2012年12月12日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(54) 「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その3)

東京 江戸城(皇居)東御苑
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(54)
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その3)

ある政治的プロジェクトにとって妨げになる集団を意図的に抹消する企て
 規模のうえでは、七〇年代のラテンアメリカのコーポラティズム独裁政権が犯した罪は、ナチス政権下あるいは一九九四年にルワンダで起きたこととは比べものにならない。
もし「集団虐殺(ジェノサイド)」の定義が「大虐殺(ホロコースト)」だとすれば、そこに含めることはできない。
しかし先の裁判所の定義のように、ジェノサイドをある政治的プロジェクトにとって妨げになる集団を意図的に抹消する企てと理解するなら、それはアルゼンチンだけでなく、シカゴ学派の実験室と化したこの地域の至るところに - 程度の差はあれ ー 見て取ることができる。
これらの国においては、経済学者から食料配給所で働く人、労働組合員、音楽家、農業指導員、そして政治家に至るまで、あらゆる種類の左派の人々が「理想にとって障害となる」人物とみなされた。
これらの集団に属する人々は、「コンドル作戦」として国境を越えて地域全体で実施された、左派根絶のための明確かつ意図的な戦略の標的とされたのだ。

歯止めのない自由市場という概念がシカゴ大学の地下作業室から抜け出し、現実世界に適用された
 共産主義崩壊以降、自由市場と自由な人間は、単一のイデオロギーのもとにパッケージにされてきた。
そのイデオロギーは、集団墓地や戦場、拷問室などで埋め尽くされた歴史を人類が二度とくり返さないための最良かつ唯一の防御手段であると標榜する。
しかし、歯止めのない自由市場という概念がシカゴ大学の地下作業室から抜け出し、現実世界に適用された最初の場所である南米南部地域において、それは民主主義をもたらさなかった。
それどころかいずれの国においても、民主主義の転覆がまず前提となったのだ。
そしてそれは平和をもたらすこともなく、数万人の組織的な殺害と一〇万~一五万人に対する拷問を必要としたのである。"

南米南部地域の軍事政権と純粋主義的な資本主義の「調和的関係」
 レテリエルが書いているように、社会のある部分を抹消しようとする動きと、そのプロジェクトの中心にあるイデオロギーとの間には「調和的関係」が存在した。
南米南部地域の軍事政権に助言を与え、重要ポストに就いたシカゴ・ボーイズとその教授たちは、本質的に純粋主義的な資本主義の形を信奉していた。
それは「均衡」と「秩序」への全面的な信頼と、成功へ導くにはいっさいの介入や「歪曲」を排しなければならないとの考えに基づいていた。
こうした特質ゆえに、この理念を忠実に適用するためには、それと競合したりそれを緩和するような世界観の存在を認めることはできない。
理想が達成されるためには、そのイデオロギーだけを信奉し他を排除する必要があった。
そうしなければ経済兆候に歪みが現れ、システム全体が均衡を失ってしまうと考えられたのだ。

南米南部地域は自由放任型資本主義の実験に最も不適当な地域だった
 シカゴ・ボーイズにとって、七〇年代の南米南部地域ほど、この専制的な実験に適合しない場所は世界中どこを探してもなかった。
この地域における開発主義の驚異的なまでの台頭は、歪曲あるいは「非経済的な考え方」とシカゴ学派がみなす政策が実施されていることを示していた。
さらに重要なことに、この地域では自由放任型資本主義に真っ向から反対する知識人たちの運動が勢いを増し、大衆に支持されていた。
しかもそうした考え方は非主流ではなく国民の大多数に典型的に見られ、どの国でも選挙が行なわれるたびに結果に表れた。
シカゴ学派がこの地域で改革を行なうことは、たとえて言えばビバリーヒルズでプロレタリアート革命を起こそうとするようなものだった。

「そしてアルゼンチン国民の大多数は(中略)人民を救うのは人民でしかないということを知っている」(ウォルシュ)
「歴史はわれわれのものであり、それを創るのは人民なのだ」(アジェンデ)
 アルゼンチンに恐怖政治が敷かれる前、ジャーナリストのロドルフォ・ウォルシュはこう書いた。
「監獄であれ死であれ、何者もわれわれを止めることはできない。なぜならすべての人を監獄に入れることも殺すこともできないからだ。そしてアルゼンチン国民の大多数は(中略)人民を救うのは人民でしかないということを知っているからだ」。
大統領官邸に戦車が突入するなか、サルバドール・アジェンデが行なった最後のラジオ演説にも、これと同じ抵抗精神が満ちあふれていた。
「あまたのチリ人の価値ある良心に蒔かれた種子を確実に刈り取ることはできないと私は確信している。彼らは武力をもってわれわれを屈伏させることができるかもしれない。しかし犯罪や暴力をもって社会のプロセスを止めることはできない。歴史はわれわれのものであり、それを創るのは人民なのだ」

「チリ人の考え方を変化させるための長期にわたる徹底した取り組み」
 この地域の軍事政権の司令官たちと経済政策を担当するその共犯者たちは、こうした事実を十分承知していた。
数回にわたるアルゼンチンの軍事クーデターを経験したある軍人は、軍内部の思考をこう説明する。
「一九五五年には問題は(フアン・)ペロンだと考えて彼を追放したが、一九七六年には問題は労働者階級にあることを理解していた」。
事情はこの地域全体に共通していた。
問題は大きく、根は探かった。
言い換えれば、アジェンデが不可能だとしたことを行なう必要があったのだ。
新自由主義革命を成功に導くためには、軍事政権はラテンアメリカで左翼が躍進した時期に蒔かれた種子をなんとしても刈り取らなければならなかった。
ピノチェト独裁政権がクーデター後に発表した「原則宣言」は、「チリ人の考え方を変化させるための長期にわたる徹底した取り組み」こそが同政権の任務だとしている。
ここにはその二〇年前、(チリ・プロジェクト)の名づけ親である米国際開発庁(USAID)のアルビオン・パターソンが言明した「必要なのは人間形成のあり方を変えることだ」という言葉に通じるものがある。

ラテンアメリカの文化全体に対する宣戦布告
 だが、どのようにしてそれを行なうのか? 
アジェンデが言った「種子」とはあるひとつの考え方、あるいは政党や労働組合のようなひとつの集団を指してはいなかった。
六〇年代から七〇年代初頭のラテンアメリカにおいて、左翼的思想は大衆文化の主流となっていた -  パブロ・ネルーダの詩やビクトル・ハラ、メルセデス・ソサの音楽しかり、「第三世界の神父たち」による解放の神学や劇作家アウグスト・ボアールによる被抑圧者の演劇、パウロ・フレイレの民衆教育やエドゥアルド・ガレアーノの革新的ジャーナリズム、そしてウォルシュ自身もしかり。
ホセ・ヘルバシオ・アルティガス〔ウルグアイの独立運動の指導者〕からシモン・ポリーパル〔南米五ヵ国を独立に導き、ボリビアを建国したベネズエラ出身の革命家〕やチェ・ゲバラに至る歴史上の伝説的英雄や殉教者しかり。
軍事政権がアジェンデの予言を否定し、社会主義を根こそぎ絶やそうと行動を起こしたことは、こうしたラテンアメリカの文化全体に対する宣戦布告にほかならなかった。

浄化する、一掃する、根絶やしにする、矯正する
 このことは、ブラジル、チリ、ウルグアイ、そしてアルゼンチンの軍事政権が使ったたとえ - すわち、浄化する、一掃する、根絶やしにする、矯正するなどのファシストたちお気に入りの表現に、いみじくも表れている。
ブラジルの軍事政権による左翼狩りは「浄化作戦」というコード名で呼ばれていたし、クーデター当日、ピノチェトはアジェンデ政権を「この国を駄目にする汚物」と呼んだ。
その一ヵ月後、ピノチェトは「チリから悪を根こそぎ滅ぼし」、この国の「悪徳を清め」「精神的浄化」をもたらすと約束した。
ここには、第三帝国の思想家アルフレート・ローゼンベルクが求めた「鉄のほうきによる容赦ない浄化」に通じるものがある。
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