2015年3月30日月曜日

菅原文太の知性 健全な「まだ知らない」 (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-03-26論壇時評) : 「知性」とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。菅原のように、である。

菅原文太の知性 健全な「まだ知らない」 (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-03-26論壇時評)

①スタンダールは仏の作家。『赤と黒』(1830年)など。
②映画「仁義なき戦い」(主演・菅原文太)

 高校2年の夏休み、8月6日を広島で過ごそうと、友人と神戸からヒッチハイクをした。5日夜遅く、市内に入り、休むため原爆ドームの中に侵入した。結局眠れぬまま、辺りをうろついていて、子分
を連れた若いヤクザに呼び止められた。
 「なにしとんじゃ?」
 神戸から来た高校生だと答えると、男の表情が緩んだ。わたしたちは近くに腰を下ろし、話をした。男は、慶応の大学院でスタンダール(①)を研究していたが、親が組長でその跡を継ぐために戻った、といった。今日、大きな出入りがある、あんたらが最後の話し相手になるかもしれん、と。明け方近く、わたしたちは別れた。男がしゃべったのはほんとうのことだったのだろうか。そのスタンダールの話は、とても魅力的だったのだが。
 それから6年後、広島のヤクザたちの抗争を、事実をもとに描いた一本の映画が公開された。そのタイトルは「仁義なき戦い」といった(②)。

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③笠原和夫『シナリオ 仁義なき戦い』(電子書籍、14年刊)

 映画の冒頭、巨大なきのこ雲が映る。舞台は敗戦直後の広島県・呉。焼け跡の中、台頭してきたヤクザたちは、生きるために争う。そこで、彼らは「親(分)」と呼ぶもののために、生命を投げ出すのだが、一方で「親」は、子どもである彼らを単なる金もうけの手段としか見ない。そして悲劇が生まれる。観衆は、そこに、「天皇」と「兵士」や「国民」の関係をも思い浮かべることができた。

 この巧妙なドラマの脚本を書いた笠原和夫は、海軍の若年兵として広島で暮らし、投下された原爆の光ときのこ雲を見た。「仁義なき戦い」シリーズのうち笠原が参加した4本は、高度成長期を描いた「頂上作戦」で完結する(③)。そのラストシーン、主人公が「もう、わしらの時代は終(しま)いで」と呟いた後、第一作のきのこ雲に呼応するかのように原爆ドームが浮かび上がり、ナレーションが流れる。

 「こうして・・・やくざ集団の暴力は市民社会の秩序の中に埋没していった・・・だが、暴力そのものは、いや、人間を暴力にかり立てる様々の社会矛盾は、決して我々の周囲から消え去った訳ではない」

④特集「菅原文太 反骨の肖像」(現代思想4月臨時増刊号)

 雑誌「現代思想」の特集(④)は、先頃亡くなった俳優、菅原文太。「仁義なき戦い」で主人公、広能昌三を演じた。

 菅原は晩年、政治的活動に踏み出し、「行動する知識人」とも見なされるようになった。農業を営みながら、ラジオや雑誌や様々な現場で、夥しい人たちと、社会のあり様について話つづけた。

 東日本大震災直後、わたしは『恋する原発』という小説を書いた。アダルトビデオの監督たちがチャリティーAVを作るという、不謹慎な(?)内容ゆえにか、相手にされることは少なかった。数少ない例外が、菅原からの対談の依頼だった。会って最初の一言が、
 「あんたの小説は面白いが、難しいねえ。説明してくれるかい?」だった。

 対話に際して、菅原の特徴は、まず「知らない」と宣言することだ。

⑤菅原文太と免詐皆伝の達人たち『ほとんど人力』(金子兜太・樋口陽一らと対談、13年刊)

 俳人・金子兜太への最初の一言。
 「俳句はまったくの門外漢でありまして。残念ながら金子さんの俳句も・・・」

 後輩で憲法学著の樋口陽一には、
 「オレは早大法学部中退なんだけど、じっは日本国憲法をよくよく読んだのは今回が初めてなんだ(笑)」(⑤)

⑥佐野衛「菅原文太さんの書店訪問」(現代思想4月臨時増刊号)

 では、菅原は不勉強な人間だったのか。当時、書店「東京堂」に勤めていた佐野衛は、毎回、真剣勝負のようだった、菅原の膨大な注文について書き、こう感想を漏らした(⑥)。
 「このひとはただの読書家ではない。おそらく自分のなかにつねに問題意識をもたれていて、本は読まれるが自分の確認したいことが書いていなければ、その本は意味のない本なのだ」

⑦内田樹・編『日本の反知性主義』(今月刊)
⑧ロラン・バルトは、20世紀の仏の思想家

 「反知性主義」のタイトルを掲げた本が次々と出されている。その中の一つで、内田樹は、こう書いている(⑦)

 「バルト(⑧)によれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う」

 逆にいうなら、「知性」とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。菅原のように、である。

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⑨森本あんり『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(今年2月刊)

 森本あんりの『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(⑨)は、「反知性主義」ということばの源流にまで遡り、その本来の意味を考えた。

 「反知性主義には・・・単なる知性への反対というだけでなく、もう少し積極的な意味を含んでいる・・・知性そのものでなくそれに付随する『何か』への反対で、社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だったのである」

 そして、森本は「知性と権力の固定的な結びつき」や「知的な特権階級が存在すること」に対する反感が、本来の「反知性主義」が意味するものだとした。

 戦後そのものの映像化であるような「仁義なき戦い」だけではなく、多くの作品で、菅原は、歴史の決定的な瞬間に立ち合う役を演じているが、菅原が演じたのは、森本のいう「本来の反知性主
義」者が多かっだような気がする。

 有名校の秀才から歩み始め、演技という現場から、身体で「知識」を吸収していった。「知識人」になった後の菅原と、俳優・菅原文太との間に齟齬が感じられなかったのは、彼が、演じることを通じて、自然に「知識」を、いや「知性」を身にまとっていったからなのかもしれない。そのことは、実はひどく難しいことなのだった。
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