2022年3月25日金曜日

絶望に沈むマリウポリ AP通信ルポ(ノーカット版(09:10)) / 重なる子どもの遺体 絶望に沈むマリウポリ AP通信ルポ・前編(毎日) / 「家に戻りたい」 絶望に沈むマリウポリ AP通信ルポ・後編(毎日) / 動画(閲覧注意):路上に散乱する遺体、黒焦げの建物… ウクライナ・マリウポリの惨状(ロイター) / ロシア軍に包囲されたマリウポリに、国際メディアとして唯一残ったAP通信の2人の記者によるルポルタージュ。おそらくこの戦争を通じて、最も壮絶な記事ではないだろうか。ぜひ一読を(高野遼) / マリウポリの市議会は19日、一部の住民がロシア領へ強制的に移送されているとの声明を出した(CNN) / ロシア軍が避難者400人の美術学校を爆撃か マリウポリ(テレ朝) / 「投降すれば、避難させる」ロシアが提案 ウクライナ「ありえない」(朝日)       

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〈以下、連続ツイートのC&P〉


マリウポリの凍土に急遽掘られたこの狭い塹壕には、絶え間なく続く砲撃音とともに、子どもたちの遺体が横たわっている。

頭に榴散弾を受けた1歳半のキリル、その18ヶ月の小さな体には負担が大き過ぎた。

学校のグラウンドでサッカーをしていて、爆発で足を吹き飛ばされた16歳のイリヤ。

ユニコーン柄のパジャマを着ていた6歳の少女は、マリウポルの子どもたちの中で最初にロシアの砲弾で命を落とした一人だ。

彼らは他の何十人もの子供たちと一緒に、郊外にあるこの集団墓地に積み上げられている。

真っ青なブルーの防水シートで覆われた男が、崩れかけた縁石の上で重しの様に倒れている。

赤と金のベッドシーツに包まれた女性は、白い布切れで足首を丁寧に縛られている。

作業員はできるだけ早く体を投げ込んでいく。

なぜなら、彼らが野外で過ごす時間が少ないほど、彼ら自身が生き残れる確率が上がるからだ。(砲撃に晒されている為)

作業員のヴォロディミル・ビコフスキーさんは、しわくちゃの黒い遺体袋をトラックから取り出しながら「(私が望むのは)これを終わらせることだけだ!」「こんなことを始めた奴らはみんなクソだ!」と怒鳴った。

街角には死体が散乱し、病院の地下(遺体安置所)には大人も子供も寝かされて、誰かが引き取りに来るのを待っている。その中で一番若い子はまだ臍の緒がついていた。

マリウポリを容赦なく襲う空爆や砲弾(多い時は1分に1発)はこの都市をロシアのウクライナ支配の軌道に乗せようとする地理的な呪縛を強く印象づける

この43万人が住む南部の港街は、プーチンによる"民主的なウクライナ"粉砕の象徴であると同時に、ウクライナでの激しい抵抗の象徴にもなっている

ロシアの戦争が始まってから約3週間、AP通信の2人の記者はマリウポリにいる唯一の国際メディアとして、混乱と絶望に陥るマリウポリの様子を記録してきた。

街は現在、ロシア軍に包囲されており、彼らは一回一回の空爆や砲撃でゆっくりと街の生命を搾り取ろうとしている。

市民を避難させるための人道的回廊を求める数回の訴えは聞き入れられず水曜日にウクライナ当局が「約3万人が車列を組んで避難した」と発表するまでになった。

空爆と砲撃は、産科病院、消防署、住宅、教会、学校のすぐ外を直撃した。数十万人と推定される避難民にとって、行き場はないに等しい。

周辺の道路は地雷が設置され、港は封鎖されている。食糧は底をつき、ロシアは人道的な食糧搬入の試みも止めている。

電気はほとんどなく、水もまばらで、住民は雪を溶かして飲んでいる。

電気や水がまともに通っているこの場所でならと新生児を病院に預けた親もいる。 

人々は、凍えるような寒さの中で手を温め、残ったわずかな食料を調理するために家具の切れ端を燃やしていた。

辺りにはレンガや破壊された建物の破片が路上に散乱している。 

死はいたるところにある。地元当局の集計では、包囲戦による死者は2,500人を超えているが、絶え間ない砲撃で数え切れない遺体も多い。

当局は、葬儀を行うには危険すぎるため、遺族には死者を路上に置いておくように言っている。

民間人は攻撃されていないというロシアの主張にもかかわらず、APが記録した死者の多くは子供や母親達であった。

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は3月10日「彼らはマリウポリを人質に取り、あざ笑い、絶えず爆撃や砲撃を行うという明確な命令を受けている」と述べた。

ほんの数週間前までは、マリウポリの未来はもっと明るいと思われていた。

地理が都市の運命を左右するなら、マリウポリは製鉄所や深海港を持ち、その世界的な需要も高いことから、成功への道を歩んでいた。

2014年、ロシアに支援された分離主義者たちとの激しい衝突で陥落しかけた暗黒の数週間も、記憶の彼方に消え去りつつあった。

そのため、侵攻の最初の数日間は、多くの住民にとって変な懐かしさを抱かせるものだった。

副市長のセルヒィ・オルロフ氏によると、このとき約10万人の人々が、できる限り早く街を離れたという。

しかし、ほとんどの人は、次に何が起こるか分からないのでそのまま待機するか、危なくなれば他の多くの人と同じように西へ向かって進もうと考えた。

「2014年にはもっと恐怖を感じたけど、今は同じようなパニックは感じない」と、2月24日に市場で買い物をしながらアンナ・エフィモワは言った。「パニックはありません。逃げるとしてもどこに逃げたらいいのか」

同日、ウクライナ軍のレーダーと飛行場が、ロシア軍の砲撃の最初の標的となった。

砲撃や空爆がいつ来るかわからない状況で、人々はほとんどの時間をシェルターで過ごした。

普通の生活とは言いがたいが、一応は生活できるものだった。

2月27日、まだ6歳にもならない小さな女の子を乗せた救急車が、市内の病院に駆け込んできた。

茶色の髪を輪ゴムで縛り、パジャマのズボンはロシアの砲撃による怪我で血まみれになっていた。

負傷した父親も頭に包帯を巻いて一緒に乗って来た。母親は泣きながら救急車の外に立っていた。

医師や看護師が彼女の周りに集まり、一人が注射をし、もう一人は除細動器を使ってショックを与えた。青いスクラブを着た医師は彼女に酸素を送り込みながら、その中に入れたAP通信の記者のカメラを直視し、罵声を浴びせた。

「これをプーチンに見せてやれ!」と。

彼らは彼女を救うことができなかった。医師たちは小さな体にピンクのストライプのジャケットを被せ、そっと目を閉じた。

彼女は今、集団墓地に眠っている。

長い間、マリウポリに有利に働いてきた地理的条件が、逆にマリウポリを不利にしてしまったのだ。

この都市は、ロシアが支援する分離主義者が支配する地域(最も近いところで東に約10キロメートル(6マイル))と、2014年にロシアが併合したクリミア半島との間に位置している。

マリウポリを奪取すれば、ロシアはアゾフ海を支配する明確な陸上回廊を永久に手に入れることができる。

2月が終わると、包囲が始まった。

砲撃の危険を無視したのか、落ち着きがないのか、それとも10代の若者らしく無敵の気分なのか、数日後の3月2日に少年たちは学校の外のピッチでサッカーをしようと集まってきた。

その時、砲弾が爆発した。イリヤの脚は爆風で引き裂かれた。

街の状況はますます不利になった。電気はまたもや途絶え、携帯電話のネットワークもほとんど使えなくなった。通信手段がないため、医療関係者は、どの病院が負傷者に対応できるか、どの道路を通れば負傷者にたどり着けるかを推測しなければならなくなった。

イリヤは助からなかった。父親のセルヒイさんは、倒れこんで死んだ男の子の頭を抱きかかえ、悲痛な叫び声をあげた。

3月4日、救急病院に運ばれたのは、またしても砲弾の破片を頭に受けた幼児キリルだった。母親と義父は毛布で彼を包んだ。最善を望み、最悪の事態に耐えた。

「なぜ、どうして、なんで?」と泣きじゃくる母親のマリーナ・ヤツコは、病院の廊下で医療従事者が為す術もなく見守る中、そう尋ねた。

彼女は生気がない我が子に優しく毛布をかけ、最後にもう一度キスをして、その匂いを吸い込み、その黒い髪は子供の上に落ちた。

その日は、電力と情報の両方がブラックアウトし、暗闇が訪れた日だった。ウクライナのテレビとラジオは遮断され、カーステレオだけが外の世界との繋がりとなった。

ロシアのニュースが流れ、そこではマリウポリの現実とはかけ離れた世界が描かれていた。

逃げ場がないことがわかると、街の雰囲気は一変した。食料品店の棚が空っぽになるのに、そう時間はかからなかった。マリウポリの住民は、夜は地下のシェルターにこもり、昼になると出てきては、また地下に逃げ込んだ。

3月6日、自暴自棄になった人々は、どこでもそうであるように、互いに敵対するようになった。暗い商店が並ぶある通りでは、人々は窓を叩き割り、金属製のシャッターをこじ開け、できる限りのものを手に入れた。

ある店に押し入った男は、子供用のゴムボールを持っているところを捕まり、激怒した女店主と顔を合わせた。

「あなたはろくでなしだ。あなたは今、そのボールを盗んだ。ボールを戻しなさい。なぜこんなところに来たんですか。」

恥をかきながら、盗んだ彼はボールを隅に放り投げて逃げていった

近くにある別の略奪された店から、兵士が泣きそうになりながら出て来て言った。

「国民よ、どうか団結してください。... ここはあなたの故郷です。なぜ窓ガラスを割るんですか、なぜ店から盗むんですか」と、声を荒げて訴えた。

避難のための交渉はまたもや失敗した。街へ出る道路に群衆ができていたが、警官に行く手を阻まれた。

警官は言う。

「地雷だらけで、町から出ると砲撃される。私にも家族がいる。残念ながら、我々にとって最大の安全確保策は、街の中、地下、そしてシェルターにいることなんだ」

その夜、ゴマ・ヤンナは、地下室の寒さを和らげるには十分でないオイルランプのそばで泣いていた。

マフラーを巻き、陽気なターコイズブルーの雪の結晶のセーターを着た彼女は、顔の片側ずつ涙をこすっていた。

彼女の背後では、小さな光の輪の向こうで、女性や子供たちが暗闇の中でしゃがみこみ、頭上の爆発音に震えていた。

「私は家が欲しい、仕事が欲しい。人々のこと、街のこと、子どもたちのことがとても悲しい」と泣きじゃくる。

この苦悩はプーチンの目標に合致している。包囲戦は中世に広まった軍事戦術で、飢餓と暴力によって住民を屈服させることを目的としており攻撃側は敵対する都市に入るためのコスト(つまり兵士の被害)を節約することができる。その代わり一般市民はゆっくりと苦痛を受けながら死んでいくことになる(続↓

プーチンは、2000年にチェチェンの都市グロズヌイで、2016年にはシリアの都市アレッポで、政権を握っている間にこの戦術を洗練させてきた。彼はそのどちらも廃墟にした。

チャタムハウスのロシアプログラム研究員、マシュー・ブールグ氏は、「これはロシアの戦争を象徴するもので、その一つの包囲は今我々が目にしているものです」と述べた。

3月9日には、マリウポリにロシア軍の戦闘機が飛来し、人々は逃げ惑うようになった。

たとえ戦闘機の場所がわからなくても、空爆を避けるためには何でもするのだ。

ジェット戦闘機は上空で轟音を立て、今度は産科病院を破壊した。中庭には2階分のクレーターが残っていた。

救助隊が瓦礫と小雪の中を妊婦を急ぎ運んで行く。彼女は血まみれの腹をなでながら、顔を赤らめ、頭を横に倒していた。赤ん坊がお腹の中で死んでいることを彼女は知っていた。

前線に近い別の病院で必死に命を助けようとする中、「今すぐ殺して!」と彼女は叫んだ。


赤ちゃんは死んで産まれてきた。30分後、その母親も死んだ。

医師たちは、その2人の名前を覚える暇すらなかった。

もう一人の妊婦、マリアナ・ヴィシェギルスカヤは、産院で出産を待っていたときに空爆に遭った。

眉と頬を血で染めた彼女は、ビニール袋に荷物を詰め、水玉模様のパジャマ姿で瓦礫の散乱した階段を上っていた。廃墟と化した病院の外では、燃え盛る炎を青い瞳でじっと見ていた。

ビシェギルスカヤさんはその翌日、砲撃音を聞きながら出産した。ベロニカちゃんは3月10日に産声を上げた。

一人は死に、一人は母親となった二人の女性は、それ以来、黒く燃え盛る故郷のシンボルとなった。

世界中から非難を浴びる中、ロシア当局は、産科病院はウクライナ軍の極右派閥に占領され、基地として使われ、患者や看護師は追い出されていたと主張した。

ロンドンのロシア大使館は2つのツイートで、赤い文字で「FAKE」と書かれたAP通信の写真の画像を並べて掲載した。

産院はとっくに閉鎖されており、ヴィシェギルスカヤは女優が演じていると主張していた。

Twitter社はその後、このツイートが規則に違反しているとして削除した。

マリウポリでこの攻撃をビデオや写真で記録したAP通信の記者は、病院が病院以外の用途に使われたことを示すものは何もないということを見ていた。


当然、マリウポリ出身のウクライナ人美容ブロガー、ヴィシェギルスカヤも患者以外の何者でもなかった。

ヴェロニカの誕生は、母親が水玉模様のパジャマを着ている投稿を含め、Instagramで慎重に記録していた妊娠を証明するものだ。

ヴェロニカが生まれた2日後、彼女と母親が療養していた病院の近くに、「Z」の文字が描かれたロシアの戦車4台が陣取った。

AP通信のジャーナリストは医療従事者のグループの中にいて、狙撃を受け、1人は腰をやられた。

窓はガタガタと音を立て、廊下には行き場のない人たちが並んでいた。アナスタシア・エラショワさんは、眠っている子供を抱きながら泣き、震えていた。頭には血がにじんでいる。

「どこに逃げればいいのかわからない」「誰が私たちの子供を取り戻してくれるのでしょうか。誰が?」

医師や地元関係者によると、今週初めまでにロシア軍は建物を完全に掌握し、医療関係者や患者を中に人質として閉じ込め、基地として使っているという。

オルロフ副市長は、さらに悪い事態がすぐにやってくると予測した。街のほとんどが閉鎖されたままだ。

「我々の防衛隊は最後の一弾が尽きるまで守り抜くだろう。しかし、人々は水も食料もなく死んでいく。今後数日間で、何百、何千もの死者を数えることになるだろう」と述べた。

(終)






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