2015年6月6日土曜日

仕事 吉野弘 (『10ワットの太陽』より) : 「これが現代の幸福というものかもしれないが なぜかしら僕は ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく いまだに僕の心の壁にかけている。 仕事にありついて若返った彼 あれは、何か失ったあとの彼のような気がして。 ほんとうの彼ではないような気がして」


*
仕 事
           吉野 弘
          
   停年で仕事をやめたひとが
   ────ちょっと遊びに
   と言って僕の職場に顔を出した。
   ────退屈でねえ
   ────いいご身分じゃないか
   ────それが、一人きりだと落ちつかないんですよ
   元同僚の傍の椅子に座ったその頬はこけ
   頭に白いものが増えている。
 
   その人が慰められて帰ったあと
   友人の一人が言う。
   ────驚いたな、仕事をしなと
         ああも老け込むかね
   向かい側の同僚が断言する。
   ────人間は矢張り、働くようにできているのさ
   聞いていた僕の中の
   一人は肯き、一人は拒む。
 
   その人が別の日
   にこにこしてあらわれた。
   ────仕事が見つかりましたよ
         小さな町工場ですがね
 
   これが現代の幸福というものかもしれないが
   なぜかしら僕は
   ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
   いまだに僕の心の壁にかけている。
 
   仕事にありついて若返った彼
   あれは、何か失ったあとの彼のような気がして。
   ほんとうの彼ではないような気がして。

詩画集『10ワットの太陽』 (1964年) より
*
*
なぜ、「僕の中の 一人は肯き、一人は拒む」のだろうか?

なぜ、「ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
    いまだに僕の心の壁にかけている」のだろうか?

なぜ、
「仕事にありついて若返った彼
 あれは、何か失ったあとの彼のような気がして。
 ほんとうの彼ではないような気がして。」

と「僕」は思うのだろうか?

『ユリイカ』で、中村稔さんはこう言う。

「停年退職し、老いて、死んでゆくのが人間の宿命であり、たまたま職を得て若返ったかのように見えるのは人生の幻影にすぎない。そういう諦念がここに語られている。」

ユリイカ 2014年6月臨時増刊号 
総特集=吉野弘の世界

私も含めて、世の勤め人は、自己の時間(に集約・測量される人格)を切り売りして、
それから得られる対価をもって、生活の糧としている。

そして、
それらの苦役を苦役と思わないために、様々な道徳や規範や倫理が生み出され、
職場や社会や家庭に、導入、適用される。
(強制される)

働かざるもの食うべからず、・・・etc

どうして、
そして、
誰が、
そんなことをヒトに押し付けるのか?

そういうことに疑問を抱く自分がどこかにいてもいいんじゃないか、
というのが吉野さんの思いなんじゃないか、などと考えたりする。

せっかくドレイから解放されたのに
またドレイに戻るの?
ということではないのかな。

「burst --花開く」にもいくらかその傾向が見える。
私には。

フム・・・

吉野弘さん死去。享年87。 「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」(吉野弘「祝婚歌」から一部抜粋) / NHK総合 クローズアップ現代 「“いまを生きる”言葉 ~詩人・吉野弘の世界~」 2015年1月27日(火)放送 「亡くなって一年、いま静かなブームを呼んでいる」

日本の六月 吉野弘 (詩集『感傷旅行』) : 縁では人々が爪先立って じっと目をつぶって 水嵩の増す気配を 聞いている じっと

burst - 花ひらく  吉野弘(詩集『消息』より) : 永年勤続表彰式の席上、「諸君! 魂のはなしをしましょう」、と叫んで倒れた男のはなし



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