2010年4月9日金曜日

万朶の櫻 軍歌「歩兵の本領」 辻井喬の詩「さくら」



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「万朶(ばんだ)」とは、数えきれないほどの花を付けた枝、のことを云うそうだ。
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軍歌「歩兵の本領」(明治40年代に「陸軍唱歌」に収められる)

万朶の桜か 襟の色 
花は吉野に あらし吹く
大和男子(ヤマトヲノコ)と 生まれなば 
散兵線の 花と散れ

尺余の銃(ツツ)は 武器ならず
寸余の剣(ツルギ) 何かせん
知らずや ここにニ千年
鍛えきたえし 大和魂(ヤマトダマ)

軍旗を守る 武士(モノノフ)は
すべてその数 二十万
八十余ケ所に たもろして
武装は解かじ 夢だにも
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本居宣長が、寛政2年(1790)61歳の時、

敷島の 大和心を 人とはば 朝日に匂ふ 山桜花

と詠って以降、明治時代になると、
桜は観念的な、ナショナリズム或いは国粋主義の象徴、富国強兵政策に取り込まれた「国華」となってゆく。
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「歩兵の本領」が広まり、戦死者の慰霊碑(忠魂碑)と江戸時代に生まれたソメイヨシノがペアで全国に広がり、桜は死の悲愴美漂う形而上の華となる。
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さくら 辻井喬

「万朶の櫻」というのは嘘だ
根も葉もなくて
花は空中に漂っている
光のように影のように
海の記憶にだってもっと形があった
鳥にだって 雲にだって
あたりが薄鼠色に見えるのは
長いあいだ嵐が吹かなかったからだ
隠されている青い淵にむかって
散ってゆくのは何か
受けとめる虚構は何処にもないから
葩(ハナビラ)は川に浮んで流れる
「逝くものは斯(カ)くのごときか 昼夜を舎(オ)かず」
その孔子もどこかへ引っ越してしまった
もうしばらくは出てこないだろう
目をあげて櫻を見る
やすむ間もなく衰えるもの
しずこころなく
沈んでいく風景
もはや観念の美酒は飲みほされた
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そして、形而上的(国粋主義的)「万朶の櫻」が否定され、流されてしまった。
「もはや観念の美酒は飲みほされた」
・・・・・・、のだろうか?
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近代、現代の詩人・歌人たちに桜の詩歌が少ないのは、「万朶の桜」の呪縛、それへの反撥、トラウマに一つの遠因があるのかも知れない。
その意味で、

「万朶の櫻」というのは嘘だ

と言いきった辻井さんはエライ。
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