2012年10月24日水曜日

1761年(宝暦11)1月 モーツアルト(5)、音楽の基礎やクラヴィーア弾奏を学び始める 【モーツアルト5歳】

東京 北の丸公園
*
1761年(宝暦11)
この年
・本草学者田村藍水が「甘蕪(かんしょ)製造法」を著し、栽培・製糖法について記す。
*
・塚田与右衛門が1757年に著した「新撰養蚕秘書」が「養蚕全書」の名で刊行される。
*
・河内、交野郡の村々の代表、1758年以来反対してきた枚方浜揚げ荷物への新規課税について、再び江戸へ直訴。
*
・高松藩、平賀源内の仕官さしとめを他藩へ触れる。
*
宝暦検地
「田畠土地の厚薄広狭抨(ならし)」の検地で、「有徳百姓」の新開・隠田・良田を徹底的に摘発して4万石余を新たに打出し、田地を一筆毎に絵図面に記載する長州藩独自の精緻な土地台帳「小村帳」「小村絵図」を作成した反動的施策。

長州藩は、全ての村で村全体として古検高を下廻ることを許さず。
宝暦検地は、あからさまな年貢増徴策で、農民層分解を阻止する「石抨(こくならし)」検地であり、新開・隠田・良田を開き生産力を上昇させている「有徳百姓」には地代を上げて収奪を強化し、土地を放棄する危機に晒される零細農氏にはむしろ地代を低くして没落を阻止。
「有徳の農人共、石抨を悪政の様、上を謗り申」すことになる。

しかし、宝暦検地の年貢増徴策は成功せず。
宝暦検地が終わる1762(宝暦12)年~1786(天明6)年の25年間に洪水と旱魃の繰り返しが11回、毎年平均約5万5千石余が荒廃、土に帰す(宝磨検地で打ち出された4万石余をはるかに上廻る)。
宝暦検地の精緻な年貢増徴策が洪水と旱害の規模を倍加させる。
*
・マドリード条約破棄。翌年から戦闘が始まる。
スペインはリオグランデ・ド・スルとサンタカタリナを占領。
*
・ポルトガル、リスボンに王立貴族学院、設立。自然科学・実学に重点をおく。
*
・ロシア人、ラッコやキツネを求めてアレウト列島沿いに進出、アラスカに達する。
この毛皮取引で巨利を得ているのはイルクーツク商人。この噂は国中に広まり、多くの人々が一攫千金を求めてイルクーツクに殺到。
*
1月
モーツアルト(5)、1760年~61年1、2月頃、音楽の基礎やクラヴィーアの弾奏を学び始める

「ナンネルルの楽譜帳」冒頭の8曲のメヌエットの終り、父レオボルトは、「これら八曲のメヌエットを、ヴォルフガンゲルル、四歳の時に学ぶ」と記す。
更に、
「この曲(第27番ヴァーゲンザイルのスケルツォ)をヴォルフガンゲルルは、一七六一年一月二十四日、誕生日の三日前の夜九時から九時半まで学ぶ」、
「このメヌエットとトリオ(第11番)を、ヴォルフガンゲルルは、一七六一年一月二十六日、五歳の誕生日の前日に、夜九時半に三十分で学ぶ」、
「(第21番、行進曲)一七六一年二月四日、ヴォルフガンゲルルにより学ばれる」、
「(第28番、スケルツォ)一七六一年二月六日、ヴォルフガンゲルルこれを学ぶ」
とメモ。
(「ヴォルフガンゲルル」というのは、「ヴォルフガングちゃん」といった言い方)

ヴォルフガングが1760年~1761年1月頃にかけて、既に音楽の基礎やクラヴィーアの弾奏を学び始めていたことを物語る。

▽モーツアルトの幼児の頃の様子。
1791年、モーツァルトが没した際、ドイツの史家フリードリヒ・フォン・シュリヒテグロルがモーツァルトの『死者小伝』を執筆すべく姉のナンネルルに資料提供を求めた。
彼女がそれに答えて書き送った文章。

「彼(レーオボルト、モーツァルトの父)の七人の子供のうち、一人の娘マリーア・アンナと、この息子ヴォルフガング・ゴツトリープだけが生き残ったので、彼は、ヴァイオリンの教授も、また作曲も、まったく放棄してしまい、宮廷に仕える以外の残された時間を、二人の子供たちの教育に向けました。父親が七歳の娘にクラヴィーアを教え始めた時、息子は三歳でした。幼児はただちに神から与えられた異常な才能を示しました。彼はしばしば長い間クラヴィーアを前にして、3度をさがし求めて楽しんでいましたが、それをいつまでも鳴らし、その諸音に満足の様子でした。四歳の折、父親はいわば遊びがてらにクラヴィーアでいくつかのメヌエットや小曲を教え始めました。これは、父親にとっても、また子供にとっても、ほとんどなんの苦にもならなかったので、ある小曲などは一時間で、またあるメヌエットは半時間でたやすく学び取り、こうしたものを誤ることなく、この上なく綺麗に、拍子もたいへん正確に弾いたものでした。このような進歩を遂げたため、五歳の時にはもう小曲を作曲し、それを父親の前で弾きましたが、父親はそれを五線紙に書きとどめたのです」(第二項第二節)。

レオボルト:
ザルツブルクの大司教宮廷楽団員(ヴァイオリン奏者)。
教育者・演奏理論家(『ヴァイオリン教程』出版)。
作曲家(1908年、音楽史家マックス・ザイフェルト編集刊行『レーオボルト・モーツァルト作品選集』(『バイエルン音楽集成』第17巻)には、レーオボルトの音楽作品のジャンル別、主題(曲首)つき目録が吹くまれており、クラヴィーア音楽、その他の独奏曲、二重奏曲、三重奏曲などの室内楽、交響曲、その他の管弦楽曲、舞曲、協奏曲などのオーケストラ曲、ミサ、リタニア、オッフェルトリウム等の教会作品など様々なジャンルに及ぶ)。
モーツァルト誕生の翌年、〈宮廷室内作曲家)の称号を得ている。

ナンネルルは更に、自分も4歳半のことで思い出せない事柄もあり、詳細を補完するするため、父親の友人シャハトナーに質問状を送る。
シャハトナーは、1792年4月24日、ナンネルルに返信。

「第一の質問-弟が幼かった頃、音楽に没頭する以外に、なにか好きな遊戯がありましたか?」
「この質問にはなにもお答えできません。なぜなら、令弟が音楽の勉強に夢中になり始めると、他のすべての仕事に対する嗜好はすべて死に絶えたも同然となってしまうほどだったからで、さらに子供っぽい遊びや戯れも、もし彼にとって興味がある場合には、音楽の伴奏がつけられました。・・・」。

「第二の質問-大人たちが、彼の音楽の才能や技能に感嘆する嘩彼は子供として、彼らに対してどのように振舞いましたか?」
「実際、彼はこうした時にも、尊大さや功名心をもらしたりすることは決してありませんでした。・・・彼は聴き手が深く音楽を解する人たちでなければ決して演奏しませんでしたし、・・・」。

「第三の質問-彼はどんな学科をいちばん好んだのでしょうか?」
「この点、なにを学ばせようが構わず、彼はひたすら勉強することを望んだだけで、なにを学ぶかは、心から愛するお父上にすべてまかせていました。・・・」。

「第四の質問-彼はどんな性格、主義、一日の暮らし方、特徴、善悪に対する嗜好をもっていたのでしょうか?」
「お答え、彼はいつでも熱情にあふれ、なんにでも傾倒する性格をもっていました。また彼は、あらゆる刺激に対して、たいへん感受性豊かでしたが、それがためになるものか有害なものかを、まだ判断することができませんでした。」

このあとシャハトナーが、モーツァルトが4歳から5歳にかけての頃、自分が経験した驚くべき事柄について、それが絶対嘘いつわりのないものとして紹介。

「いつか私は木曜日のお務めのあと、お父上と連れ立って、お宅に戻りましたが、私たちは四歳のヴォルフガンゲルルが一生懸命ペンを動かしているのをみつけました。

お父上 - お前なにをしているんだね?
ヴォルフガング ー クラゲィーアのための協奏曲なの。第一部はもうじき出来上がるよ。
お父上 - 見せてごらん。
ヴォルフガング ー まだ出来てないの。
お父上 - 見せてごらん。これは面白い。

お父上がそれを彼から取り上げて、音符のなぐり書きを私に見せて下さいました。その大部分は消したインクのシミの上に書いでありました。つまり、幼いヴォルフガンゲルルは、どうやったらよいのか分からず、インク壷の底まで毎回ペンをさしこんで、それを紙の上まで持っていくので、インクはそのたびごとにこぼれてしまうのです。でも彼はそんなことにはいっこうお構いなく、手のひらでこすり、その上に書いてしまうのでした。見たところまったくめちゃくちゃなこの楽譜に、私たちは初め大笑いしました。しかしやがてお父上は、一番大切なこと、つまり音符や曲の作り方に注意を向け始めました。彼は長い間、じっと楽譜を見ていましたが、涙が、喜びと驚きの涙がその眼からしたたり落ちました。見たまえ、シャハトナー君、と彼は言いました。すべてなんと正確に、規則どおり書いてあることだろう。ただ、あんまりむずかしすぎてだれも演奏できないよ。ヴォルフガンゲルルが言いました。だからこれは協奏曲なんだよ。うまく弾けるようになるまで練習しなけりゃいけないよ。見ていてよ、どんなに弾くかを。彼は弾きはじめ、自分が意図したことを私たちに示してくれるよう試みたものでした。当時の彼には、協奏曲を弾くのと奇蹟を行なうのは、まるで一つのことのようでした。」

シャハトナー:
父レオボルトの同僚、宮廷のトランペット奏者でヴァイオリンも弾く。レオボルトよりも10歳余り若かい親しい間柄で、勤めの帰りにしばしばモーツァルト家を訪ねて、レオボルトや一緒に来た友人たちと合奏を楽しむ。時には幼いヴォルフガングの遊び相手にもなる。

和音(「三度の響き」)を聞き分ける感性。
父が弾くクラヴィーアが作り出す和音の響きは、赤子モーツアルトに刻まれ、ある時、一つの感覚(音を選別する感性)が芽吹く。
モーツァルト3歳の頃、父にクラヴィーアのレッスンを受けている8歳の姉の傍にいた幼児は、姉のレッスンが終ると、椅子の上に上って鍵盤をいたずらし始める。小さな指がキーを所かまわず叩くうちに、2本の指が偶然に1つへだてた2つのキーを同時に押すと「三度の響き」が鳴る。
幼児は自分が見つけ出した「三度の響き」に夢中になり、いつまでもクラヴィーアを前にして様々な「三度の響き」を探し求め、うっとりと聴き入っていたという。
(井上太郎「モーツアルトのいる街」に記されている逸話)
*
・ジャン・ジャック・ルソー「新エロイーズ」刊行。
*
1月14日
・インド、ドゥッラーニー朝アフマド・ドゥッラーニー、マラーター族破る
*
1月16日
・フランス東インド会社拠点ポンディシェリ、英東インド会社の攻撃で陥落。インドのフランス勢力は完全に制圧される。
*
1月19日
・幕府、抜荷改めを取り違え、正当な中国・オランダ貿易品の調達を控える者がいるとして、手広く商売するよう諭す。
*
1月22日
・ハデルスレフ、ゲオルク・ニコラウス・ニッセン、誕生。
1809年、モーツァルト未亡人コンスタンツェと結婚、モーツァルトの伝記を書く(未完)。
*
*

0 件のコメント: