみを呼ぶことの了解を得て、学内で講演会開催。

志知文子:まもなく松岡悟と結婚。文子の親友鳳さと子は文子の兄志知善友と結婚。文子(松岡と死別したのち、社会主義者西川光二郎と再婚、西川文子)はのち、「青鞜」と対立する「新真婦人会」の中心人物。

2月8日

この日夜、堺利彦は理想団の演説会で弁士を務めた。演題は「中等人士の覚醒」で、事前にしっかり準備をしていたので初めてにしては首尾よくやれた、と日記に書いている。

2月8日

梁啓超、横浜で「新民叢報」創刊。

2月11日

内村鑑三(40)・黒岩涙香(39)、理想団の久良岐郡支部発会式に列席のため日下村坂下に赴き、鑑三は「理想団宣言書の詳解」を講演。

2月12日

広瀬武夫、ブラゴウェシチェンスク到着。

2月12日

花井卓蔵・中村弥六・河野広中ら、衆議院に日本初の普通選挙法案提出。25日に否決。以後明治43年まで毎年提出。

2月12日

日英同盟協約公示。のち2度改訂され、1922年8月に廃棄。

2月14日

伊、トリエステで労働時間短縮を求めるストライキ激化。戒厳令発令。

2月15日

レーニン「破産の徴候」(「イスクラ」)。

2月15日

ベルリンに地下鉄開通。

2月16日

ロンドンの漱石


「二月十六日(日)、この頃、寒気甚だしい。氷滑り初めて見る。水道管破裂し、ガスも故障する。菅虎雄宛葉書に、心理学や進化論の書籍をやたらに読んでいる、「何か著書をやらうと思ふ」と書き送る。第五高等学校に戻るよりは、イギリスに生涯いるほうが気楽だとも云う。村上半太郎(霽月)宛葉書に、年賀状の礼と、「三階に獨り寐に行く寒かな」と読む。」(荒正人、前掲書)


2月16日 この日付け漱石の菅虎雄宛手紙。

帰って教師をやるのは厭で、まして、熊本へ帰るならロンドンに生涯いる方が気楽。「近頃は文学書抔は読まない。心理学の本やら進化論の本やらやたらに読む。何か著書をやらうと思ふ」と記す。


2月17日

バルセロナ、ゼネスト。軍隊出動。死亡40人。

2月20日

幸徳秋水「長広告」。萬朝報論文集成。

2月20日

足尾銅山鉱毒地の婦人17人が上京、総理大臣に面会を求めて貴族院内に座り込む。

2月20日

モルガン・トラスト、独ハンブルク・アメリカ汽船会社と北独ロイド会社との間に国際運賃カルテルの協定。

2月20日

ロンドンの漱石


「二月二十日(木)、鏡の年賀状・筆の日記・中根倫の日記届く。」(荒正人、前掲書)


2月21日

アインシュタイン、ベルンに着く。当初の生活費の唯一の支えは、家からの僅かな仕送りと数学と物理の家庭教師代。

2月22日

アメリカの黄熱病委員会、黄熱病の伝染媒体が蚊であることを発見したと発表。

2月25日

東京瓦斯会社、ガス炊飯かまどの専売特許を取得。

2月25日

伊藤博文、欧米周遊から戻り、長崎に入港。

2月25日

この日付「東京朝日」社説。池辺三山。

「同盟締結の成功には、元老は一人も与っていない、ここ十年来の我政治は、元老が力を持つ元老政治だったが、桂太郎、小村寿太郎などの現内閣が成し遂げた日英同盟の締結は元老政治の幕引きを告げた」と論じた。これを端緒として「元老会議てふ憲法以外の憲法を廃せられなば、吾人は更に以て慶すべし」と、三山は書き、現内閣の親英路線と異なる親露路線を歩もうとした元老中の元老伊藤博文の動きをも牽制

2月27日

スタインベック、誕生。カリフォルニア州。


つづく

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