桜を詠った歌の中でも惹かれるのは
桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり
(岡本かの子)
である。
歌集「浴身」(大正14年)のもの。
特に円山公園のシダレザクラを見るとそう思う。
岡本かの子の創作への意気込み、そして生きざまが見える。
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下は、円山公園の少し先にある知恩院
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下は、八坂神社前、石段下あたり
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八坂神社の手前、四条通りに面した小学校門前にある吉野桜
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祇園白川のシダレザクラをご紹介した際に、有名な吉井勇の歌碑もご紹介しました。
「かにかくに ・・・」という歌です。
吉井勇は、また
おとろえし 舞姫あはれ 円山に 来ては落花を 踏みてかへりぬ
圓山の 長椅子に凭りて あはれにも 娼婦のあそぶ 春のゆふぐれ
とも詠っています。
その目線は、単なる蕩児ではない。
彼は、鉄幹の弟子ではあるがその革新性の限界に気付き袂を分かっている。
一葉の書きし明治の世を思へば ゆゑわかなくに眼(まなこ)潤み来
啄木と何かを論じたる後の かの寂しさを旅にもとむる
一葉、啄木ファンである私には嬉しいかぎり。
啄木には「果てしなき議論の後」というのがあります。
彼は啄木らと「スバル」を創刊。
そして詠う。
いまの世をいかにか思ふかく問へど 人にあらねば比叡は答へず
与謝野晶子は、「私は人麿――和泉式部――西行――さうして勇――といふ順序を持つて、日本の歌は大きな飛躍をしたと信じています」と言ったそうだ。
なるほど。
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