2013年11月22日金曜日

堀田善衛『ゴヤ』(14)「マドリード」(3) 「一七六六年三月二日、・・・奇妙な抵抗運動は、ほとんどスペインの全都市でひそかに組織されて行った。しかもその背後には強力なイエズス会がいた。」

北の丸公園の紅葉 2013-11-22
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カルロス3世の改革命令
 「カルロス三世は、次々と改革命令を出した。塵埃や糞尿を道に投げとばしてはいかん、道路は掃除をしなければいかん、街灯をつけろ……。町の美化をはからねばならぬ。無用な乞食や、ごろつきは田舎へ帰れ……。

こういう一連の改革命令の執行にあたっていたのが、総理大臣のエスキラーチェ氏であった。この男はナポリ出身の人であったが、そういう改革によってよい評判をかちとれるほどに、スペインは、またマドリードは甘いところではなかった。」

カルロス3世の失敗(1):イエズス会への地方帰還命令
 「まず第一に、彼がイエズス会に手をつけたことがまずかった。イグナシオ・ロヨーラによって創立されたこの教団は、イベリア半島においては強力無比なものであった。ある意味では、また実質としては、政府以上に強力であった。権力機構としては、外国人によって請負い仕事のようにして運営されている政府などというものは、吹けば飛ぶようなものであったかもしれない。

そういう弱い政府が、強いイエズス会に対して首都において公式の部署をもたない聖職者は、田舎へ帰れ、田舎でその職務を執行せよ、という命令を下した。それから、教会の、日本の寺で言えばいわゆる寺男にあたる雑役係は兵隊にとるぞ、とも命じた。」

カルロス3世の失敗(2):異端審問所の権力を削ったこと
 「さらにもうひとつ、最悪なのは、異端審問所の権力を削ったことであった。とりわけて、有罪を宣せられた俗人の土地や財産を没収する権限を禁止したことであった。司法権の干渉なしに民間人の財産を没収してはならぬという次第であった。

この財産没収権は、実は教会にとっての、非常に有利な経済手段であった。没収したものを、ふたたび競売に附するなどということも、常套の手段であった。Familia と呼ばれた秘密の通報者、密告者のなかには、他人の財産を目当てに、あらぬことを通報したものも、実際にいたのである。それは教会にとって非常な打撃であった。

また、教会の治外法権をも制限しようとした。犯罪人どもは、法の手に追われれば、教会へ逃げ込めばよかった。姦通の現場をおさえられた人妻は、女子修道院へ逃げ込めばよかった。
教会内には、いかがわしい男や女が、常時ごろごろしていたのである。・・・」

民衆側と教会の双方に憤懣のボルテージが高まる
 「しかもこの命令を、外国から来た王が、外国からつれて来た雇いの総理大臣に執行させようとしたことにも問題があったであろう。もう一九世紀はそこまで来ている。

民衆側と、教会との、この双方に、憤懣のボルテージが、次第に高くなって行った。民衆と教会と、これがつまりスペインそのものなのである。政府などというものは、民衆にとっては何の関係もないものであり、教会にとって政府とは、召使でなければならないものである。教会はそう思っている。
・・・
教会と民衆の双方に、内圧が高まって来て、いったんそれが爆発すれば、政府などというものは吹き飛んでしまうであろう。」

イエズス会弾圧の理由:大量の遊び人神学生の群れ
 「・・・イエズス会に挑戦する・・・無理からぬ理由・・・。
その一つは、所属教会をもたない、従って俸給ももらっていない、在俗の見習い坊主、いわば門前の小僧のような一群の神学生があまり多数にいすぎたことであった。・・・多くのものは、試験などをうける気がなかった。

というのは、市民の大部分が文盲であったので、彼らは読み書きの能力を誇示して、市民たちのための代書屋をやったり、貴族の夫人たちの応接室へ出入りして家庭教師の如きことをしたり、ともかく生業としては遊び人のようなものであった。そうして貴族の女たちから見れば、ハンサムな、この神学生、半知識階級、町の噂の伝達人は、恰好なアクセサリーの一つとなり、家庭内のトラブルの重大原因ともなったものであった。・・・
目にあまる、と政府が考えたとしても当然であった。・・・」

イエズス会弾圧に続いて民衆を怒らせる順番が来た
 「とにかく、イエズス会弾圧につづいて、今度は民衆を怒らせる順番が、この政府にまわって来ていた。
王宮のある都市にあっては、何人もツバ広の帽子をかぶったり、黒い大きなマントを着たりすることは相ならぬ、厳重に禁止する。爾後、役人と金利生活者及びその従者 - ということは政府の金で暮している者は、フランス風の、軍服類似の服を着て、カツラをかぶり、三角帽子をかぶるべし、という命令を出したのであった。

ツバ広の帽子を目深くかぶり、黒いマントの一隅をたくしあげて口許をかくすスペイン伝来の風習のこと、及びマントは白刃やピストルをかくすのに便宜なことなどは前に触れたことであったが、そういう風体は御法度ということになった。これを敢えて犯したものは、初犯で六ドゥカードの罰金、あるいは一二日間刑務所入り、二度やった奴は、一二ドゥカードの罰金か、二四日間の刑務所暮し、三度目の奴は一二年間国外追放……。」

1766年3月2日、数人が逮捕され刑務所に収監される。イエズス会を背景に全土で民衆の抵抗運動が組織される。
 「一七六六年三月二日、この御法度を犯した数人が逮捕され、罰金を払うことを拒否して、刑務所へ送られた。敵意を催した群衆が警察をとり囲んだが、これは簡単に追い払われた。

民衆の、ユーモアたっぷりの智恵は、今度は逆手の方法を見出した。数人の男が、お祭りの山車にも似た、巨大なフランス風のカツラをかぶって通りへ出て来て、人々と一緒になって大騒ぎをし、大笑いに笑った……。

こういう奇妙な抵抗運動は、ほとんどスペインの全都市でひそかに組織されて行った。しかもその背後には強力なイエズス会がいた。」

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