2015年6月6日土曜日

昭和18年(1943)10月12日~20日 学徒出陣壮行の早慶野球戦 51師団のサラワケット越え 「 『毎日新聞』に、徳富蘇峰と本多熊太郎の対談会載る。開戦の責任は何人よりもこの二人である。文筆界に徳富、外交界に本多、軍界に末次信正、政界に中野正剛 - これが四天王だ。」(清沢『暗黒日記』) 朝鮮人学徒動員「学徒よ、征け。大号令、学徒にくだれり。皇恩に応え奉るのは今ではないか?一人残らず速やかに戦列に馳せ参じ、朝鮮青年の鉄火の意気を全世界にふるえよ! 起て、そして、みなともに征け」 傀儡フィリピン共和国独立/「フィリピン」國ハ日本國ノ為スべキ軍事行動ノ為ノ一切ノ便宜ヲ供輿ス    

ハナショウブ 江戸城(皇居) 2015-06-03
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昭和18年(1943)
10月12日
・連合軍、ラバウル攻撃開始。349機空襲。
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10月12日
・政府、「教育に関する戦時非常措置方策」決定。理工科系と教員養成系以外の徴兵猶予停止、文科系大学の理科系への転換、年3分の1を勤労動員とすることを決定
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10月12日
・イギリス・ポルトガル、アゾレス諸島貸与協定を公表。
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10月12日
・連合軍、ヴォルトルノ河を渡河するも、攻勢は停止させられる
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10月13日
・貯蓄券規則公布
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10月13日
・イタリア、バドリオ首相、対独宣戦布告。
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10月14日
・相馬正男「今昔ロシア物語」発禁
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10月14日
・アメリカ第8空軍、(第2次)シュヴァインフルト爆撃で再び大損害を被る(暗黒の木曜日)。損害60機のB−17。米軍の昼間爆撃中止される
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10月14日
・ソ連軍、サポロジェ奪回
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10月15日
・米軍、オロラ湾を爆撃
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10月15日
・家屋疎開閣議で決定
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10月16日
・日本、フィンシュハーフェン反撃開始
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10月16日
・戸塚球場で、学徒出陣壮行の早慶野球戦
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10月16日
「十月十六日 (土)
 臨時議会に軍需会社法等を提出に決定。増産に一生懸命になるのは当然だが、命令さえかければ、また法律さえできればそれで可能だと考えているのは依然たり。
 「会社の国家性」とか「利益追求の否定」とかいったようなことばかりいっている。軍需会社法もそれだ。形式主義もこれまでになればとうてい反省の余地はあるまい。」(清沢『暗黒日記』)
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10月16日
・アルバニア、国民議会、ドイツ軍保護下、イタリアからの独立決める
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10月16日
・イタリア、チアーノ、ドイツ軍に逮捕
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10月17日
「十月十七日 (日)
 明日で東条内閣二周年目を迎える。この内閣に対する批判は、後の歴史家がなそう。しかし、これくらい知識と見識に欠けた内閣は世界において類例がなかろう。
 年表作成中(昭和十五、六年頃)感じたこと ー 軍部は大政翼賛会その他に一々干渉。国内においては完全に勝利を得た。同様な勝利が敵に得られるかどうかが唯一の残る問題だ。」(清沢『暗黒日記』)
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10月18日
・陸軍51師団(中野中将)、ラエよりサラワケット山横断しキャリ着。2、000(20%)死者
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10月18日
・統制会社令、軽金属使用販売制限規則公布
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10月18日
・大日本育英会、成立
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10月19日
・中国国防最高委員会、憲政実施協進会(会長 蒋介石)の設置を決定。
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10月19日
・中国国民参政会、経済建設協進会(会長 蒋介石)組織大綱を発表。
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10月19日
「十月十九日(火)
 『毎日新聞』に、徳富蘇峰と本多熊太郎〔元駐華、独大使〕の対談会載る。開戦の責任は何人よりもこの二人である。文筆界に徳富、外交界に本多、軍界に末次信正、政界に中野正剛 - これが四天王だ。徳富も本多も客観性皆無。
 ロ-ゼヴェルトがアルゼンチンのユダヤ人弾圧を攻撃している。米国が人種問題を云々する資格あるか。
 徳富は東条に例によって太鼓持ちぶりを発揮している。この連中が第一線に出るべきだ。統制経済や社会主義は公徳心の完成を前提にす。水道などが壊れても職工は決して修繕せず。(僕の家近く)」(清沢『暗黒日記』)
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10月19日
・ハル米国務長官・イーデン英外相・モロトフ・ソ連外相会談。~30日、モスクワ。戦後問題を協議。
30日、「一般的安全保障に関する4ヶ国宣言」(中国も参加)発表、一般的国際機関=欧州諮問委(EAC)設置決定。
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10月19日
・米・英・カナダ、第3次対ソ武器貸与議定書調印。
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10月20日
・朝鮮人学徒動員。海軍特別志願兵臨時採用規則。朝鮮の法文科系大学・専門学校在学生を特別志願兵に採用決定。日程発表。動員に崔南善・李光洙ら学者・作家が手を貸す。

学務局は、全国各道と各部の視学(奨学士)および中学校長に対し、学兵制該当者の家庭を戸別訪問し、志願者受付けに積極的協力をすること、本人不在の場合は親権者の承諾も有効と、指示。韓相竜主導の国民総力連盟のポスターが全国に貼り出される。

「学徒よ、征け。大号令、学徒にくだれり。皇恩に応え奉るのは今ではないか?一人残らず速やかに戦列に馳せ参じ、朝鮮青年の鉄火の意気を全世界にふるえよ! 起て、そして、みなともに征け」。

総督府は更に、李光洙、安在鴻、曹晩植、呂運亨、崔麟、崔南善、尹致昊、など名士を動員し、ソウルと東京で講演会開催の計画を立てる。李光洙、崔南善、季聖根が応じ、かなり多くの人たちが狩出し役を引き受ける。11月下旬、崔南善は明治大学講堂で講演。  
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10月20日
・第36師団、第1軍より転出  
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10月20日 ・日本占領下傀儡フィリピン共和国独立。大統領ホセ・ラウレル。日比同盟条約(秘密軍事協定)調印。
議員54人、それと同数の州知事・市長とによる一院制の国会が誕生、議長にべニグノ・S・アキノ、フィリピン共和国大統領にホセ・P・ラウレルが選ばれる。
議事堂でラウレルが独立宣言を読み上げ、軍政施行以来、初めてフィリピンの国旗が議事堂に掲げられ、国歌が演奏される。

第14軍内の軍政監部(42年6月29日軍政部から改称)は改称され、新たに「比島政務班」が設置される。
一方、軍政監部の各支部は、「地方連絡事務所」と改称し存続。
しかも、以前の軍政監部支部はルソン島北部・同中部・同南部とピサヤ諸島、ミンダナオ島の5ヶ所に設置されていたが、地方連絡事務所になってからは7ヶ所(ルソン島東北部・同西北部・同中部・同南部、ビコール半島、ピサヤ諸島、ミンダナオ島)に数を増す。

「日比同盟条約」締結。マニラに大使館設置。初代大使村田省藏。

了解事項「「フィリピン」國ハ日本國ノ為スべキ軍事行動ノ為ノ一切ノ便宜ヲ供輿ス」。
これにより、ラウエル大統領に、44年11月「強制労働令」を発令させる(道路、橋、港湾施設の修理)。
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10月20日
・日本陸軍16師団第20連隊、レイテ島ゲリラ討伐戦開始。
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10月20日
・マッカーサー大将、ラバウル攻略中止を不満ながら承服し、この日、フィリッピン侵攻計画「レノ」第3号を策定。之に対して、ワシントン側は限定条件を付けてくる。
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10月20日
・ウェーベル、インド総督となる。
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