2020年11月3日火曜日

関川夏央『子規、最後の八年』「明治三十四年」以降(メモ1) これまでの経緯まとめ 目次

 松永昌三『中江兆民評伝』(岩波書店) 第八章 ”一年有半”の世界(メモ6終)「子規の叔父加藤恒忠(拓川、一八五九-一九二三)は、第四章第三節で述べたように仏学塾に学んだことがある。加藤は、陸羯南・原敬らと司法省法学校の同期で、同校を退学処分になった一八七九(明治一二)年二月直後から八三年フランス遊学に出発するまでの四年間、仏学塾に在塾していたようだ(『拓川集 日記』)。この加藤からの依頼で、陸が子規の面倒をみるようになったのである(司馬遼太郎『ひとびとの跫音』)。子規は、兆民に対して、多少の思い入れがあったと思われる。」 

より続く

関川夏央『子規、最後の八年』「明治三十四年」以降(メモ1)

この2,3年、漱石の年譜をせこせこ書き繋いでいるが(未掲載)、漱石の人生を辿るうえで特に前半は子規との作用反作用は大きなファクターである。なので、子規の年譜についても漱石年譜の伴走者的位置づけで書き始めている。

で、その関係から毎年10月になると子規の闘病記録を思い出す。

正岡子規『明治卅三年十月十五日記事』〔『ホトトギス』第四巻第二号 明治33年11月20日〕を読む(1)~(4)

今年は特に、子規が自殺を思い浮かべる『仰臥漫録』の10月13日の項に思い致した。

「サナクトモ時々起ラウトスル自殺熱ハムラゝゝト起ツテ来夕、、、、、死ハ恐ロシクハナイノデアルガ苦ガ恐ロシイノダ病苦デサへ堪へキレヌニ此上死ニソコナツテハト思フノガ恐ロシイ、、、、」(明治34年10月13日付け正岡子規『仰臥漫録』)

再度、『仰臥漫録』を手にして、早坂暁さんの「子規とその妹、正岡律 - 最強にして最良の看護人」という文を知り、これについて(1)~(4)のメモを掲載した。

早坂暁「子規とその妹、正岡律 - 最強にして最良の看護人」を読む(メモ1)

この中で、死に直面した早坂さんが『仰臥漫録』に辿り着く前に手に取った本は、中江兆民『一年有半』ということを知り、次に、

松永昌三『中江兆民評伝』(岩波書店) 第八章 ”一年有半”の世界(メモ1)~(メモ6)を掲載した。

そして、最後に、今回からは、『仰臥漫録』や妹律のことについて網羅的に記されている関川夏央『子規、最後の八年』についてのメモを掲載する。

この本の目次は、以下となっており、メモは「明治三十四年」以降とする。

《目次》

序章 ベースボールの歌 


明治二十八年

その一 発病

その二 漱石と虚子


明治二十九年

「一葉(いちえふ)、何者ぞ」


明治三十年

「蛮力」 の世界


明治三十一年

その一 「歌よみに与ふる書」

その二 東京版「ホトトギス」


明治三十二年

美しい五月こそ厄月


明治三十三年

その一 左千夫と節(たかし)

その二 来客はたのしいが、うるさい


明治三十四年

その一 倫敦消息

その二 藤の花ぶさ

その三 律という女


明治三十五年

その一 最後の春

その二 子規、最後の 「恋」


終章 「子規山脈」その後


あとがき


参考文献一覧


解説 岡井隆


つづく




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