1904(明治37)年
5月26日
乃木希典将軍、出征に向けて東京の自邸で送別の宴を催す
5月27日
陥落の直後の金洲の惨状(27日)
「金洲の南門を右に見て十町も進むと、もう味方の死屍が路傍に転がったまゝ収容されずに残されてあるのが幾つとなく顕はれ出して、其処にも一個、彼処(かしこ)にも一個と数へて行くと、実に際限が無い。」
「一間二間と隔てず、数多の死屍(しがい)は或は伏し或いは仰向けになりつゝ横つて居るのを見ては、戦争其のものゝの罪悪を認識せずには何(ど)うしても居られぬ。殊に、砲弾に斃(たほ)れたるものゝ惨状は一層見るに忍びんので、或は頭脳骨を粉砕せられ、或は頷骨(くわんこつ)を奪ひ去られ、或は腸(はらわた)を潰裂(くわいれつ)せしめ、或は胸部を貫通する等、一つとして悲惨の極を呈して居らぬは無い。」(田山花袋「第二軍従征記」)
5月27日
警視庁、各新聞社に社会主義者取締を厳にする方針掲載を依頼。
警視庁に新聞記者を集めて、「新聞記者への談話」発表。
「一、社会主義者は、非戦論を唱道して、国民の愛国心を毀損す。一、社会主義者は、階級制度破壊を主張して、言論往々皇室におよぶ。一、社会主義者のなかには、かつて刑法上の制裁をうけたるものあり」
『萬朝報』『朝日』以外はこれを黙殺。
『朝日』は通信をそのまま掲載。
『萬朝報』は、「中にはこの主義を看板にして騒ぎ廻り、下層の歓心を得て他の卑しき目的に資せんとする者あり」と書く。
また、政府は電報通信社には以下の通信発信を命じた。
要旨
「現下の軍国状態にあって社会主義者は新聞に演説会に宣伝これ努め、国民を誑惑(きようわく)する嫌いが少なくない。殊にその階級制度廃止の言説は皇室の尊厳を冒すが如き虞れ多大である。警視庁は彼等の行動を厳密た調査した結果、彼等の中には岡某、加納某と称する詐欺窃盗の前科を有する者のあることが判明した」
英字新聞『神戸クロニクル』は社説で政府の態度を非難。
「日露戦争に関して、英米両国民が殊に日本に同情する所以のものは、ただ日本が露国に比して文明なるが故である。それ故、日本政府が一個の非戦論をも容れることができないで、これを圧迫しようとするがごときは却って英米諸国の同情を失う所以である。」
5月27日
小栗風葉(29)、小説「女の心」の連載(「横浜貿易新聞」)。~8月4日、65回。
5月28日
第2軍、大連湾一帯を占領
30日、第2軍、大連を占領
5月28日
宋姉妹長女靄齢(14)、米留学のため上海発。
翌年、ジョージア州メイコンにあるウエスレイアン大学入学。
5月28日
創作オペラ「露営の夢」。北村季晴、慶大ワグネルソサエティ
5月29日
「平民新聞」第29号発行
社説「戦場の大洗礼」(「吉野」「初瀬」の沈没と提灯行列の中止)。
田中正造ら発起「足尾銅山鉱毒被害飢餓遺族保護会ノ趣意」広告
社説「戦場の大洗礼」(要旨)
2艦沈没の報に接して連日の祝賀会、連夜の提灯行列が廃せられたのは2艦の喪失を傷(いた)むためか、溺死した1千の兵士を傷むためであるか。好戦主義者の傷むのは2艦の喪失であって1千の同胞が生命の喪失でないことは、ほとんど論証を要しない。だが、もし彼等の痛惜するのが軍艦ではなく人命の喪失にあるとしたならは、何ぞ吉野・初瀬と運命を共ににした海兵1千の陣歿に限ろうや。陸上では新義州・九連城・鳳凰城の激戦におい2千を算する兵士の死傷を出し、軍司令官すら麾下の部隊から多数の犠牲を出したことを痛惜慙愧して、公報上で罪を謝したというではないか。
しかし当時、東京市民にしろ一般国民にしろ、かつてこれらの戦場に死し、或は傷ついた数千の兵士のために哀悼傷心の情を示したものがあったろうか。彼等はただ新義州・九連城・鳳凰城の戦闘の勝利に欣喜雀躍して、万歳を歓呼絶叫したのである。そして僅々2千の死傷のごとき、この陸戦の勝利に比すれば、ほとんど言うに足らざる安価な犠牲に過ぎないとして、一顧だも与えなかったのである。すでに陸兵2千の陣歿を意とせず、彼等が軍艦2隻の喪失を痛惜して海兵1千の犠牲を哀傷しないのも怪しむには足りない。
記者は「かかる無情冷酷なる国民を後援とする戦場の同胞のために、真に京悼の熱涙を忍ぶこと能はず」と称し、そして「満洲の野に露営する一兵士」が『平民新聞』に寄せた信書を披露して、国民の虚心熟読と三思反省を求めた。
信書の要旨
この度、九連城、鳳凰城の捷報に接したならば故国の子女は定めし万歳万歳と狂喜するであろうが、戦場にある数万兵士の内心を透察すれば、いずれも熱心な非戦論者である。出発の際には猪勇に逸(はや)った兵士も一たび戦場で血の洗礼をうけた今は、熱心な平和主義者と化している。こんな残酷を忍ばねば地上の生活はできぬものかと、みな天来の疑問に心魂を打たれている。
クリミヤ戦争の大産物は、トルストイ伯が軍服を棄てて博愛の使徒となったことだと聞いたが、私は日露戦争の後、幾多の小トルストイがわが軍隊の間から生まれるべきを疑わない。私も生き残ってそれを見聞したいが、明日をも知れぬ身はただ夢のように希望の微光を認めて、独り自ら慰めるはかはない。
従軍新聞記者の通信は嘸(さぞ)かし勇敢な軍物語に充ちているだろうが、そういう記事でなければ許可もされぬであろう。けれども、従軍記者だから我慢もするが兵士としては真平御免と、正直に告白した話も耳にした。其々記者は帰国して再び戦地に来ないと言明したと聞き、内地では臆病記者として嘲笑されるかも知れないが、私はむしろその人の良心を推重している。
ロシア軍のためにわが軍の将兵は多く殺傷されたが、わが軍はそれにも増して多くのロシア軍将兵を殺傷した。銃砲を以て両軍相対する時、一片の「人心」胸奥に閃くことあらばその時は直ちにその銃を以て、わが咽喉を貫くのほかはないであろう。
戦友を葬ってその墓前を去る能わざる兵士の慟哭、「名誉の戦死」の告辞を朗読し果すこと能わぬ中隊長のけつ歔欷(きよき)、これらは是非々々故国の戦勝祝賀党に一目見せたいものである。
「我等は何故に殺傷しているのか」、これは恐らく敵味方を通じて戦場にある者の内心の疑問である。畳の上で祝盃をあげる政治家には巧妙な論理があるかも知れぬが、他を殺し自身も死なねはならぬ身には決して自明の理ではない。
「思はず長文に渉り申候、されどなは次便申し上ぐべく侯、生命なほ全たからは、頓首。」
ああ、生命なお全たからば!
(荒畑『平民社時代』)
第八面広告欄「足尾銅山鉱毒被害飢餓遺族保護会ノ趣意」
発起人:田中正造、高木政勝、高橋秀臣、津田仙、根木正、中島祐八、栗原彦三郎、安藤太郎、島田三郎等
「足尾銅山鉱毒地ニ於ケル出征者遺族ノ窮状……ハ全ク其生活ノ途ヲ失ヒ……飢餓ノ状態ニ迫レリ……鉱毒被害地ニ於テハ一地方挙ゲテ生活ニ窮セル状態ナルヲ以テ親族故旧モ救助スルヲ得ズ……日ナラズシテ多数ノ餓死者ヲ出ダサントス」るので、「本会ヲ組織シ天下ノ志士仁人ニ訴ヘ其救助ヲ仰ガントス」るという。寄附の金品は佐野銀行東京支店と平民社が受付けた。
■この頃の戦争の影響
①京都の西陣では5千の窮民が出て、月給7円~12、13円の織工の多数は5円~7円の涙金で工場を追われ、糠1升に米2合の混合食のために四肢の青膨れを生じている。
②漆器産出で有名な和歌山県黒江地方でも既に数軒が倒産しているが、更に半年間に200余軒の半数以上が倒産寸前にある。
③尾張の有名な機業地中島郡大穂村でも女工の解雇が続出し、生活に困じて広島や朝鮮に娼妓として送られる者が多い。娼妓の行先が朝鮮や広島であることに注意すると、これらは軍隊の駐留地および出征地であることがわかる。
④名古屋大垣地方にも同じ影響が見られ、名古屋市内で毎夜補えられる売淫婦40、50人は、失業女工の成れの果てだといわれる。
⑤『信濃毎日新聞』によると、飯田の質店は大繁昌を極めているが、その日の暮しに困る貧民の質草はまだ温みのある蒲団やポロ着ばかりで、5銭ないし20銭を得るに過ぎなく、質屋は質草の置場所に困っているという。
⑥長野市、伊那町にも開戦直後の3月に入って、廃業閉店が多くなっている。産業の首位を占める機業がもっとも多くの、もっとも深刻な戦争の影響を蒙った。
⑦名古畳では韓国向け白木綿の輸出が杜絶し、綿毛布は2割の価格低落にもかかわらず輸出が半減し、次いで杜絶した。
⑧伊勢崎、桐生、足利の機業は休業もしくは縮小のため織工の乳業続出。長浜の縮緬(ちりめん)は価格1割を低減したが取引がなく、紀州綿ネルは内地向けが停滞し、軍用品のほかは需要皆無の状態。丹後縮緬もほとんど取引なく、久留米絣は今が売行き季節なのに製造半減、価格は開戦以来1割5分、縞は1割余の下落となっている。"
⑨「大阪朝日新聞』の報道によると、市の書記40余名の募集に対し一般事業緊縮の結果、従来その例を見ない1千人の出願者があった。
⑩東京でも昔から口入屋(私設職業紹介所)として有名な日本橋区葭町の千束屋でさえ、150、160人の求職者に対して5、6軒の職を周旋できる程度。本所区あたりの小口入業者に至っては、4月一杯に就職を斡旋したのは2人だけであった。
⑪これら失業者のの大半は行路病者として養育院に収容される。小石川の東京市養育院に、4月1日~25五日、通例の1年分に相当する100人以上の行路病者が送り込まれた。
『投稿』「二十三日の日本橋区役所」(杉浦翠浦、日本橋区に住む商人)
4月23日の日本橋区役所は「門内の広場より家屋内の空間という空間は悉く人を以て埋められ、なお入り切らずに門外にも溢れている。……驚くなかれ、これらの人は税を納めに来たのだ!」
この最後の納税期限に遅れると「営業税未納に付、何月何日までに相違なく中央金庫に納入すべし、もし然らざる時は財産差押へを執行すべし」という書状が来て、10銭の督促手数料を取られる。
とはいえ、どうせ払う税なので大抵は期限までに納めるので、毎年こんなに混雑することはない。今年は、7割増加の営業税と不景気のせいで、多くがギリギリまで納税を伸ばしてきたからだと思われる。投稿者の翠浦も1日業を休み2時間半人波にもまれようやく差し押さえを免れたという。
5月29日
(漱石)
「五月二十九日(日)、野間真綱が、神経衰弱となり、日比谷中学を退めたいと聞き、二十五六時間の授業に耐えられないようでは駄目だ、辛抱して頑張るよう温情あふれる激励の手紙を出す。
五月三十日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。帝国大学第三学期の予定講義終る。六月九日(木)まで臨時休業になる。」(荒正人、前掲書)
5月30日
伊、ジョバンニ・ジョリッティ、国家と教会の並行関係を規定。
5月31日
閣議、「対韓国施設綱領」決定。軍事・外交・財政・交通・通信・産業の実権を掌握、利権を拡張して保護国化(植民地化)をはかる。
〔軍事〕戦争終了後の日本軍の韓国常駐、軍用地収用は、韓国の独立および領土保全を保障した「日韓議定書」第3条による日本の権利である、とする。
〔外交〕韓国政府がおこなう外国との条約締結などの重要案件の処理を日本政府の事前承認制とし、そのために外交業務と外国人への特権譲与業務を外部衙門に集中し、そこに日本公使が監督する外国人顧問官を入れ、外交政務の実権を掌握する。
〔財政〕日本人顧問官を入れ、徴税法や幣制改革、財政再建をおこない、財務の実権を掌握する。
〔交通〕主として軍事的観点から建設中の京釜鉄道(漢城-釜山)と京義鉄道(漢城ー義州)の完成をはじめ、漢城-元山-雄基湾間、馬山ー三浪津間の鉄道敷設権を獲得する。
〔通信〕韓国政府から日本政府に郵便電信、電話事業の管理を委託させ、日本の通信事業との合同をはかる。
〔産業〕韓国内の日本人の土地所有権、用地権、豆満江・鴨緑江沿岸の森林伐採権、鉱山採掘権、全道の漁業権取得などによる産業開発をおこなう。
つづく
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