2015年3月26日木曜日

康和5年(1103) 堀河天皇第1皇子宗仁(のち鳥羽天皇)誕生、母は女御苡子 北面の武士が整備される(白河法皇の側) イングランドの叙任権闘争開始

ソメイヨシノ 2015-03-26 江戸城(皇居)東御苑
*
康和5年(1103)
この年
・源義光、常陸佐竹に移る。
*
・マインツの王国集会。ハインリヒ4世、帝国全体に史上初の4年間の「ラント平和令」。殆ど実効性なし。
ハインリヒ4世の意図は、教皇に約束した十字軍の国内的地ならしを図り破門解除を実現すること。特別保護の条文にユダヤ人が含まれる(司祭・聖職者、少女や婦人、ユダヤ人は、財産・身体を守られるべき。これらの人々の生命・財産への攻撃は罰金ではなく斬首刑。これらの人々は武器携行を禁止)。
*
・デンマーク、スカニアのルントに大司教座設置。スカンディナヴィア全土に管轄権認可。ドイツの教会より独立。
*
・エルサレム王ボードワン1世、海への出口を確保する為、アッカ(アッコン)包囲。パレスティナへは海路をとるようになる。
*
・サンジル、トリポリ郊外に砦(「カルアト・サンジル」)を築く。現存。
*
1月7日
・ 仁和寺北院、炎上。
*
1月16日
・堀河天皇第1皇子の宗仁(のち鳥羽天皇)、誕生。母は閑院流藤原実季の娘で女御苡子(いし)。乳母は藤原顕季の妻。権大納言藤原公実の妻光子。乳母子は藤原顕頼。6月9日、親王宣下。8月17日、立太子。
*
2月30日
・越前の住人藤原輔宗(助宗、越前河合斎藤氏の祖)の子の景実、皇子出産後1月25日没した女御苡子の葬送料3万疋を献じ飛騨守に任じられる。

利仁将軍を伝説的始祖とする越前斎藤氏は、疋田系・河合系2流に分かれて発展。
前者は、坂井郡金津町の北疋田・南疋田、丸岡町の里竹田・北千田・千田・宇田の付近を主たる本拠とし越前平野東北隅の竹田川中流域にほぼ集中。
後者は、九頭竜川・日野川の合流点北東地域および福井市八幡町~一王子町の一帯を初期の本拠とし、福井市街東北の松本、福井市の南東方の稲津町・小稲津町、市域南端の東大味町・西大味町の辺りに進出。河合系が在地に強い基盤を形成。
*
3月3日
・鬼神横行の妖言により、京中の人々が門戸を閉ざし家に閉じこもる。
*
3月11日
・若狭国東大寺封米結解状、作成。
*

・ダニシメンド、ポエモンを釈放。ポエモンはアンティオキアに戻り、身代金額を近隣から取り立てる。
*
4月22日
・京で強震。24日、地震あり。
*
4月27日
・イングランド、アンセルム、ヘンリ1世と対立し、再びローマに出発。
*
5月1日
・地震あり。
*
6月10日
・御体御卜奏。
祓い清めるべき神のなかに若狭宇波西神・多大神・常神、越前枚井手神・大虫神・雨夜神・志比前神など。
*
7月16日
・地震あり。
*
8月17日
・宗仁親王立太子に伴い、修理佐官城使正四位上行左中弁兼越前権守源重資ら15人を殿上人とし、越前権掾藤原長隆ら3人を蔵人に任じる(「為房卿記」)。

北面の武士が整備される:
北面の武士以前、宇多上皇の頃から院武者所という組織があったらしい。
これが白河の譲位頃から拡充されて、寛治7年(1093)には30人に達していたという。

ところが、『為房卿記』康和5年(1103)8月17日条に「院司・殿上人」とは区別された「北面伺候五位六位十人許」が、高陽院に御幸する白河法皇の牛車に 「弓箭(きゆうせん)を帯して」供奉している記事がある。
これ以前には、院北面に祗候する武士は確認できないが、これ以降『中右記』などにも同様の存在がみられる。
そのことから、康和年間(1099〜1104)に北面の武士が整備されたとされる

この時期は、承徳3年(1099)に白河上皇に楯をついていた関白師通が没し、2年後には父の大殿(摂政・関白の経験者に対する尊称)師実も病没し、摂関家が衰退した時期である。
それに対して、法皇の威勢は高まり、以前からあった院武者所とは別に、法皇の私的軍事力として、北面の武士の組織が整備された。それによって、院武者所は縮小されたと考えられる。
*

・アンセルム、ローマ到着。国王ヘンリ1世使者エクスタ司教ウイリアム、先に到着、教皇に「国王は絶対に叙任を放棄しない」と言明。教皇、非妥協的態度。

イングランド、叙任権闘争開始
ヘンリ1世、アンセルム大司教の収入を没収。
教皇、イングランド国王の反抗に責任がある顧問官を破門。

翌年(1104)、フルーリイのユーグ、 「王権及び祭司権論」。シャルトルのイヴォーが代表する「シャルトル派」の理論の教義化。司教職を俗権と教権に分け、大司教は「司牧職」、国王は「世俗的物件」を叙任)
*
10月26日
・地震あり。
*
11月16日
・京都で火災。
*
11月26日
・地震あり。
*
12月5日
・若狭など7ヶ国に東宮御厨を立てる官符に請印(「中右記」)。
*
12月20日
・地震あり。
*
12月25日
・小侍従の父石清水祠官の光清(20)、朝廷から石清水八幡宮寺25代別当に任ぜられる(のち法印・検校・権大僧都に至る)。
また、(時期不詳)院宣により第38世天台座主慶朝から太宰府の宝満山にある天台の末寺大山寺の別当に補任。
*
*  

0 件のコメント: