本郷菊坂。
名前の由来は、長録年間(1457~60)に町屋になった頃、この一帯に菊畑があったからといいます。
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ところで、東京は何と坂に多い事か、・・・と云うよりも、「坂の名」の多いことか、と驚く。
ちょっとした傾斜や階段にも名前がついている。
もっとも、これは道路が整備された現代の感想であって、その昔、人々はきっと通行に難渋したんであろう。
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詳しくは「★東京インデックス」を見て戴くといいんですが、記事にした坂だけでも、・・・
切通坂、三宅坂、梅林坂、潮見坂、昌平坂、中坂、冬青木坂、二合半坂、団子坂、団平坂、貝坂、九段坂、男坂、女坂、夫婦坂、無縁坂、がある。
また、近いうちに記事にするものに、安藤坂、炭団坂、神楽坂、紀伊国坂、淡路坂(一口坂)、がある。
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昨年(2009年)11月に菊坂を再訪した。2005年12月以来二度目である。
一葉旧居跡に行く為に菊坂を下る。
前回と比べて距離があるように感じたが、お肉屋さんがコロッケを揚げるその匂いが、目的地近くを教えてくれる。
(この感覚、同行のシマさんも同感だったようだ)
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一葉旧居跡は、そのお肉屋さんを過ぎてすぐの道を左折し、菊坂より一筋左の谷間のような細道を行く。
一葉旧居跡は、そのお肉屋さんを過ぎてすぐの道を左折し、菊坂より一筋左の谷間のような細道を行く。
一葉一家は、明治22年7月12日に父則義が没した後、しばらく次兄虎之助の家に同居し、明治23年9月から26年7月までの3年間をここで暮らす。
小説家を志し、半井桃水に師事したのもこの時代。
詳しくは「★一葉インデックス」下さい。
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前回来た時は、「一葉旧居跡」の説明板が有ったが、今回、これが無くなっていた。
五千円札の肖像に抜擢され一葉ブームだった頃に比べ、見学者が減ったためか、見学者の騒々しさに困って、敢て看板を外したのか・・・?
後者でなければよいのだが。
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一葉の井戸
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一葉の井戸
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鐙坂
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鐙坂
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鐙坂の上から。
(この写真は、前回訪問時の2005/12月のものです)鐙坂の上から。
井戸の周囲(特に写真の左側)が少し?、変わっているのがわかる。
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伊勢屋質店
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