2012年7月22日日曜日

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(27) 「二十 ランティ エ の経済生活」(その1)

東京 北の丸公園 2012-07-10
*
川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(27)
 「二十 ランティ  の経済生活」(その1)
石川淳「敗荷落日」(追悼文、昭和34年)
戦前の荷風は、金利生活者、フランス語の「ランティエ」だったと書く。
「戦前の荷風は幸運なランティ エ であった」
「ランティ エ の身柄は生活のワクの中に一応は安全であり、行動はまたそこに一応は自由であり、ワクの外にむかってする発言はときに気のきいた批評ですらありえた」


大正7年
荷風は長男の権利を行使して、大久保余丁町の邸宅を売る。
「日乗」大正7年11月27日、売却金額2万3千円とある。他に、鎚行預金、株券などがあった筈だが、秋庭太郎の調べでも「(その)金額は明らかでない」(『永井荷風伝』春陽堂、昭和51年)


大正13年9月15日
荷風の年収がはじめて明らかにされる。
「税務署より大正十三年分所得金額四千壹百八拾四圓との通知状来る」

この頃の他の職業の稼ぎ
「日乗」大正15年1月15日
大工植木屋の手間代は1日3円50銭。

同年7月20日
「赤阪に壽美子を訪ふ。本所小村井村活動写眞撮影所の女優居合せたり。窃にきくに二十圓にて寝る由なり」。

同年10月10日
赤坂あたりに出没する私娼の枕代は、20円より30円とある。


昭和初年の職業婦人の平均月給は、タイピストが40円前後、電話交換手は35円前後、事務員は30円前後(だいたい男子の三分の二)という(『日本の百年』第五巻 筑摩書房、昭和30年)。私娼の枕代が一晩20円から30円は高い。


カフェーの女給
「日乗」大正15年10月13日、「(女給に)一箇月の収入如何程なりやと問ふに弐参百かこむ圓を下ることなしとぞ」

「荷風は金銭感覚がしっかりしていた。敗残趣味、落魄趣味を持ちながら実生活では、きちんと蓄財に励む。金銭的な合理主義者であり、経済的な安定こそが精神の自立を支えると確信している。不受不施の徹底した近代人といっていいだろう。」(川本)


佐藤春夫『小説 永井荷風伝』
慶應の学生の頃、町で教授の荷風に会い、友人たちと一緒に荷風に誘われるように「青木堂」に入り、同じように「ショコラー」を注文、荷風は、いち早く飲み終り、自分の代金だけを払って「さよなら」と悠々と立ち去った。学生の代金を払うという考えなど荷風にはない。


戦後、筑摩書房の編集者として荷風に接した中村光夫『《評論》 永井荷風』。
あるとき、荷風は中村光夫に、国電の立川駅は、電車がつくときだけ改札口に駅員がいて、あとは人眼がないから、しばらくホームにいて、柵からぬけだしてくれば、電車賃を倹約することができると得意そうに話したという。
またあるとき、夕方に訪ねると、電燈が暗い。訳を聞くと、このあたりは電圧が低くていつもこうなのだという。トランスを新しくすれば、電圧を正常にすることができるので、このあいだ近所の人が金をだしあって、電燈会社にトランスの取り替え圭父渉しようという相談があったが、自分は断った。「何しろ三十円だせというんで、とてもそんなことできませんよ」。当時の荷風は、「印税成金」といっていい身分であったのに。

中村光夫がいうように、荷風は、戦後、インフレの苦い経験をなめてから、金を心底では信用しなくなり、「金銭への不信、あるいは将来の自分の生活への不安が、ますます彼に金銭に執着させるという循環」を生じた。

戦後、市川で自宅の一部屋を荷風に貸したフランス文学者の小西茂也『同居人荷風』(昭和27年 筑摩書房『現代日本文学大系24 永井荷風集(二)』、昭和46年所載)。
「今朝、荊(?)妻先生の部屋があまりに乱雑なるゆえお部屋を掃除す。洗顔中なりし先生、慌てて部屋に戻り金を蔵ひありし所へ行きて、掃除中の女房の前にて金勘定を始めたりと」


昭和20年7月13日、疎開中の岡山で。65歳。
「快晴。朝十時過S氏夫婦と共に寓居を出で二里半ばかりの道を歩み、庭瀬駅停車場附近なる福田村の山上に果樹を栽培せる平松氏を訪ふ。平松氏は先に岡山市中弓之町に松月といふ旗館を営みしことあり。去月廿八日旅館舎焼亡の際余は宿賃を払ふ暇だになく逃れ去りて今日に至りしなれば、此日爾後の空晴渡りて風秋の如く冷なるに乗じ、途上の風景を見がてら尋ね行くことになせしなり」

「不受不施の原則が徹底している。無用に金を貸すことがないかわりに、借りることもない。いつも、他人に対して金銭的な貸し借りをゼロの状態にしておく。みごとな合理精神といわなければならない。」(川本)

フランス文化研究者の高橋邦太郎(「三田文学」昭和34年6月号)
「荷風先生という人は、非常にケチだといわれているが、気に向くと『今日は、ぼくが奢りますよ』といって誘われ、その時は、必ず御自分で勘定をもつ人である。・・・」
ランチェとは、年金、公債、株券の利子で生活する人々であって、絶対に生活に困らない。しかし、贅沢はしない。つつましやかに収入の範囲でくらす人々の謂である

野口富士男と川本三郎との対談(「図書」1992年5月号)
金銭感覚のしっかりした荷風を「実業家の息子」と評している。
*
*

0 件のコメント: