2012年7月31日火曜日

昭和17年(1942)7月21日 「區役所の入口に日本皇道會とかきし高張提灯を出し赤尾敏の名をかゝげたり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-07-18
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昭和17年(1942)
7月20日
・七月二十日。暮方の空に五日頃の月浮び溽暑甚し。金兵衛に夕餉を喫し淺草より玉の井を歩む。
とある路地の入口に人だかりのするを何かと立寄りて見るに、白しやつ一枚にズボンはきたる職工風の若き男をとらへ、アバツパ着たる老婆の何やら頻に言ひ罵れるなり。能くはわからねどかの若き男は息子にて嫁か情婦かを連れ老母を置去りに跡をくらませしため、老母は銘酒屋に飯焚婆となり居たりしところ今宵はからず不孝の倅に出會ひしものゝ如し。色町夏の夜の一悲劇と謂ふべし。
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7月21日
七月廿一日。晴。夕飯の後物男はむとて淺草に行く。公園に入るに盆過ぎにて人出少し。
區役所の入口に日本皇道會とかきし高張提灯を出し赤尾敏の名をかゝげたり。入場料二十銭拂ひて入る者少からず。
淺草はいかなる世にも面白をかしき所なり。
オペラ館楽屋に少憩して後地下鐡にてかへる。乗客中避暑地より野菜果實を風呂敷につゝみ携へ歸る者多し。
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7月22日
・七月廿二日。晴。山丹の花ひらく。夜初更過雨ふり來りしが須臾にして歇む。数日來巻烟草品切。またちり紙もなくなりし由。毎夜枕上に鴎外全集をよむ。
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7月23日
七月廿三日。晴。酷暑華氏九十二度に昇ると云。午後中河與一氏來り野菜一籃を贈らる。晡下土州橋病院に行き歸途金兵衛に飯す。銀座尾張町乾物問屋大黒屋閉店せし由。
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7月24日
七月廿四日。炎暑昨日の如し。
夜に入るも風なければ電車にて深川より亀井戸に至る。十間川の臭気甚しきを物ともせず天神橋の欄干による倚りてかこむ團扇つかふ人多し。栗原橋をわたるにこゝにも人多く涼む。工場の烟突幾本となく聳る間に狭霧に蔽はれし半輪の月浮び工場内の寄宿舎よりラヂオの軍歌ひゞき來るさま物哀れに聞ゆ。工場の裏手は太平町の陋巷なり。長屋の嚊裸体の亭主道端にしやがみて語りあへり。寒き冬の夜よりも今夜の如き蒸暑き晩このあたりの生活殊にいぶせく哀れに見ゆ
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7月25日
・七月廿五日。暑さいよいよ激しくなりぬ。されど深夜庭樹にそよぐ風の青に耳をすませば早くも秋めきし心地せらるゝなり。
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7月26日
七月廿六日 日曜日 風ありてやや稍涼し。夜金兵衛に飰す。おかみさんこのころ心やすくせし客の中慶應義塾出身の歸還軍人某といふ者に欺かれ四五百圓損せし由。洋酒ウヰスキーの闇取引を種にせし詐欺なりと云。
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7月27日
七月廿七日。満月鏡の如し。舊暦の六月望ならむ歟。夕飯の後永代橋に月を看る。涼風水のごとし。
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7月28日
七月廿八日。今宵も月よし。向嶋より寺嶋町を歩む。今年の夏の暑さ昭和十一二年のころに似たり。毎夜江東の裏町を歩み偶然濹東綺譚の一篇をつくりしも思へば早くも六年のむかしとなりぬ。
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7月29日
・七月廿九日。今日は晝の中より永なしとて人々難澁の由。
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7月30日
七月三十日。晴また陰。午後入院料を支拂ら(ママ)むとて土州橋に徃く。華氏九十四度の暑なりと云。夜ふけて雨すこし降る。風やゝ涼しくなりて始めて安眠することを得たり。
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7月31日
七月卅一日。晴。涼風颯ゝ人皆蘇生の思をなす。晩食後深川散策。今宵は氷ありと見えいづこの氷屋にも人むらがりたり。氷水一杯十銭にて其量むかしの年分よりも少し。
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7月23日、華氏92度という。摂氏では33.3度らしい。今ころとそんなに変らないか?


7月24日、陋巷の熱暑の夜。庶民の過ごし方の描写。この巧みさがたまらない。


7月25日、いつの時代にも「儲け話」に引っかかる人はいるもんだ。勿論、引っ掛ける人も。
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