南禅寺三門より 2014-08-13
*『ドン・ルイース親王殿下家族図』
「ゴヤは一七八三年と八四年の二回にわたってアレーナスを訪ね一五枚の肖像画を描いている。そうしてもう一枚の、大きな家族図がある。
この家族図は、何枚か描きとった下絵をもとにして、アレーナスでではなく、マドリードのアトリエで描かれたもののようである。・・・パレットと絵筆をもつゴヤ自身をも描き込んだ、合計一四人の人物が画中にいる。」
何も料理人二人までをつき合せて一族をわざわざ一三人とする必要はなかったであろう
「親王はテーブルに手をおいてトランプ遊びをしており、夫人はカツラ師に髪結いをさせている。乳母が一番末の女の子を抱き、他の二人の子供付きの下女が二人、お菓子の包みとチョコレートの箱らしいものをもって立ち、家令が二人、それに料理人が二人までも描き込まれている。まことになごやかな一家団欒の図、と言うべきものであろう。しかし、これで合計一三人である。
私にはこの一三人という人数が、何やらうさんくさいものに思われる。
後年の『カルロス四世家族図』という大作にも、ゴヤは自分自身を描き込んだ。けれども、この後者の場合は、直接の王族の数が、本当に一三人であったのであり、それでは数として不吉であるから、一四人目として、目立たぬかたちで画家自身をつけ加えたわけであった。理由はきわめて明瞭であった。
けれども、いまこの『ドン・ルイース親王殿下家族図』の場合、何も料理人二人までをつき合せて一族をわざわざ一三人とする必要はなかったであろう。
・・・
料理人二人のうち一人は、得意満面、卑しい笑みを浮かべ、もう一人の方は逆になんとも迷惑そうで、いまにも画面から逃げ出そうとしている。」
ドン・ルイース親王の不幸
「この家族図に、家令や下女、料理人までが登場をして来ていて、私人としてのドン・ルイース親王夫妻の一家団欒の雰囲気を強調していることに触れたとき、一三人というその数の不吉さについても述べたのであったが、果せるかな、ドン・ルイース親王はこの年の翌々年に死んでしまうのである。」
「そういうことを考えながらこの絵の複製を見ていると、画面左隅の暗い影の部分に、あたかもガマが這いつくばっているかのようにして背中と横顔を見せている画家自体が、何かの異様なスピリットのように見えて来ることがある。」
カルロス四世の不幸
「後年の『カルロス四世家族図』の場合は、直接の王族が本当に一三人だったので、やむなく画家自身をも登場させたものであったが、この絵の場合も、結果は不幸なものであった。カルロス四世は、この大作完成後八年目に、ナポレオンに屈して退位をしなければならなくなる。ナポレオンの囚人のようなものにならなければならなくなる……。そうして一四人目の人物は、画家自身であるよりも、むしろ青年宰相マヌエル・ゴドイであった方がよりふさわしい。あるいは現実的であったかもしれない。なぜならば、登場している王子や王女たちのうち、二人はカルロス四世が生ませた子ではなく、王妃マリア・ルイーサがゴドイの種をうけて生んだ子であることがほぼ確実だからである。」
フロリダプランカ伯爵の不幸
「また、そう言えば、というふうにして思い出してみると、同じく画家自身が登場していた『フロリダプランカ伯爵像』にしても、この総理大臣は八年後に公金横領というあらぬ罪を着せられてバンプローナの獄に放り込まれてしまう。」
彼は、あたかも風俗画を描くように、自由闊達に描いている
「・・・ゴヤはこの家族図の場合、まったく自由に振舞っていると言えるであろう。・・・
彼は、あたかも風俗画を描くように、自由闊達に描いている。それは、高貴な方々の肖像画といったものものしいものではまったくない。
・・・それはほとんど友人関係に近いような心持になっていたことを証明するであろう。少くともゴヤの側において、である。」
結局、ドン・ルイース殿下は、ゴヤのために、その画家としての経歴の、本当の出発点となったものであった
「彼は、やっとのことで確実なパトロンを得た、これで宮廷への道はついた、と思ったものであったであろう。」
「ゴヤがこの殿下に宮廷への足がかりを見たことに誤りはなかったが、不幸にして二年後にこの世の人ではなくなってしまった。
けれども、この貴重な二年間に、ドン・ルイース殿下邸でのびのびと、従来の方式にはこだわらずに、しかもなお時の流行の尖端を行く仕事をさせてもらったこと、それが従来の殿下付きの画家を排してなされたこと、及びその報酬が法外なものであったこと、また別に三万レアールもの値打ちのあるドレスを妻女のホセーファが頂いたことなどは、ゴヤ自身、言うまでもなくマドリードじゅうで吹いてあるいたものであったろうし、それは宮廷及びマドリードのブルジョアジーのあいだで大評判になったものであった。
結局、ドン・ルイース殿下は、ゴヤのために、その画家としての経歴の、本当の出発点となったものであった。・・・」
ゴヤは、当時スペイン最大の銀行、一七八二年に創設されたサン・カルロス銀行のために働く
王の肖像画:ゴヤはまったくベラスケス風なコピーをつくっている
「ドン・ルイース殿下という、王につぐ宮廷社会での高い地位の人を後楯としてもつとなれば、それはもう画家として保証されたも同然である。注文は続々としてやって来る。
まずブルジョアジー、というよりも実業機関、特に銀行が出て来る。
カルロス三世は「石の病いに罹った」と言われたほどに建設事業が好きで、自ら音頭をとって、スペインの近代化、産業化につとめた人であったし、また追放したイエズス会の財産を売って新しい教育機関を創設し、たとえ異端審問所が地球はぐるぐる廻っているなどという所説を到底許さないにしても、ある程度のところまでフランスの百科辞典派のイデオロギーをもととして大学改革にも手をつけた。穀物の取引きも自由化した。植民地収奪のための会社をもいくつか創設した。
こうなれば、これらの銀行、大学、会社、取引所などに、王の肖像が必要になる。
ゴヤは、当時スペイン最大の銀行、一七八二年に創設されたサン・カルロス銀行のために働く。この銀行は、現在のスペイン銀行であり、ゴヤの作品は描かれたその当時以来、ずっと取締役たちの会議室にかけられている。総理大臣フロリダブランカ伯もが、この銀行の創設者の一人であり、かつ取締役であったことを思いだしていただきたい。
王の肖像画が - これはつまりはわれわれの側での御真影のようなものであって、必ずしも王にモデルに立ってもらう必要はない。既存のもののコピーでいいのである。ゴヤはまったくベラスケス風なコピーをつくっている。」
その次に出て来るものは重役ども
「まず王の肖像画が壁を飾ったとなれば、その次に出て来るものは重役どもであるにきまっている。
彼らはすでにイギリス、フランスなどの金融資本とも緊密な連携をもちつつ、フランス革命後のヨーロッパの政治的、経済的大変動の中へ乗り出して行くのである。フランスは革命後の政治的、経済的混乱のため、天をもつかぬばかりの悪性インフレにおち込んでいくのであるが、この間にあって、スペインの銀行家たちの役割は重大であった。
スペインは政治的にも経済的にも安定していた。しかもスペインはヨーロッパ最大の、金と銀との産出国であると同時に、中南米からの金、銀、銅の独占的供与者でもあった。産業はなくても、金、銀、銅はあった。だから当時、スペイン・ペセータがヨーロッパの国際通貨であったことも理の当然というものである。従ってこれらの銀行家たちが全ヨーロッパ規模で威張りかえっていたとしても不思議はないのである。
こうなれば、王室や貴族たちと競って、あるいは彼らに先んじて、これらマドリードの大ブルジョアジーたちが当代一流の画家に自分たちの肖像を描かせようとするのも当然である。」
この銀行の代表者であるカバルース伯爵の場合
「またこの銀行の代表者であるカバルース伯爵は、フランスのバイヨンヌ出身で石鹸屋から身を立てた典型的なブルジョアであったが、これは後にマドリードとパリとロンドンを股にかけて大活躍をし、革命後のフランス、ナポレオン時代などを通して政治と経済をひっ掻きまわすほどのことをやらかす男であった。彼の出没するところに、タレイラン、ネッケル、ミラポオ、ロベスピエール、ロスチャイルド、ナポレオン・ボナパルト、ジョセフ・ボナパルトなどの革命家や独裁者、政商などの名がつねにともなう。
ゴヤは彼をナポレオン・スタイルの前駆のようにして左手をフロックコートのチョッキのポケットに突っ込ませている。画料四五〇〇レアール(約一一〇〇ドル)。
この財政家は、マドリードに王宮につぐ巨大な館を建築させるのであるが、やりすぎてこれも監獄行きとなる。」
「一通り銀行家たちの肖像を描きおわると、次には彼らの細君と子供たちの順番が来る。」
両手の指を全部描けという注文は、全身像、あるいは半身像であるとに拘らずもっとも値段の高いものとした
「こうなるというと、肖像画の値段の基準をきめなければならぬ。絵の大きさのことは言うまでもなく、その中身についてもまた。ゴヤは、中身についての基準を手に求めた。手というよりは指である。両手の指を全部描けという注文は、全身像、あるいは半身像であるとに拘らずもっとも値段の高いものとした。それは肖像画家たちのあいだでは珍しいことではなかった。」
銀行家の次には軍人が来る
「銀行家の次には軍人が来る。
軍人といえども、当時のスペインにあってはただの兵隊といったものではなかった。メキシコやフロリダをはじめとしての中南米、アルジェリア、チュニジア、モロッコなどの外征に従事した将軍たちは、莫大な金銀財宝をかついで来た。もちろん、その全部を私物とするわけには行かないが、王といえども、すべてを取り上げるわけには行かない。また植民地にはあがりのある領地をのこして来ている。
そういう軍人たちの一人、アントニオ・リカルドス将軍は、巨大な大砲の火口に立って威張りくさっている。それは戦争とか戦場とかというものではまったくなくて、まるで芝居の書き割りのようなものである。」
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