■函館の憤怒・日本の不幸 原発 合理の枠から逸脱 池澤夏樹
『朝日新聞』夕刊2014-05-13
民主主義にとって、合理と平等は大事な原理である。
独裁者の国では不平等は当たり前であり、国民が不合理と思うことも為政者の意思ならば通ってしまう。
民主主義国では、政策について、それが合理でありまた平等であることを国民に説明する義務が国にある。
函館市が国を相手に、津軽海峡を隔てた青森県大間町に造られている原子力発電所の建設差し止めを求める訴訟を起こした。
原発を造るには地元の同意が要る。しかしこの場合の地元とは立地自治体だけであって函館市はこれには該当しない。立地自治体は経済的に潤う仕掛けになっているから大抵は同意する。それを福島県の大熊町と双葉町はどれほど悔やんでいることか。
その一方、国は福島第一原発の崩壊の後で防災重点区域を原発の8~10キロ圏から30キロ圏に広げた。この範囲に含まれる自治体には避難計画を策定する義務が生じた。建設の是非に関して何
の発言権も見返りもないまま義務のみが課される。
羽田空港のすぐ南に東京電力の東扇島火力発電所がある。天然ガスを燃やして電気を作るところで、出力一〇〇万キロワットが二基。
ここから千葉県の君津市までは海を挟んで二三・三キロある。これは大間原子力発電所と函館市汐首岬の距離と同じ。函館の市街地までなら三一キロで、東扇島から千葉市役所までより近い。
もしも東扇島に原発を造ると言ったら君津市や千葉市はこれを許容するだろうか? 対岸の火事は見ていればいいが放射能は風に乗って襲来する。晴れた日には汐首岬から大間の建設現場のクレーンが見えるという。
函館市は四度に亘って工事の凍結を要請したが無視され、しかたなく訴訟という手段に出た。自治体に原告となる資格があるか否か最初の関門だという。利害関係がなければ提訴できないのが法の規定だが、事故が起きれば近隣の自治体が崩壊するのは福島の実例から明らかだ。つまりこれは自治体の生存権の問題である。
避難計画の策定にも疑問いろいろ。
もしも地理的な条件などによって所定の時間内に避難が困難だと判定されればその原発は運転しないのか? 気休めでしかないとしたら策定には何の意味もない。
浜岡原発について静岡県が作った計画では、三一キロ圏内にいる八十六万人が避難するのに三十時間以上かかるという結果になった。福島第一は避難指示の十八時間後に爆発が起こった。住
民の妙齢は避けられない。
′政府は今、日本の原発は「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合する」と言っている。その根拠は何かと菅直人氏が質問主意書を送ったところ、四月二十五日、安倍首相は「世界最高水準の基準となるよう策定した」からという答弁書を返してきた。
これはただの同語反復ではないか。
フランスでは航空機の衝突に耐えられるよう格納容器の壁を二重にし、メルトダウンへの対策も講じているが、日本の原発にその配慮はない。もしも北朝鮮のミサイルが・・・
政府は、原発を動かせないから我が国は貧乏になったと言う。「国富が流出する」などと、怪我で血が止まらないようなことを言う。
だが、震災前の二〇一〇年度と後の二〇一三年度を比較すれば、天然ガスの輸入量は25%増したが、原油の輸入は僅かながら減った。原発が動かないのにこの程度で済んだのは我々みんな
が節電に励んだからだ。
それでも出費が三・六兆円も増えたのは原発が稼働していないからではなく、アベノミクスが円安を誘導した上に国際相場も上がったためである。
電力会社は再稼働待ちの体勢で、古い効率の悪い火力発電所の建て替えなどの投資を控えている。
原発は経済的というのは電力会社とその周辺の人々にとっての話であって、国ぜんたいとしてみれば恐ろしく高い買い物になる。使用済み核燃料の処理、放射性廃棄物の保管、老朽化した原子炉の解体。福島第一の始末を別にしても、未知の課題が山積みで、そのコストは計算に入っていない。停めたら隠れた赤字が明らかになるから無理にでも動かす、という問題先送り体質。
話をはじめに戻すと、原発は経済的負担における平等という原理に反する。大間と函館についても負担と対価という点で平等の原理に反する。函館にとって大間はリスクと義務ばかりで何の利もない。つまり函館市民は政府によって差別待遇を受けている。
原子力発電に関して政府の言うことは合理の枠を大きく逸脱している。筋が通らない。
これはいつまで続くのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿