代官町通り 2014-09-05
*明治37年(1904)
11月14日
・午前、御前会議。桂首相・寺内陸相・山本海相・山県参謀総長・伊集院次長。
旅順艦隊を砲撃できる203高地攻略の必要性結論。大山総司令官に打電。
16日、大山総司令官より、203高地占領に全力尽くす旨返電。
203高地論争は満州軍総司令部が押し切る。
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11月14日
・(露暦11/1)ロシア、綜合技術高専、ペテルブルク学生統一民主団呼掛け学生集会。戦争即時停止、憲法制定会議即時召集。
17日、電機技術高専、女子医専。
18日、レスガフト医専門。
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11月15日
・横浜正金銀行、清国の遼陽に出張所設置。
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11月15日
・平民新聞第52号(「小学教師に告ぐ」)公判。
19日、1審判決。「平民新聞」発禁、幸徳・西川禁固5ヶ月、罰金50円、別に西川禁固2ヶ月。控訴。
安住検事の論告。
問題の社説「小学教師に告ぐ」は、国家は国家のためにその人民を教育しようとするが、人類としてこれを教育しようとは欲せず、一国の民を造ろうとは欲するが、世界の子を造ろうとは欲せず、小なる国家道徳を教えさせて大なる博愛道徳を斥ける。今日の教育制度は、人類を完全ならしめず却って不具ならしめると主張し、明らかにわが国体に反している。本論が私有財産、階級制度を否定しているのは明らかに憲法に違反し、国体を破壊し、朝憲を紊乱するものである。
(「この小学教師に告ぐという論文は、忠孝道のようなものは小さな教育だといって退けて、世界とか人類とか博愛とか平等とか大きな道徳を主張しているのはわが国体にもとるものである」)
西川の弁疏。
われわれの反対論者は「秋水枯川の一派を斬つて出陣の血祭りにせん」「非戦論者を斬れ」「平和論者を国外に放逐すべし」などと不穏な言を弄しているのだから、温順な社会主義者の口からでも時に激語の発せられることもあろうが、われわれの態度は『平民新聞』第一号に目的実現の手段を国法の範囲内に限ることを宣言した通りであって、われわれの議論はつねに民間の反対論者を的とし、決して勅語法令に対しているのではない。
幸徳の弁論。
第一に、小なる道徳、大なる道徳云々の問題は目下世間に争われている倫理教育の主義に関する議論であって、政治論ということはできぬ。これらの議論はつねに大学においても政府においても研究され主張されているところで、朝憲紊乱、政体変更などとはいえない。
第二に、検事は本論を教育勅語に反するというが、教育勅語を単に忠孝道徳とのみ解するのは保守的思想家の勝手な解釈に過ぎない。真に教育勅語の趣意を貫かんと欲すれば、広く世界人類としての博愛的道徳を教ゆべきである。しかるに現状は如何、一銭の金も稼ぎ得ぬ小児に恤兵の献金を強い、課業を休ませ、徹夜をさせて停車場に万歳を叫ばせる。甚だしきは戦争ごつこで殺されるのもあれば、某中将の子は露探だというて学校をイジメ出された。これらは全く勅語の趣旨を曲解し、国家忠孝ということのみを見て大なる博愛道徳を見ざるよりして生ずる弊害である。
第三に、非戦論を以て宣戦の詔勅に反するというが、しかし何人も多くの人命を損じ、多くの金を費やすべき戦争を願わしきもの、謳歌すべきものといい得る者はあるまい。今回、万国社会党が決議したところも戦争の惨害を認めて速かに平和の克復に尽力すべしというにあり、詔勅の終りに「速かに平和を永遠に克復」せんことを望まれたのと異ならない。
第四に、資本私有制度の廃止は憲法の所有権保証に抵触し、憲法を紛更するものというけれども、しかし憲法は同時に公益のために必要なる処分は法律を以て定めると規定し、すでに多くの土地や資本は法律の手によって国家社会に移されている。将来、普通選挙が行なわれ、多数の社会主義議員が公益のために法律を改廃制定して生産機関を国有となすことは、極めて合法的であって何等の不都合もないのである。
最後に、社会主義者が廃止を主張するのは貧富の階級であるけれども、かりに華族のごとき階級の廃止を主張するとしても、維新改革の際には一切の階級が廃止されて四民平等となったではないか。社会主義者は維新の政治上における四民平等の制度を、経済上に応用せんとするに外ならない。
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11月15日
・中国鉄道岡山~総社間開通。
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11月15日
・寶田石油、日本石油の両会社、共同して柏崎に国油共同販売所設置。資本金50万円。
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11月16日
・社会主義協会、結社禁止。治安警察法第8条によって解散を命じられる。滝野川の園遊会を秘密結社結成などと見做した。
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11月18日
・古賀政男、誕生。
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11月18日
・ハンガリー、ティサ・イシュトヴァーン首相、議会手続き無視の下院議事打切り。
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11月19日
・社説「民権拡張の好機」(「万朝報」)。
主戦論を唱えるが、挙国一致の義務あるところ、民権拡張の権利もあると主張。戦前からの普選論を継続。
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11月19日
・『平民新聞』第52号裁判(「小学教師に告ぐ」)の第一審判決。
第一段の「小学教師に告ぐ」は「現今の教育を以て国家のために強制して人民を教育し、人として教育をなさずとなし、其任に当る小学教師の職の如きは矛盾無意味残忍の甚だしきものとなし・・・国家という私欲団体を脱し博愛平等なる世界的一社会に入り、財産の私有を禁じすべての階級を打破し万民平等の社会に入り・・・無政府共産的絶対平等の社会主義を以て社会を改造せざる可らざるものとなし、朝憲を紊乱すべき事項を諭出し」たものと認めた。
第二段「戦争に対する教育者の態度」は、愛国心の美名の下にいかに多くの財富を消費し、いかに多くの人命を失い、いかに多くの寡婦孤児を泣かしめ、いかに多くの貧民を生ぜしか、社会のあらゆる罪悪の根源はかかる美名の下に発し・・・これがため社会の真の進歩を妨げ、正義を破り、人道に悖(もと)り・・・と記し、現時戦争の結果を・・・罪悪視し国民奉公の愛国至誠を軽侮し民心を沮喪せしめ・・・社会の秩序を壊乱したと断定した。
裁判長今村恭太郎は、朝憲紊乱の廉(かど)により『平民新聞』の発行を禁止し、幸徳、西川を各禁錮五カ月、罰金五十円、ならびに西川を第二段の行為により別に禁錮二ヵ月に処した。
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11月19日
・ハンガリー、全野党合同「連合」結成。議長コシュート・フェレンツ、実際指導者アポニとアンドラーシ。
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11月19日
・ロシア・バルチック艦隊独立支隊、クレタ島スダ港集結。
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11月19日
・21日まで(露暦11/6~8)ロシア、サンクト・ペテルブルクで第3回ゼムストボ(地方自治会)代表大会開催。34県中33県100人以上、議長シーボフ。代議制議会と市民の基本的人権としての自由を要求。憲法制定議会要求なし。
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11月20日
・週刊『平民新聞』第54号発行。
英文欄で、11月2日の社会主義協会演説会中止処分を弾劾。
「社会主義者は迫害に会うごとに更に一歩前進するが故に、吾人は政府の弾圧政策によって毫(ごう)も傷つけられる者ではない」
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11月21日
・大山総司令官、第3軍に旅順港内を眺望できる高地(203高地)一帯への攻撃・占領厳命。
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11月21日
・アメリカ、労働連盟大会、日本人・韓国人労働者排斥決議。
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11月22日
・第3軍司令部乃木大将に旅順攻撃、激励、勅語下命。山県参謀長より漢詩が送られる。
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11月22日
・幸徳秋水(33)、横浜伊勢佐木町の相生座での社会主義演説会で「家庭と社会主義」を講演。
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11月23日
・乃木大将、11月26日総攻撃下命。
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11月23日
・非常特別税(織物消費税・塩専売・米籾輸入税)反対運動。
無所属代議士田口卯吉(「東京経済雑誌」社長)・島田三郎(「毎日新聞」社長)の呼掛けで、この日、全国各市選出代議士(総数73中42人が参加)が協議。
連日、政府、政友・憲本両党に訴え。主力の無所属議員17人は「有志会」を組織。
第21議会では、板倉中・大縄久雄・浅野陽吉が反対討論を行う(第20議会では増税反対を唱える者なし)。
戦後の悪税反対運動の発端となる。また、この過程で講和反対運動に中小商工業者が参画するベースができる。
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11月23日
・独露間の同盟交渉(7月28日~)、露が仏の同意を条件としたため失敗。
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11月24日
・阪鶴鉄道、舞鶴~宮津間航路、定期運行開始。
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11月24日
・ロシア・バルチック艦隊独立支隊、スエズ運河入口ポートサイド着。石炭積込制限受ける。
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11月25日
・特別支隊(「白襷隊」)編成。第1師団第2旅団長中村覚少将。3105名。
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11月25日
・石川三四郎・斉藤兼次郎、「平民新聞」発禁を予期して予め後図を策し、「日本平民新聞」発行届出、警視庁受理拒否。
12月1日、同氏ら、学術雑誌「平和」発行届出。警視庁受理拒否。
翌明治38年1月18日、「曙新聞」、発行届出。再々度差し戻し。
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11月25日
・英字新聞『神戸クロニクル』社説、11月20日付『平民新聞』英文欄を引用して政府の弾圧を非難。
(大要)
「『平民新聞』の英文欄記者は、吾人は政府の鎮圧手段のために少しも損害をうける者ではない、なぜなら社会主義者は迫害に会うごとに前進するからであると書いた。新聞発行禁止の命をうけ経営者の二人は五ヵ月の禁錮を宣告された今日と雖も、彼等の意見は決して変ぜぬであろう。政府が社会党を鎮圧せんとするのは、その社会組織の意見のためよりも寧ろ彼等が現時の戦争を非難するためである。しかし政府の弾圧政策はよく戦争に対する非難を防遏し得るだろうか。戦争がますます進行して人民の犠牲が一層増大するに至れば、戦争熱は冷却して却って政府に対する不平と憤怒が生ずる。実際、誰でも地方に旅行して地方人民と話して見ると、開戦当時の熱心が非常に衰え、初めは戦争が数カ月ですむと思っていたのに、旅順陥落の約束がいつも裏切られ、家族または親戚に一人の戦死傷者をも出さざる者なく、不満が甚だしいことを認めずにはいられない。
故にもし政府が禁錮、罰金、新聞の発行禁止を以てかかる感情の発露を防遏しようとすれば、次いで行なわれるものは秘密の手段であろう。そして政府は必ず、思いがけない公憤の強烈な爆発に驚かされるであろう。社会主義に関しては過去五十年間の欧米歴史を一瞥すれば、意見の鎮圧が不得策なのは十分に解るではないか。少数者といえども正理を有す、日本政府が多数一時の感情と調和しないというので少数者の意見を撲滅せんとするのは、政府自身の利害のためにも危険なることを悟らねはならぬ。」
(荒畑寒村『平民社時代』)
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11月25日
・「平民新聞」大演説会。神田錦旗館。
西川「普通選挙の請願」・堺「新聞紙と紳士閥」・幸徳「ビスマルクの社会党弾圧」、中止。ついで解散命令。
「一千名ばかりの来聴者はたちまち総立ちとなり……叫喚し、拍手し、騒擾恰(あたか)かも鼎(かなえ)の沸くが如かりしも前回の青年会館における程に至らずして鎮静」した。
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11月25日
・ロシア・バルチック艦隊独立支隊、スエズ運河入り。
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