2015年3月29日日曜日

堀田善衛『ゴヤ』(63)「一七九二~九三年・悪夢」(3終) : 「われわれ人間はゴヤとともに何を考えたらいいか。悪夢を見ているのはゴヤではない。 これらの人間狂態に、さらにもう一つ、古典的な集団的大狂態である戦争が加わって来る。」

代官町通り 2015-03-27
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病患が、断続的に彼を襲いつづけていた
 「一七九三年七月、ゴヤはマドリードへ戻った。七月一一日、アカデミイの会合に出席している。
恢復は比較的順調であったものと思われる。手や足の麻痺も、次第にとれて行った。この年の後半には、版画集『気まぐれ』の準備をし、カンバスにもそろそろと向いはじめている。
けれども、翌年の一七九四年二月に、ホベリァーノスはその日記に、「ゴヤに手紙を書いたが、卒中のために手紙も書けないと答えて来た」としるしている。
また四月には、親友サバテールに、「健康状態はいつも同じだ。時々は自分でも耐えがたくなって激昂することがある。それからまた平静に戻る、いま君に書いているこの瞬間のように。だけどもうくたびれてしまっている」と書く。
病患が、やはり断続的に彼を襲いつづけていたものであろう。」

一つの不幸中の幸は、彼がスペイン人であったということである
 「・・・働きざかりの四七歳にして聾者となったという不幸に際して、一つの不幸中の幸は、彼がスペイン人であったということである。・・・というのは、スペインでは長く・・・若い女性がつき添いなしで外出することや男性と二人だけで話すことを許されていなかったので、恋人たちのうち男の方は、たそがれ時に女の家のパルコンの下に立ち、聾者そっくりの手話法を用いて愛を語ったものであった。・・・
大抵の国では、手話法は聾者同士のあいだでしか通じない。あるいは手話法を学んだ家族か通訳にしか通じないのである。けれどもスペインでは、特に一八世紀、一九世紀には如上のような事情があって、伝統的にほとんどの人々が手話法を知っていた。だから、コミュニケーションに関しては、スペインの聾者は他の国々の聾者よりは比較的に恵まれていたと言えるであろう。」

ゴヤは働かねばならぬ
 「ゴヤは働かねばならぬ。
・・・

自分の病い(ゴヤは複数を用いている)のことを考えてさいなまれる想像力に場所を与えるとともに、また一部は大変な出費を補うために、一連の居室用の絵を描きはじめました。これらの作品のなかで、あの気ままさ(カプリチヨ)と創意(インベンシオン)が羽をのばせない注文画では普通とりえないような見方をすることに成功しました。私はこれらの作品を貴方が先刻御承知のようなすべての目的で、アカデミイに送ろうと考えました。

という手紙をゴヤは、アカデミイ会員であり収集家でもあったベルナルド・イリアルテに、一七九四年一月四日に送っている。・・・」

ゴヤ『山賊 女に短刀を擬す』(部分)1794-95
 「後のカンバスに描かれたもの八枚は、そろってマドリードのデ・ラ・ロマーナ侯爵邸にあり、とりわけて『山賊 女に短刀を擬す』は傑作であり、私は一閃の筆運びで、人間の眼のように、短剣という死んだ物が生きているのをまざまざと見せつけられた。・・・馬車を襲う山賊どものテーマは、以前にもオスーナ公爵家のために一度描かれているものであったが、今回は一段とリアルに、しかも残酷さもひときわ増して、死屍累々である。そうして火事とメデューズ号の難破には、ドラクロアまでが出て来ている。すでにしてドラクロアまでが串刺しにされて、一挙にロマン主義を突き抜けてリアリズムにまで達していると言って過言ではないであろう。また旅役者たちの野外での公演に描かれている、大きなヒゲを生やし大将の軍服をつけて踊っている矮人や仮面のピエロたちにも、もはやタピスリーのカルトン時代の甘美さはない。むしろそこには、スペインの街頭や、野外で演じられている「民衆の気ばらし」というものの、正体のところでの残酷さと醜さの方が正面に出て来ていて、いままでの彼の仕事を見慣れて来た眼には、むしろ辛いものに映るのである。眼をそらしたくなる。」

ゴヤよ、君のなかで何が起ったのか?
 「ゴヤよ、君のなかで何が起ったのか?
と私は問いつづけていたのであったが、ここに蝉が殻を脱ぐようにして、一八世紀的虚飾の一切が脱け落ちて、神も仏もなくして現実を現実として見なければならぬことになる、”近代”というものが姿をあらわしはじめているのである。
われわれはすでに、たとえばエル・グレコなどからははるかに遠いところ、あるいはまったく次元を異にする地平へのとばロに立っているのである。
・・・われわれは何と不幸な場所、あるいは次元へ、ゴヤとともに連れ出されたものであったか、と。
しかしこれらの連作は、何としても「民衆の気ばらし」にはふさわしくない代物である。」

ゴヤ『狂人の囲い場』(部分)1794
 「彼は、彼が用いた新手法、「普通とりえない見方」、「気まま」、と「創意」がどういう反響をアカデミイの同僚からもたらされるものであるかに神経質になり、アカデミイの議事録が「会議の出席者はそれらの作品を見て大いに気に入り、その作品としての価値と彼の実力を讃えた」と記したことを知ると、途端に嬉しくなり、三日後の一月七日にふたたびイリアルテに手紙を書き、彼に謝意を表するとともにアカデミイに親愛の意を表する。そのなかで彼は次のようなことを言う。

もう描きはじめています。それは気狂いの囲い場で、二人が裸で喧嘩をしており、看守がその二人を鞭で叩き、他の連中はサックをかぶっています。私がサラゴーサで実際に見たテーマです。」

第一義的に絵画も彫刻も、一切音のない芸術であった。それは話される、音声としてのことばを必要としない、補われる必要のない芸術である
「ゴヤがこの当時に描いたと前記グディオール氏などによって分類されている『気狂いの囲い場』は、なるほど「二人が裸で喧嘩をしており、看守がその二人を鞭で叩いて」いるところまではその通りなのだが、「他の連中」はポロをまとってはいるが、サック(袋)をかぶったりはしていない‥…・。それに手法的にももっと後期のものではないかと考えられる。・・・」

「しかしここで必要なのは、・・・右から数えて行ってその一三人目の、まんまるい節穴のような目をいっそうまるくして、そうしてこれも顔にあいた円型の穴としての口をひらいて何事かを叫んでいる狂人である。
人間の穴としての目、穴としての口。
このまるい口が叫んでいる狂語は、ゴヤの耳には達しない、またわれわれの耳にも達しない・・・。」

「・・・第一義的に絵画も彫刻も、一切音のない芸術であった。・・・
それは話される、音声としてのことばを必要としない、補われる必要のない芸術である。」

すでにしてこれはリアリズムの極北である
 「しかしここで狂者たちは叫び、取っ組み合いの喧嘩をしている二人の肉体のぶつかり合う音、さらに看守の鞭の音などが聞えて来る。それは現実に聞えて来る。一三人のうち、一番奥の方にいて紙の王冠をかぶり、国王陛下のように両手をさし上げている荘厳な面持ちの人物もまた、何か荘厳なことを言っている。
この一枚を、・・・例の餓鬼どもシリーズの作品と比べてみるとき、聾者になってからの作品の方がずっと(騒々しいなどとは言わぬとしても)音声をともなっていることがはっきりして来るであろう。
聾者になっての、次の時期の、たとえばデッサン帳などを見ると、それが彼の、広く言って社会との対話、会話にあたるものであることもはっきりして来るであろう。・・・
左端に立つ、一三人目の円型の口、孔に戻るとして、その他の物音や音声、あるいは国王陛下氏の演説などは聞えるのに、この円型の穴が叫んでいることばが、私にはまったく聞えない。いったい、タバコの煙の輪をでも吐き出すのならばともかくも、こんなに口をまるくして、たとえ狂語といえども、何かことばを言えるものであろうか。
おそらくこの狂人は、口をまるくしてことばを発することなく、眼に全存在をあずけて何かを凝視しているものと思われる。
もしそうだとすれば、すでにしてこれはリアリズムの極北である。
屋根がなくて、白熱した陽光に曝されていても、人間内部は暗緑色に暗いのである。」

いったい狂人の囲い場が「民衆の気ばらし」になりうるものか
 「・・・いったい狂人の囲い場が「民衆の気ばらし」になりうるものか、・・・
この疑念に対する答えは、イエス、である。お祭に絞首刑が余興として執行された時代であり、狂人たちの囲い場、隔離所は、民衆が時に見物に行く場所であった。狂人たちは死んでも教会で葬式をしてもらえなかったのであるから、すでに悪魔に魅入られた、人外のものとして扱われていた。人間のかたちをした人外のものを見物に行って何がわるかろう。それが一般的な習慣だったのである。彼が突如としてヒューマニストになったわけでも、社会的関心と称されるものをもつにいたったということでもまったくない。」

『鰯の埋葬』も、『苦行者の行列』も、『村の闘牛』も、『異端審問情景』なども
 「しかしこういうものが、「民衆の気ばらし」でありうるとしたら、カーニバルの気狂い騒ぎを描いた『鰯の埋葬』も、『苦行者の行列』も、『村の闘牛』も、『異端審問情景』なども、そのテーマにあてはまり得るであろう。
民衆にとって、それが自分のことでさえなければ、祝祭日における死刑執行がそうであったように、異端審問に際しての、理不尽なやり方、やられ方もまた「気ばらし」の一種でありえたであろう。」

 「『苦行者の行列』は、男が上半身裸になり、裸足で、自分で自分を鞭打ちながら歩く行列である。自分の、あるいは他の誰かの罪を悔い、また神に対する信仰のより聖からんことをねがっての、まことにサディスティックな行事である。
・・・この崇高なる愚行は、一七七七年と一八〇二年とに禁令が出ていたが、何度禁止してもやまなかった。
そういう禁令の出ているものを積極的に描くという点でも、ここでも疑念はのこる。ずっと後年のもの、とした方が妥当である。」"
「おしまいに来るのは、いわゆる『鰯の埋葬』と呼ばれるカーニバルのシーンである。これもずっと後年の作とするのが妥当のようである。」

悪夢を見ているのはゴヤではない
 「けれども、重要なのは、聾者としてのゴヤが見たものとしての、狂人の囲い場にいる人間も、カーニパル最後の日に底抜けのドンチャン騒ぎをしている人間も、最小限、彼の画面に登場する限りにおいては、まるで同じものであることである。ドンチャン騒ぎのドンもチャン聞えないとなれば、狂人の異常な行動も、豚のロースト暁の代りに鰯を埋葬してカーニバルの終りとする、灰の水曜日の仮面をかぶっての馬鹿騒ぎも向じことではないか。一枚ベールを剥いでみれば。
仮面をかぶることが、実は正体を見せることになる場合もありうるのである。
それは怖るべき発見ではなかったか。
・・・
・・・彼の手がそれら人間のなすことどもを、さしたる差異のないものとして画面に描き出すとしたら、われわれ人間はゴヤとともに何を考えたらいいか。悪夢を見ているのはゴヤではない。
これらの人間狂態に、さらにもう一つ、古典的な集団的大狂態である戦争が加わって来る。
・・・
しかしまだまだこれらの人間大狂態は、その外面から外面だけを描かれているにとどまっている。」
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